ドン・ゴリゴリ

ドン・ゴリゴリ

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もういいよ

まだ学生だった二千年頃、下北沢の駅前で泣いている娘を見かけた。「どうしたの」などと訊くような勇気も興味もなく、なんとなく眺めながらタバコを一本吸って、待ち合わせ…

三、

 その「今度」の前日、タッペイさんから電話があった。 「ナニしてる?」 「ヒマしていますよ」 五分後にドアのベルが鳴り、開けるとタッペイさんが開口一番、 「どう…

二、

ここでタッペイさんは両目を見開き僕を指差して言った。 「マジックマッシュルームだよ。お前知ってる? ヨーロッパとかアメリカだと違法だけど、日本ではまだ合法なんだ…

一、

 タッペイさんがロンドンから戻ってきて英会話教室を開くとは、あのタッペイさんを知っている僕からすれば想像できることではなかったが、しかし同時によくよく考えてみれ…

ムネハルの夏 ー壱ー

ぼくはまったくそんなつもりはなかった。 「みちこちゃんはそんなこというからお母さんが死ぬんや。」 ぼくはその後すぐにみちこちゃんが大泣きし始めて、なにがなんだか…

確実に英語が話せるようになる方法

いきなり強気なタイトルですが、手短に、僕の信じる絶対的な英語の勉強方法をお教えしたいと思います。 皆さん、お忙しいと思いますので、本当に手短に行きます。では、 …

コンちゃんがすくすくと育ってくれている。世界はめまぐるしく動いているが、この小さな世界は平和を保っているよ。

三、

よし、これにしよう、と言って私が取り出したのは妻の弟ーー私の義理の弟ーーがニューヨークから送ってくれたシャツであった。チェック柄の春らしい色合いに私はこれはいい…

二、

私はもう一度時計を見た。午後五時を五分過ぎていた。後二時間も経てば妻が帰ってくる、そう思うと、少し嬉しかった反面、焦りを感じた。私は、二時間の間に何をしようと考…

一、

振り返ってみれば、今年ほど最悪な年はあっただろうか、と毎年思う。 それはただ単に、私が非常に陰湿な人間であるからなのか、それとも現実に、年を取るにつれて気分が乗…

十五、

最後に、婦人との思い出として忘れられないことがある。 婦人があの街で一番おいしいスコーンがあるというそのティールームで、私たちはにいつものように一時間ほど話して…

十四、

あの大学の図書館、そしてその電話番号を探した。電話をかけた。知りたい内容を伝えると電話の主がお待ちくださいませ、と言った。待っている間に私はいろいろなことを考え…

十三、

書き置きにはこう書いてあった。 ーーお腹が減ったでしょう? これ食べてちょうだいね。 それだけだった。そして、スコーンがいくつか置かれてあった。私はそのスコーン…

十二、

気がつくと雨は止んでいた。息子を連れ出して外を散歩するのもいいと思ったが、そういえば先週から続いていた雨のため洗濯物ができておらず、妻から今朝出かけるときに、も…

十一、

父と母が最終的に、私が中学二年の時に離婚するまでの間、愛し合っていたかということは、離婚という結果から考えればもはやどうでもいいことのように思えた。母は最後にこ…

十、

婦人のことを思い出すと私は、少し胸が苦しくなった。時計を見ると既に午後三時を過ぎていた。そろそろこの国の人たちは昼食を終え仕事に戻るかもしれない。老人たちは昼寝…

もういいよ

まだ学生だった二千年頃、下北沢の駅前で泣いている娘を見かけた。「どうしたの」などと訊くような勇気も興味もなく、なんとなく眺めながらタバコを一本吸って、待ち合わせの喫茶店へと向かった。遅れちまう。

深夜でもコーヒーが飲めると当時では割と貴重な存在だったブーフーウーでは松本さんがカレーを食べていた。コーヒーの後で。

「待ちましたか」

「ううん、全然」と松本さんは返したが、目の前にはタバコの吸殻が

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三、

 その「今度」の前日、タッペイさんから電話があった。

「ナニしてる?」

「ヒマしていますよ」

五分後にドアのベルが鳴り、開けるとタッペイさんが開口一番、

「どうだった?」

「すごかったですよ」

 僕はあの日の翌日、たしかにタッペイさんに言われたように酒と一緒にではなく、空腹時に水で「切り干し大根」を飲んでみた。初めて試したマジックマッシュルームは、

「でも正直、あんまり覚えていないで

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二、

ここでタッペイさんは両目を見開き僕を指差して言った。

「マジックマッシュルームだよ。お前知ってる? ヨーロッパとかアメリカだと違法だけど、日本ではまだ合法なんだって。すごくね? ま、リュウは『おれはサイケはちょっと苦手だから』とかカッコつけて言ってやんないみたいなんだけどさ、『サイケ』って響きがよくね? ジミヘンとかドアーズとかのサイケのことだろ? オレが好きなバンドばっかりじゃん。オレにはたぶ

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一、

 タッペイさんがロンドンから戻ってきて英会話教室を開くとは、あのタッペイさんを知っている僕からすれば想像できることではなかったが、しかし同時によくよく考えてみれば、あのタッペイさんならありえることかもしれないと思った。

 もとを辿ればタッペイさんとは、僕が大学一年のときにはいったテニスサークルで出会ったはずだが、タッペイさんがテニスをしている姿が全く僕の記憶にないということは、タッペイさんがそも

