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『三酔人経綸問答』中江兆民を読む③―洋学紳士と近代日本の運命

 気づいたらずいぶんと間があいてしまったが、『三酔人経綸問答』中江兆民を読了した感想の続きを今さらながら投稿していきたい。ちなみに以下が以前に投稿した記事だ。

「『三酔人経綸問答』中江兆民を読む②」でも触れたように、この本は以下の文章で終わっている。

二客竟(つい)に復(ま)た来たらず。或は云ふ、洋學紳士は去りて北米に游(あそ)び、豪傑の客は上海に游べり、と。而(しこうし)て南海先生は、依然として唯、酒を飲むのみ。

ここで注目したいのは、「洋學紳士は去りて北米に游(あそ)び」という部分だ。『三酔人経綸問答』の中でヨーロッパのことに関して語っている洋学紳士がアメリカに留学してしまう。この本が出版された1887年前後には、アメリカは、西部の開発、都市化の進展、巨大企業の出現など急激な経済成長を遂げ、ヨーロッパ列強と並ぶ強国として存在感が高まっていた。洋学紳士は、当時の「最先端」であるアメリカの政治、経済、文化等をアメリカに学びに行ったと思われる。彼がアメリカに留学したであろう1887年前後には、たとえば、内村鑑三(1884年)、新渡戸稲造(1884年)、南方熊楠(1886年)らがアメリカへ留学していることから、アメリカが日本の留学先の選択肢のひとつとしてあがっていたことが推測される。

 当時アメリカに留学した洋学紳士に対して、現代のビジネスマン的な言い方をすると、彼は、常に最先端の流行にアンテナを高くしており常に自分の知識をアップデートし続けている人であると言うこともできるだろう。しかしながら、洋学紳士を「近代日本の知識人の典型例」としてとらえなおすことで、彼の常に「最先端」を求めようとする態度は、「変り身のはやさ・節操のなさ」という「近代日本の知識人の課題」として考えることもできる。『日本人は何を捨ててきたのか』鶴見俊輔・関川夏央の中で、鶴見俊輔は、近代日本の知識人の「変わり身のはやさ・節操のなさ」を「スキンディープ」と表現して以下のように批判している。

(前略)
関川 現在は何がスキンディープなのでしょう。「スキンディープ」とはうわべだけのことという意味?
鶴見 おっこちちゃうもの。
関川 表層的な。
鶴見 そうそう。
(中略)
鶴見 (前略)戦争という入れ墨をされた。だけど、敗戦後に、それを入れ墨と感じないで洗い落とせるお化粧のように思っちゃうところに日本の知識人の持っている思想性の浅さがあるね。(後略)

戦争体験を自分の中に保ち続けることなく振る舞う戦争を経験した知識人に対する批判である。鶴見は「スキンディープ」を「表層的な」「洗い落とせるお化粧のよう」なものとしてとらえている。ここでは戦争体験に関して語られているが、上野千鶴子・小熊英二との対談『戦争が遺したもの』では、近代日本の知識人の課題として以下のように語られている。

(前略)
鶴見 (中略)明治以後の日本では、知識人というのは欧米の知識の体系を身につけた人間でなくちゃならない、そういう人間が指導者になって国を近代化しなきゃいけない、そういう人間は一高や東京帝大を出た人間だ、という回路ができてしまった。(中略)そうすると、みんな知識人になろうとして、試験で模範答案を書こうとする。だから自由主義が流行れば自由主義の模範答案を書き、軍国主義が流行れば軍国主義の模範答案を書くような人間が指導者になった。(後略)

上記の引用と「スキンディープ」をあわせて考えると、近代日本の知識人は思想をお化粧のように簡単に落としてなおせるものと考え、深く反省せず流行にあわせて自分の立場を変えてきたという点が鶴見の考えている近代日本の課題であると思う。

 「近代日本の知識人の典型例」としての洋学紳士の思想の軌跡は、その後の歴史を知る私たちにとっては明白だ。上記の引用部分で鶴見が少し指摘しているように、大正時代の自由主義、マルクス主義、1930年代の国家主義、戦後のアメリカ流の民主主義という変遷をたどることになるだろう。この軌跡が、洋学紳士を典型とした近代日本の知識人の「変わり身のはやさ・節操のなさ」だ。

ところで、このような思想の「変わり身のはやさ・節操のなさ」は「転向」とよばれ、しばしば批判されることがある。しかしながら、現代でも様々な領域で欧米を範とぜざるをえず、日々変わる情況に対応しようとするのであれば「転向」はやむを得ないように思える。これは難しい問題であるが、重要なのは、「転向」前の記憶を保ち続け反省をおこなうかどうかということではないだろうか?鶴見はこれを「消極的能力」として以下のように語っている。

(前略)
鶴見 そういう話じゃないんだ。問題は、真理は間違いから、逆にその方向を指定できる。こういう間違いを自分がした。その記憶が自分の中にはっきりある。こういう間違いがあって、こういう間違いがある。いまも間違いがあるだろう。その間違いは、いままでの間違い方からいってどういうものだろうかと推し量る。ゆっくり考えていけば、それがある方向を指している。それが真理の方向になる。これは、わたしの考えです。だから真理を方向感覚と考える。その場合、間違いの記憶を保っていることが必要なんだ。これは消極的能力でしょう。
(後略) (『日本人は何を捨ててきたのか』鶴見俊輔・関川夏央より)

「転向」前の記憶は、私を含めた多くの人にとって間違っていたものとしてあまり積極的には記憶しておきたくないものだ。これは、その人にとって都合の悪い経験、苦い経験としても同じことだ。たとえ、間違った(都合の悪い、苦い)記憶であっても自分の中に保ち続けることで、次に進めばよいと思われる方向がみえてくる。これが鶴見の言う「消極的能力」だ。例を簡単にあげておこう。以下の記事でも触れたように、「転向」に厳しい吉本隆明が、60年代に清水幾太郎を評価したのは1960年の安保闘争に敗北した経験を忘れずに反省して自分の思想を展開させようとしたからだ。吉本自身もこの敗北から自分の思想を出発させようとしている。(詳しくは下記の記事を読んでいただきたい。)

このように「転向」で重要なのはそのこと自体の善悪ではなく、「転向」する際に自分と向き合う態度ではないだろうか?

 話が大きくそれてしまったが、私には『三酔人経綸問答』に登場する洋学紳士は、近代日本の知識人の運命や宿命を暗示しているように感じられてならない。また、それは近代史の中だけでなく、現代の私たちにもつながる問題でもあるだろう。特に、拙いながら述べてきたように、私は欧米を範とせざるを得ない近代日本の宿命、「転向」の問題などを考えさせられた。

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