二、

私はもう一度時計を見た。午後五時を五分過ぎていた。後二時間も経てば妻が帰ってくる、そう思うと、少し嬉しかった反面、焦りを感じた。私は、二時間の間に何をしようと考えた。

買い物にでも行こうか。まずは子供の服を取り替えてーーというのも、朝から変えていない息子のパジャマには、食べ物のカスなどが首口の首回りにみっちりと付いていて、とても表を歩けたものではなかった。

こんな汚れたパジャマで外に出てしまえば、この国のお節介な住民の誰かが市役所にちくり、私は育児放棄の罪を着せられ、下手をすると監獄行きになるかもしれない。ゆえに、子の洋服を変えなければならないのだ。

子供の洋服を変えるというのは、育児の中でもかなりの重労働であるから、私はあまり好きではない。もし好きであれば、一日中、子供がかぼちゃの食べかすで黄色く汚れたパジャマを着続けているわけはないだろ? だろ? 

しかし、こんな子の様子を見られれば、道行く赤の他人の通報とは種類が違えど妻にはたいそうひどいお叱りを受けるに違いない。

一体どのように今日は罵られてしまうのだろう、

と考えるだけで私は膝をくっつけ震えた。私はそうやって、内股で、やはり妻という絶対権力に対して怯える。そして、それがゆえにのみ、我が子の服をしぶしぶ変えるような父親なのだ。

はぁ......

というため息さえも弱い。

我が家は、子供が生まれてから引っ越したということもあり、一応、一丁前にも子供部屋のようなものがある。義母の知り合いの人から借りているため、少し安くしてもらった。玄関のドアを開けて右側にすぐバスルーム兼トイレがあり、左側にその子供の部屋、あと広めのリビングと私たちの夫婦の寝室、そして台所がある。

一応どこの部屋からもドアを開けてしまえばある程度見渡せる、というのも幼い子供を持つ私たちにとってはありがたい。

というわけで私はソファーを立ち上がりなく子供が泣いたので腕に抱え、子供部屋と向かった。

子供部屋には子供の洋服をしまう巨大なタンスがある。私はその中身をよく把握していないため一番上から一つずつ開けて見ていかなければならない。

一番上には靴下、ハンカチ、タオルなど、その次には今着るべき夏物の服たち、その下に冬物の、もう来年は入らないのだから捨ててしまえば、と私が訊いたような服たちがあった。

わたしはそう言ったのだが、妻は一様のため、と言って聞かなかった。私が子供がもう一人欲しいの? と訊くと、今はそんなこ考えたくない、と言う。そこで、私が考えたくなければ捨てちゃえば、と言うと、うるさいから黙ってて、と言われるのであった。

私はその論理が一切理解できずに、

「うちは部屋も小さいし、子供の新しい服で、このベッドの上まで洋服が溢れているじゃないか、さっさと古い服を捨ててしまえば、そこに空いたスペースに、この新しい頂き物たちを入れることができるだろうに」

などとぼやいていると妻が、

「あなたがきちんと、こういうふうに折り畳んでしまえばちゃんと入るのよ」

と言って今度は怒りの矛先が私の洋服のたたみ方と向かうのであった。

まぁ、確かに言われてみれば、そしてタンスの中をよくよく見てみれば、きちんと畳まれているので、このようにしっかりとしまわれているのかもしれないな、などと妻のたたむ技術を少し褒めようとしてみたが、しかし、そもそも、やはり物が多すぎるというのはすべての間違いの始まりであると思ってしまう私は、溢れるもうおそらく着ることのない服たちーー次男が生まれれば話は別なのだが、二年後もしくは三年後、もしくはそれ以上後に生まれる我が二人目の流行遅れの洋服姿を想像するだけで少しかわいそうになるーーいやここで私が言いたいのは、私が、洋服の流行などを気にするほどの恥ずかしい男、であるということを言っているのではなくーー誰しもが恥ずかしい男などと自分のこと思いたくないーーだから、とにかく、私は、この中から今、我が子に着せる服を選ばなければならない!

ふう、と私は箪笥を開けた。

しかし改めて見てみれば、よくぞこんなに服を集めたものだと思う。

いっても、自分たちで買ったのはこのおそらく半分ぐらいで、残り半分ほどは、義理の母親、知り合いのおばちゃんたち、妻の友達、妻の同僚、私の両親や、姉が日本から送ってくれた物などであるので、確かに自分たちが買ったものはこの中のおそらく半分ほどもないだろう。が、私たち大人とは違い、新生児というのは、このように洋服をいただいたりすることにより、洗濯の回数や、生活スタイルを考慮して、必要最小限の洋服を購入し管理する、ということがなかなか難しいのである。

どうやら、近い将来の計画さえもできない種類の人間というのは、私一人ではなかったようだ。

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