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ピンチをアドリブで乗り越える技 65/100(圧力鍋)

自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。


「ピンチに強い精神力」も、前回でそろそろと思っていたのですが、今日も引き続きこの方向のお話をしようと思います。

というのも、先ほどたまたま、荒木博行さんのNewsPicksを拝読して、色々と思い出したので、ご紹介させてください。

(ここのところ少しアウトプットに手間取ってたのですが、アウトプットのために必要なインプットを再認識しました!)

タイトルを見た時点では、『リトル・ミラクル』(23/100参照)的な話かな?と思ったのですが、読み進めていくと、「修羅場」から、天野岩戸の影に隠れている「神秘くん」を誘い出すという、まさに「ピンチを乗り越える」話でした。

非常に私の連載と重なる部分としては、、傾聴(5/100参照)「耳を傾ける」ことの重要性ですね。これって本当にその通りで、まずは根気よく傾聴することが何よりも大事です。

即興術でもお話ししてますが、この傾聴が出来ていないと、ピンチの先に隠れている「神秘くん」をも逃してしまいます。

そして、今日の主題としてお話ししたいのが、
「急に感情的になって、場の空気が一変してしまった」
という修羅場に関してです。

私たちはイギリスの演劇学校で、ロシアの劇作家チェーホフの芝居も学びます。

チェーホフの戯曲、『かもめ』『三人姉妹』『ワーニャ叔父さん』とかって、絶望的につまらないというイメージをお持ちじゃないですか?

ザ・極寒地の苦悩、みたいな。

でも実は、チェーホフの戯曲って、誰も言いたいことを言えずに、悶々としている状態の連続なんです。

確かに、さらっと台本を見ただけでは、一見何も起きていない時間が非常に長いです。そのため、これを台本通りにただ上演してしまうと、ダラダラとつまらない芝居になります。

でも、私はチェーホフの戯曲は圧力鍋だと思っています。

一見すると何も起きていないように見えるのですが、内面ではありとあらゆる激しい思いが、ぐつぐつと煮えたぎっています。

その爆発寸前の状態が、台本上ではつまらない部分で、ここをうまく演技できていれば、非常に見応えのある芝居となります。

言いたいことはあるけど言えない、言わない。

そういう同調圧力(やっぱり圧力鍋)がかかっている状態が、一気に暴発する瞬間、これって相当ピンチですよね。

これがチェーホフの真髄なので、私たちはチェーホフの芝居の稽古をするときは、ただひたすら即興を重ねます。

それぞれの役の状態で、台本には書かれていない環境の中に身を置き、数時間にわたってその状況を自分の役で生き抜きます。

そうすると、それぞれの役の関係性がどんどん明確になっていき、台本には台詞として書かれていない、裏の部分が(55/100参照)実感として積み重なってきます。

この授業を担当する先生が、チェーホフとは別の機会に、もう一つ行ったのがDevised Theatere(創作演劇)です。

これは、通常二つのチームに分かれている学年生徒24名が一堂に介して、一つの設定の中で即興を重ねていき、そこから脚本を作っていき、上演するという授業です。

今となってはなぜこの題材にしたのか思い出せないのですが、
「小学校で起きた無差別殺人事件の、加害者と被害者家族の和解プロセス」
でした。
ヘビーですよね…

私たちは、加害者、被害者家族、ファシリテーター(調整官)の3つのグループに分けられました。

それぞれに役作りをして、バックストーリーや動機などを作り込んだ上で、24名全員が一つの部屋に軟禁されます。

何かしらの出口が見当たるまで、部屋から出ることはできません。

つづく…




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