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小説探訪記14:激変する時代の中で

 激変する時代において、私はどんな文学作品を読んでいけば持ちこたえられるだろうか。あるいは、過去の作家たちはどのようにして過酷な時代をやりすごしてきたのだろうか。(ときにやり過ごせずに亡くなってしまう作家もいる。芥川龍之介がその代表例ということになるだろうか。)日々、国際情勢に関するニュースを聞くたびにそう感じる。

 今年(2023年)の3月3日に大江健三郎氏が老衰により亡くなった。訃報が発表されたのは3月13日のことである。私は大江氏の死を悼む一方、老衰で没したことに安堵を覚えた。少なくとも戦争や疫病に巻き込まれる形での最期にならなかったのは、幸運だったように思う。

 大江氏の逝去と対比して思い出されるのは、ミハイル・ゴルバチョフ氏の最期である。ゴルバチョフ氏は去年(2022年)の8月30日に亡くなった。ソビエト連邦をある程度は平和裏に解体したにもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻を目撃して亡くなった。戦争に反対していたのは確かであるが、本人がどのような心情でいたのか、その機微まではわからない。しかし、ある種の悔しさを感じていたのではないかと想像される。

文学作品が読めなくなっていく

 最近はAIサービスと接する時間が増えたせいか、あまり読書に割けるだけの集中力や時間を持てなくなってしまった。国際情勢が緊迫していく中で、文学作品を読むことに集中できなくなったということもある。文章もしばらく書いていなかったので、執筆するだけの気力も落ちてしまった。それに対する焦燥感もあった。

 3月中に読めた作品は、大江健三郎『洪水はわが魂は及び』の1冊だけだった。他にも何冊か小説を読んでいる。だが、どうにも頭に入ってこなかった。現在の私はグローバルな恐怖心というものを抱えている。それに応えてくれたのは『洪水はわが魂に及び』の1冊だけで、他の小説は応えてくれなかったからかもしれない。

核時代の人類が根源的に抱えている恐怖や不安を”胸の高さにある魂まで浸してしまう洪水”に喩えつつ、核シェルターに住む主人公の親子や「自由航海団」といった若者の団体の行く末を描いていく。薄氷を踏むような時代が戻ってきた現在に読みたい一作。

 私が上記のような感想を抱いたのも、一種の妄想じみた恐怖心を持っていたせいだ。こんなにも現実離れした不安を対面で人に話せるわけがなく、この場所でしか吐露できなかった。

 ふたたびリラックスして文学作品を読めるだけの余裕が戻ってくるのだろうか。

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