音楽家よ! ジャンルは存在しない!
ジャンルはない
初めまして。私は津本幸司という老人です。昔は音楽家をやっていました。学生の頃、ジャズ専門の大学やクラシック専門の大学を出ました。(バークリー音楽大学と東京藝術大学)そして、私自身、幼少時からプログラマーであり、文学好きの理系文系二刀流です。そして、高校生の頃はコーラス部のでテナーとピアノ伴奏をやっており、アメフト部の連中より足が速かった文化系体育系の二刀流です。今は引退しましたが40代までトライアスロンをやっていました。
幼少期から「ジャンルはない」と教わりました。
特に音楽のジャンルは「レコード屋さんで探し安くするための手段」でしかないのです。
こちらの書籍で書いていますが、図書館で借りて読む程度で良いでしょう。
ジャンル分けは障害になる
「自分はジャズの奏者だ!」「自分はクラシックのピアニストだ!」と自分にジャンルの名前を付けるということは、他のジャンルをブロックしているということに他なりません。
さらには「自分はピアニストだ」というのはピアノ以外の楽器の可能性をブロックしているに過ぎません。
文系だ! 理系だ! 文化部だ! 体育会系だ! というのもすべて対照的な方向をブロックする言い訳を作っているのです。
すべて音楽家
音楽家はすべて分け隔たりのない「音楽家」なのです。このように大きな視点で存在しておかないとあらゆる可能性を見落とすことになります。
さらには芸術家
個人的には「音楽家」と言う時点で限定していると思っています。「私は芸術家」と言うのが正しいと信じています。音楽家だから絵は描かない、音楽家だから視覚的美的センスは備わっていない、音楽家だから運動は苦手・・・・・・あらゆる言い訳を可能にしてしまいます。そう、可能性を潰しているのです。
このような言葉
私は言語学としてソシュールを勉強しましたが、そこまで専門的な知識は不要です。フランス語では「蝶」も「蛾」も「パピヨン」です。この意味が分かりますか?
言葉で自分を限定しないで
これが言いたいことです。
まとめ
モーツァルトはクラシックだから、ロックギタリストには関係ない・・・このような発想になってはいけません。
瀧廉太郎は歌曲と少数のピアノ曲しかないから、ヴァイオリンの私には
関係ない・・・もったいないです。
ガーシュウィンはジャズだから、クラシック奏者には関係ない・・・可能性を潰さないで。
すべての音楽家がどのように音楽哲学を磨くべきか・・・100人の生き様から学べるワークにしました。
ご利用ください。
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