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アート独り言。(ロートレックとその時代)

久しぶりに美術館へ。
ありがたいことに目まぐるしい日々。
そんな中でもインプットは自分にとって重要だ。

雨の美術館が好きだったりするけれど、今日は快晴。空の青さと庭園の緑、白い建物が本当に美しい、岐阜の美術館。

三菱一号館美術館と共同企画された「1894 Visions ロートレックとその時代」
美術が良くわかってない私の個人的感想。

展示が物凄くカッコいい。いきなりギュスターヴの「ピエタ」である。
少し迷路のようで、パリの雑踏の中にいる感覚だった。
「匂い」や、「雑音」などを錯覚しているような感じだった。人々の何気ない生活が作品を通して伝わってくる。

リトグラフの作品は時代の象徴のようで、色使いも素敵。様々な事が抑圧されていた時代から、解放されて一気に進化していく、歴史を垣間見るようだった。
大好きなムーラン・ルージュの世界に胸がときめいた。

リトグラフという技法?は詳しくはわからないけど、インクを重ねて作られている。試し刷りと完成形が並べて展示してあり、また「トンボ」も見られて印刷やデザイン関係の人にはシビれる展示ではなかろうか。

そして、所蔵作品で重要文化財に指定された「裸婦」も再び見ることが出来た。以前、アートフォーラムで前館長のシンポジウムにもこの作品の話が出た。
森の中にある不自然さ、ポーズの不自然さ。見れば見るほど不思議であった。まあ確かに不自然なところもあるが、あの光の当たり具合など、なんとも言えない素晴らしさだ。そしてこの時代に描かれた事に大きな意味があるのだろうか。

同じく、所蔵作品のルドン。モノクロ作品のイメージだったが、次第にパステルや油彩も現れる。隣にいた紳士が「この人、カラーってイメージない!」と思わず言葉を漏らしていた。

先に書いた「裸婦」の作者が描いた「浦島」。浦島といったら浦島太郎という浅はかな私の想像とは裏腹に、西洋画になっていたのは面白かった。

昔は、表現する内容も抑圧され、技法も限られたもの。発表の場も、もっと限られていた。
それが今はデジタルなどで色んな技法もあるし、誰でも自由に作品が公開出来るインターネットがある。

嗚呼、こんな恵まれた環境にありながら、自分は色んな事を怠り過ぎている。そんな反省が頭の中にまわり始めた。

工夫に工夫を重ねたプロの展示にも圧倒された。

その後、所蔵品展へ。先日亡くなられた篠田桃紅の作品。墨と銀泥で描かれたダイナミックな作品。そこには命、魂が物凄く渦巻いていてゆっくり見ることが出来なかった。以前円空大賞で同様な感覚で不安になり、早々に退出してしまった。

最後にAIMへ。作家が滞在制作している。事前知識なく入り、良くわからなかったが以前見た「フォトグラム」の制作中であった。作家さんは「サイアノタイプ」のワークショップ中で不在。
以前別の場所で体験したが、物凄く楽しかったので、知らなくて残念。

久しぶりにタップリ吸収して満足だった。

まだ沢山の準備が残っているけど、あと少し頑張ろう。


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