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#52 『会議』の科学

2024年4月某日

新年度も始まり、社会人・学生のみなさんは、会議ライフをエンジョイしているだろうか。オンライン会議が普及したことで、遠距離会議は随分便利になったが、最近はリアル会議も復権しているように感じる。

さて、最近、ふとこんなことを感じた。「筆者の周辺には、『会議』が好きな人があまりいないのに、あまりにも多くの『会議』が開催されているのはなぜだろうか」ということである。あまりにも擦られたテーマであるが、今一度、会議の価値について考えてみたい。まず、インターネットで「会議」の意味を調べてみた。

かい‐ぎ 【会議】
① 会合して相談、議論すること。また、その集まり。
② ある事項を評議するための機関。

コトバンク

会議にはどうやら、「相談、議論などの『行為』」と、「機関などの『組織』」という2つの意味があるようだ。なお、筆者が議論しているのは「行為」として会議である。「行為」としての会議では、「相談」と「議論」が含まれている。このことから、会議とは、1人ではアイデアや答えが出ない状況へのソリューションであり、複数人の知見を持ち寄り、「相談」を通じてアイデアの幅出しをすることや、「議論」を通じて知識を積み上げることを目指す行為であると解釈できる。

しかし、である。筆者がよく参加している会議の多くは「共有」「報告」を中心とするものが多い。これは、事前にメールで送信された内容から情報が増えていないことに加え、そもそも(ここでいう)「会議」の定義に当てはまっていない。ゆえに、この状況を改善するためには、会議に参加する個人が「事実」に加えて「意見」を持ち寄り、「報告・共有」を「相談・議論」に進化させる意識が必要なのかもしれない。

そのような前を向いた会議、筆者も「行けたら」行きます。
ほなら。

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