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かたちがある。かたちがない。

世の中にはいろいろな”かたち”があります。
まる・さんかく・しかくなどの図形的な”かたち”、物質的なものと性質的なものの有形無形の”かたち”...、大きく分けてこの2つが僕の中にあります。

ネットのgoo国語辞書で調べてみると、以下のように掲載してありました。

①見たり触れたりしてとらえることができる、物の姿・格好。物体の外形。
 「山の美しい―」「影も―も見えない」
②㋐まとまり整った状態をもって表にあらわれた、物事の姿。形態。
 「合議制の―をとる」「文章の―を整える」
 ㋑実質に対して、表面上の姿・格好。外形。外観。また、体裁、名目。
 「―にこだわる」「代表という―で出席する」「―だけの夫婦」
③物事の結果としての状態。「どっちつかずの―になる」
④人に対する姿勢や態度。「―を改めて話す」
⑤容貌 (ようぼう) 。顔だち。器量。また、容姿。「姿―の美しい人」
⑥美しい容貌。また、美貌の人。かたちびと。「―を好ませ給ひて」

...1つの言葉だけでたくさんの意味を持つというのはこういうことで、言葉の捉え方で解釈が変化し、コミュニケーションの齟齬が起きるのも納得できますね。日本語、というか言葉は難しい...。

...っと、そんなことはおいておいて、本題へ。
僕が今回お話するのは、①と④に関してです。

今日、僕は国体のある競技のレースに参加する友人の応援で栃木県に来ています。(これは古河のマックで書いています。)

みなさんの”応援”は”かたち”がありますか?ありませんか?

例えば、友人の出場する大会を観戦しに行くとき、スポーツ飲料などを差し入れをしますか?大事な試験を控えた友人にメッセージを送りますか?

「もしかしたらありがた迷惑かもしれない...。」
「かたちのあるもので何かしないと後で何か思われそう...。」

そんなことをぐるぐるしてめちゃめちゃ迷う、ぐるぐるするという人はなかなかに多いのではないかと思います。かくいう自分もその一人です。
せっかく差し入れしたのに微妙な顔をされた時や、メッセージを送ったのに必要ないと無下にされた時にはさらっと傷つきますからね。。。笑

その応援される側は目の前のことに必死で、こちらに構っていられない状態なので仕方ないと言えば仕方ないのですが...笑

なので、僕は自己満足で行うようにしています。
当然、その応援する対象となる人がどんな性格なのかを考慮したうえで、どのようなかたちで応援するかは決めますが、それ以上には無駄なことは考えないですし、相手にどう思われるかも考えないようにしています。

人の心はどこまで行ってもわからないですし、結局は全ての応援は自己満足でしかない。だから、自分が「こうしたいな!」と思うかたちで応援する。

身近な人への応援はその人を想う心から始まるので、言ってしまえばかたちがあってもなくても何も変わらない。すべては心が大切なのです。

大きな話にもっていけば、途上国や恵まれない子供たちへの支援も、金銭的・物的な支援だけじゃなく、ごみを減らすことや正しい情報の拡散に協力することなども、立派な1つのかたちです。

かたちがある、ない。目に見える、見えない。
自分なりのかたちをもって、いろいろなものを支えたいものです。

では、友達の応援に、行ってきます!

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