三、
その「今度」の前日、タッペイさんから電話があった。
「ナニしてる?」
「ヒマしていますよ」
五分後にドアのベルが鳴り、開けるとタッペイさんが開口一番、
「どうだった?」
「すごかったですよ」
僕はあの日の翌日、たしかにタッペイさんに言われたように酒と一緒にではなく、空腹時に水で「切り干し大根」を飲んでみた。初めて試したマジックマッシュルームは、
「でも正直、あんまり覚えていないです」
「ま、そんなもんだよな」タッペイさんはサラリとそう言って、
「じゃ、明日シモキタ行こうぜ」と言いながらトイレへ駆けて行った。
そのあと僕らはいつものように安酒を飲み、タバコを吸い、オアシスやくるりのアナログレコードを聴きながら、結局明け方までまた映画や小説の話をし、腹が減ると近くのコンビに行ってカップ焼きそばとカップラーメンを二つずつ買い、カップラーメンの汁でカップ焼きそばを流し込むというお決まりの〆をした。
タッペイさんは結局うちに泊まって、昼過ぎに起きた僕らは案の定もたれた胃をさすりながらアパートを出て朝霞台の駅まで歩いた。坂道を上りながら、
「トモアキぃ、オレたちはなんでこんなところに住むはめになっちゃったんだろうな」
とタッペイさんが不服そうに言った。
「おれは割と好きですよ、朝霞台」
タッペイさんがいつもいっていたことが本当だとすると、タッペイさんのように九州から出てきた学生は高校生のときには関東の地理などいっさいわかっていないため「東京の大学に入れれば、東京に住める」とみんな当たり前のように思っていて、志望校に合格して部屋を探しに上京してはじめて自分が埼玉や千葉に引っ越すという現実を知ることになるのだという。
例外ではなく僕たちの大学も一、二年のあいだは埼玉県朝霞市にあるキャンパスに通い、都内にあるキャンパスに通うのは三年生になってからのことであったので、東京に行くことを夢にまでみながら必死に勉強をしていたというタッペイさんは、「これは田舎の高校生にとっては、東京にいけるいける詐欺なんだ」と冗談なのか本気なのかわからないトーンで繰り返し言っていた。
タッペイさんは自分自身が大分県の田舎出身という事実は置いておいて、茨城県の田舎出身のぼくをバカにするような冗談をいつも言った。
「コンビニあんの?」
「ないですよ。タッペイさんのところもないでしょ」
「ない」
結局、気がついたときにはお互いの田舎がいかに田舎すぎていいかという「おらが故郷自慢」へとなるのだから僕たちはやっぱり生まれ故郷のことが好きだったのだと思う。そしてそのことを証明するかのように、例えばタッペイさんはゴールデンウィークや夏休みにちょくちょく帰郷するぼくのことを「オマエは近くていいよな」といつもうらやましそうに言っていた。
僕はタッペイさんもできることならもっと頻繁に大分の田舎へ帰りたかったと思うのだ。
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