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📖夏目漱石『夢十夜』第九夜①

※※ヘッド画像は 晴川やよい さまより

夏目漱石『夢十夜』第九夜は、御百度参りの話が印象的である。

〈語り手〉の母親が、〈語り手〉の父親の安全祈願に御百度参りをする。それも夜中の神社で、泣きわめく赤子(=〈語り手〉)を柱に括りつけながら。もちろん何日も同じことをしているはずだ。御百度参りというのだから、百回も参拝する必要がある。

〈語り手〉にとっても、母親にとっても、壮絶な体験であるのには違いない。が、話の続きもまた不気味である。〈語り手〉は「父親はとうの昔に浪士に殺された」と夢の中で母親から聞かされるのだ。

では、〈語り手〉が柱に括り付けられながら見ていたあの”御百度参り”は何だったのか? 時系列を考えるだけで、頭がグチャグチャになりそうだ。

第九夜の筋は、おおよそ、こんなものだろう。だが物語の細部に踏み込む前に、ひとつ「御百度参り」の説明をしておきたい。

御百度参りについて

「御百度参り」というのは、同じ神社に百回お参りする儀式のことである。たいていは安全祈願や健康祈願のために、百日間の参拝をする。急を要する場合には、必ずしも百日間お参りする必要はなく、より短期間に百回分を済ませてしまうこともある。

現代でも御百度参りに積極的な神社として、石切劔箭神社いしきりつるぎやじんじゃが知られている。昨今では「石切丸いしきりまる」という刀が奉納されている神社としても有名だろうか。

本殿前の参道に「百度石」という石標せきひょうが置かれている。昔であれば、そこに何かしらの目印を置いて、回数をかぞえていたのだろう。

たが、現代でも深夜の御百度参りというのは危ない。また、どうしても参拝には時間がかかる。その点で迷惑をかけないようにしたい。加えて、感染防止にも配慮せねばならない。それぞれの神社仏閣の案内にしたがってくだされば幸いだ。

それでは、第九夜の話に戻ろう。

第九夜の詳細な説明

今回は、第九夜の本文を3つのパートに分けて紹介することにしたい。第九夜の内容は以下のように大別される。

① 父親が出ていったいきさつ(最初の3段落)
② 母親の御百度参り(本文の大部分)
③ 〈語り手〉が夢で伝えられた真実(最後の2文)

そこから、父親、母親、〈語り手〉の人物像を明らかにしてみたい。

① 父親が出ていったいきさつ

冒頭では父親の話を伏せていたが、実は父親が出ていった経緯は本文に書かれている。該当箇所を引用してみたい。

 世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争いくさが起りそうに見える。

 家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床とこの上で草鞋わらじ穿いて、黒い頭巾ずきんかぶって、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞ぼんぼりが暗い闇に細長くして、生垣いけがきの手前にある古いひのきを照らした。
――『夢十夜』第九夜 青空文庫

きな臭い時勢であったらしい。大規模な戦争は勃発していないようだが、治安は最悪なのだろう。〈語り手〉の父親も、そういった社会状況に呑まれ、危険な仕事をしているようだ。月明りもない真夜中に覆面して外出せねばならないことから、そう読み取れる。(忍者やスパイと同じような仕事をしているのかもしれない。)

また、父親は戦果をあげたところで、何の名誉も得られなさそうだ。忍者やスパイの活躍が秘匿されるのは当然の話である。しかし、私にとってはどうにもスッキリしない。それ以上の意味があるように思う。

これは一つの解釈でしかないが、この話自体が「名誉の戦死というものはない」ということを物語っているように見える。父親の死は戦争の前に起きたが、一般の兵士にも同じことが言えそうだ。彼らがいくら活躍しようとも、誰もその名を覚えてはくれない。

途中だが……。

思っていたよりも記事が長くなった。中途半端ではあるが、ここで一旦休憩としたい。後半では、この記事の内容を踏まえつつ、②と③の話をしていこう。今回は父親の話が中心となっていたが、次回は母親と〈語り手〉について焦点を当ててみたい。


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