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ムネハルの夏 ー壱ー

ぼくはまったくそんなつもりはなかった。

「みちこちゃんはそんなこというからお母さんが死ぬんや。」

ぼくはその後すぐにみちこちゃんが大泣きし始めて、なにがなんだかわからなくなって、ぼくはいつものようにただ、「わるぎはなかったんです、ごめんなさい。」と佐藤先生に棒読みで謝った。

みちこちゃんのお母さんがその前日に、本当に脳卒中で亡くなっていたということを知ったのは、うちのお母さんが夜、そうめんを

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確実に英語が話せるようになる方法

いきなり強気なタイトルですが、手短に、僕の信じる絶対的な英語の勉強方法をお教えしたいと思います。

皆さん、お忙しいと思いますので、本当に手短に行きます。では、

一、リスニング

絶対にリスニングです。耳から学ぶのが一番です。というのも、耳から学べば発音がわかります。英語は、単語のスペルと発音が一致しないことが多いため、読み書きを中心に学ぶと「スペルは完璧、発音はダメ」になってしまいます。ですの

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コンちゃんがすくすくと育ってくれている。世界はめまぐるしく動いているが、この小さな世界は平和を保っているよ。

三、

よし、これにしよう、と言って私が取り出したのは妻の弟ーー私の義理の弟ーーがニューヨークから送ってくれたシャツであった。チェック柄の春らしい色合いに私はこれはいいかもしれない、と思った。が、着せてみれば思ったよりも小さくて、息子の動きが鈍い。

では、変えなければならないと、もう一着、同じく義理の弟が送ってくれたTシャツがあったのでそれを取り出した。そこにはNew York City、と書いてある。

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二、

私はもう一度時計を見た。午後五時を五分過ぎていた。後二時間も経てば妻が帰ってくる、そう思うと、少し嬉しかった反面、焦りを感じた。私は、二時間の間に何をしようと考えた。

買い物にでも行こうか。まずは子供の服を取り替えてーーというのも、朝から変えていない息子のパジャマには、食べ物のカスなどが首口の首回りにみっちりと付いていて、とても表を歩けたものではなかった。

こんな汚れたパジャマで外に出てしまえ

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一、

振り返ってみれば、今年ほど最悪な年はあっただろうか、と毎年思う。

それはただ単に、私が非常に陰湿な人間であるからなのか、それとも現実に、年を取るにつれて気分が乗らない、もしくは昔は楽しかったと思えたようなことが起こったとしてもそれを単純に受け入れることができなくなったのか、それとも、私が単純にうつ病なのか、その理由は、私が心療内科に行くまでは、はっきりとしないのだろうが、いや、どうしても、そうい

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十五、

最後に、婦人との思い出として忘れられないことがある。

婦人があの街で一番おいしいスコーンがあるというそのティールームで、私たちはにいつものように一時間ほど話していた。ふと、何かを思い出したように婦人が訊いた。

「日本には、もちろん私は日本語でそれを何と呼ぶのかは知らないけど、ゴールドフィッシュをそっと捕まえるやつがあるじゃない?」

私が、「金魚すくい のことですか?」と訊き返すと、夫人は

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十四、

あの大学の図書館、そしてその電話番号を探した。電話をかけた。知りたい内容を伝えると電話の主がお待ちくださいませ、と言った。待っている間に私はいろいろなことを考えた。突然、ガタンと洗濯機の止まる音がし、私は酷くびくついた。息子は静かにベビーベッドの中で眠っていた。程なく、電話の向こうから声がした。
「申し訳ございませんが、個人情報のため、お答えすることができません」と言った。私は記憶の網を手繰り寄せ

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十三、

書き置きにはこう書いてあった。

ーーお腹が減ったでしょう? これ食べてちょうだいね。

それだけだった。そして、スコーンがいくつか置かれてあった。私はそのスコーンの入ったビニール袋を掴んで、外へ出た。滞在先のアパートで私はティーバックの紅茶とともにスコーンを食べた。紅茶はもちろんなんてことはなかったが、スコーンは私がこれまでどのティールームで食べたものよりおいしかった。

翌日、まずはお礼を言お

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十二、

気がつくと雨は止んでいた。息子を連れ出して外を散歩するのもいいと思ったが、そういえば先週から続いていた雨のため洗濯物ができておらず、妻から今朝出かけるときに、もし雨が止んだら子供服だけでいいから洗濯をしてほしい、と言われていたことを思いだした。時計に目をやるともう既に午後の四時を過ぎていた。しかし、この国では、特に夏の間は日が長く、夜は、大体九時半ぐらいまではまだ明るい。日差しも強いので、おそらく

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十一、

父と母が最終的に、私が中学二年の時に離婚するまでの間、愛し合っていたかということは、離婚という結果から考えればもはやどうでもいいことのように思えた。母は最後にこう言って家族会議を閉めた。「お母さんね、もう疲れちゃったの」父は何も言わなかったが、祖父の葬儀の際にこう言った。「お父さんは離婚したくなかった」私にはそのどちらもずるく、自己中心的で、自己正当化的なセリフに思えてならなかった。弟と妹はおそら

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十、

婦人のことを思い出すと私は、少し胸が苦しくなった。時計を見ると既に午後三時を過ぎていた。そろそろこの国の人たちは昼食を終え仕事に戻るかもしれない。老人たちは昼寝の時間に入るかもしれない。私はもちろん、子どもを世話する役目があるので昼寝をするわけにはいかないが、こうやって白昼夢に任せて、過去と現在を行ったり来たり、まるで遊覧船に乗っているかのような浮遊感を感じながら、普段は午後の暖かい日差しを背に受

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