自己紹介|noteはじめました
50歳でnoteに挑戦
3歳から94歳の家族とかかわりながら生きるSLE患者のモノ書き兼語り人。
絵を描いたり、歌を歌ったりといったクリエイティブなことも大好き。
現在、会社や宮沢賢治の勉強会を運営するとともに、地元で記者や語り部として活動し、元畑をコミュニティスペースに活かそうと模索中。
「難を転じて福となす」がモットー。
半世紀を生き、試練を恵みに転じる生き方をしてきたように感じています。さまざまな経験をし、課題と思われることをよりよい方向に転じ、人と人、自然と人、モノと人など互いを生かし合う環境づくりを目指したいと奔走中。
50歳でnoteに挑戦することにしたのは、自身が今までつくった文章や絵などを届けることで、あなたがよりよく生きるきっかけになってほしいと願うから。
私が発信することであなたに何かが届いたら幸いです。
私の履歴書
私の出身地と家族
1974年、埼玉県行田市生れ。
大学を卒業する1998年まで、両親、祖父母、三姉妹の3世代家族で居を共にする。三姉妹の長女。
祖父母は農業を営み、父は公務員。母は保育士として働いた経歴をもつ。
20代
大学を卒業後、米国で高校の国語の教員として働く。 海外に赴任中、膠原病の全身性エリテマトーデス(SLE)になり、病状悪化させ退職。
30代
帰国後、さまざまな職に就くも、30代前半は入退院(精神科病棟にも2度入院)をくり返す。
30代半ばの2008年に祖父の死、2010年に 姪の誕生という家族の生死に向き合う。
2014年39歳で父が他界。
祖父、父とも死亡原因は末期の 肺癌によるものであったが、そこで介護にかかわる経験をする。 一方、姪2人の誕生により保育に興味をもち、39歳の時地元の幼稚園で障がいのある子ど もの支援の仕事に就く。同時期に宮沢賢治の勉強会の代表にもなる。
40代前半
2015年40歳で福祉関連の通信制大学に編入し、2021年に保育士と幼稚園教諭の資格を働きながら取得。
2016年(41歳)の夏 に妹親子(次女・中国人の義弟・当時年長と年少の姪)が中国から移住し、4世代7人の同居生活が始まる。そ の頃から母の認知機能の異常がみられ医療機関受診する。
2019年頃には母と祖母の確執が深まり、2人の介護負 担も重くなり、社会資源の利用を開始する。
40代後半
2021年3月に幼稚園の仕事を辞め、母と祖母の在宅介護に専念するとともに 末の妹の出産のサポートをする。
さまざまな社会資源を利用し介護を続けるが、何度も限界を感じ、身近な人や 専門職のアドバイスを参考に、母と祖母の入居選択を決断。
2022年の春、2人が別々の施設に入居する。
2022 年7月に母校の家族心理学の授業で話をした後、食事の席で恩師の言葉をきっかけに会社設立を決意。
2022年 12月に株式会社てんを設立し、2023年3月からはウェブ上の新聞記者として仕事を始める。
市内では地域に伝わる昔ばなしの語り部として活動。
自宅の元畑を活かすコミュニティスペース「ゆるのりスペース」開設。
50歳
家族や私の大切な人たちとの生活や仕事、活動などに向き合いつつ、50歳を機に始めたnoteをきっかけに、かき(書き・描き)溜めたものをまとめ、書籍化を目指したい。
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