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雑誌『俚俗と民譚』の基本情報と発行経緯

 ずいぶん前に『俚俗と民譚』という1932年に発刊された民俗学の研究誌を一部に欠けがあるものの、まとめて購入することができた。この雑誌は、『民俗学関係雑誌文献総覧』竹田旦編(国書刊行会, 1978年)や雑誌記事のデータベースである「ざっさくプラス」に各巻の目次が引用されているので、どのような記事が掲載されていたのかは分かる。しかしながら、『柳田国男の歴史社会学 続・読書空間の近代』佐藤健二(せりか書房, 2015年)の民俗学の雑誌リストによると復刻されたこともなく、この雑誌がどのような雑誌なのかを現物から紹介されたことはおそらくないであろうと思われるので、私のnoteで少しずつ紹介していきたいと考えている。(注1)

 まずは以下に『俚俗と民譚』第1巻 第1号の表紙を写真で紹介したい。写真だと大きさは分かり辛いが、縦15cm×横22.2cmである。大きさだけ記載してもなお分かり辛いのでA4のノートを比較した写真も以下に載せておきたい。表紙からは、発刊が1932年1月で毎月1回15日に発行されていた月刊誌であったということも分かる。

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奥付を確認すると、編集発行人兼印刷人が福原清八という人物で発行所は単美社というところになっている。福原清八という人物が何者なのかは現時点では不明だが、この巻の「巻末記」として福原が『俚俗と民譚』の発行経緯を述べているため以下に引用してみたい。

(一)まことに小さなノートではありますが、此月から毎月一冊、この「俚俗と民譚」を発行致します。行々はもつと大きな希望と機会とを、つくるやうにしたいと考へて居ります。
 実は昨年の九月頃から出したいと思ひ、中道さんと相談の上、うち揃うて柳田先生の御意見も承はり、「民間伝承」と名をつけることも決め、八月仙台放送局から放送せられた藤原悲想先生の「坂上田村麻呂と奥羽地方の鬼」を、直ちに御執筆を願ひ、かうして第一号は、八月末に印刷するばかりになつて居りました。然るに、私の印刷所の充実を図るための内部変更の仕事が、意外にも時間がかかつたので、予定の九月が遂に延びてしまひました。ところが又、一二月になつてから、仙台の佐々木喜善氏が仙台に民間伝承学会といふものを創立して、やはり「民間伝承」といふものを刊行せられるとの通知が中道さんの許までありました。私らはかういふ経過であつた関係上、このあまりにも偶然なる一致には、驚くよりは寧ろ少し呆然としてしまつたのであります。予告こそ出さぬが、もう組織が出来て居る。と云ふて、佐々木氏の宣言がよしわれらとは差異があろうとも、ノートの名称が同様に重複しては面白くない、かう考へ直しまして別に「俚俗と民譚」と名付けたのであります。これはもとより内輪の話で、明らかにしてどうすると云ふ事ではないのでして、只、九月が遂に新年となつて第一号を出すに至つたその途すがら、かやうな名称選定のことがあつたのを、お話しした次第です。(筆者により一部を現代仮名遣いにあらためた。)

「中道さん」は、青森県出身の民俗学研究者・中道等である。福原は、『俚俗と民譚』の発刊前に中道とともに柳田国男に相談に行ったようである。その後、雑誌名を『民間伝承』と決めたが、佐々木喜善が先に『民間伝承』という雑誌を発刊したため、雑誌名を『俚俗と民譚』として発刊することにしたということが分かる。この話は注釈に紹介した論文にも書かれているが、この情報の初出はこの雑誌の「巻末記」であった。

(注1)例えば、以下の論文は本文で紹介した『俚俗と民譚』の創刊経緯に触れているが、『俚俗と民譚』そのものの検討はされていない。


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