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ヨガと煙草 Ⅰ 有機農業研修生時代(全5話)

これから始まる物語はわたくしteruchiteruteruの24歳頃から今、現在に渡るお話です。ヨガマスターでもなく仙人でもなく人間ど真ん中なわたくしの在りのままな姿をご覧いただけたらと思います。ではヨガと煙草(全5話)第一話。はじまりはじまり~🧘‍♂



ぼくは畑の上に立っていた。その時ぼくは24歳。1年前から町田鶴川にある営農団地の一画で有機農業研修生をしていた。
母の知り合いで健康食品、農業資材として天日干し天然塩から抽出したミネラル液を販売しているM田さんという方がそのミネラル液の実験農場で
堆肥作りや野菜への葉面散布、鶏の飲水にと試験をするための無農薬有機農業の畑を運営していたので、インドから帰国後ぼくはそこに転がり込んでいたのだ。


写真はイメージです。
畑にはたくさんの猫と
一匹の犬もいた。


そのM田さんからぼくが畑に来始めて一年した頃、「畑を半分使って独立してみないか」と声をかけられた。実験農場は生活出来るレベルではなく、三反ほどの小さな畑だ。それをさらに愛知県から来ていた先輩と分けた面積がぼくの畑となる。前々からの野菜宅配のお客さんはぼくが受け継いでいいと言う話だった。(もう一人の先輩は経営的な事に興味はなく、ミネラルの化学的な事に関心があってきていたのでお客さんは全て譲ってくれた。)
ぼくはやってみようと思った。畑へは実家から通っていて、生活は変わらず親ががりになってしまうがいい経験になると思った。
ほくが大学を出て初めて勤めた会社はあっという間に倒産していてぼくは退職金等の債権者になっていた。その頃に丁度裁判が終わりいくばくかのお金が入ってきたので、幌付き軽トラックを購入した。これで配達も出来る。


この時もぼくは坊主頭。
軽トラックとは沖縄八重山諸島の竹富島に引っ越して
島を離れるときまで愛用した。


独立スタートの日にちが決まった。農園の名前は《てるてる農園》。ドキドキして不安になったりしていたぼくは何か依存するものが欲しかった。

「タバコ吸おうかな。」

ぼくは一度も吸ったことがないというわけではなかった。学生時代吸ったことは無かったが、初就職の会社の倒産後、長野のレタス農園にレタス刈りのバイトに行った時出会った友人に煙を吸うということを教わっていた。インドネパールの旅でも別の煙は吸っていた。

友達からもらって吸ったことがあるアメリカンスピリットの黄色を自分のタバコに選んだ。
ゆっくりと吸い込み吐き出す。



インディアンになった気分である。
畑の作業の休憩時間、青空を眺めながら、戯れる猫たちを見ながら、夜は月や星を見ながら、ぼくはタバコの煙を楽しんだ。

             


           《 続く 》




煙草は本当に悪いのか!?

煙草の煙が他者にとって
不快であることは
間違いない。



畑で吸うタバコは
最高だらぁ!




続きます!!


ナマステ( ´ー`)y-~~


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