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【大和魂】11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち【感動】


はじめに

 prime videoで『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』が見放題になっていたので久しぶりに鑑賞しました。10年以上前に視聴済みなのですが、圧倒的に感動しました。日本のことを本当に思って、自分の命すら躊躇いなく犠牲にする方々がかつてこの国に本当に存在したんだな…と、度肝を抜かれる作品です。

 私が三島由紀夫を知ったのは高校生のときで、人づてに「右翼」「ホモ」「切腹」という属性情報を知らされ、当初はあまりいい印象を持っていませんでした。
 しかし、自分自身が軽い吃音を持っていることから、主人公が吃音である三島の小説『金閣寺』を読むに至り、他人の心の動きを自分が経験したかのように表現できる卓越した心理描写と、他に類を見ない繊細かつ大胆な筆圧筆力に魅了されました。

 そこから数年間は三島由紀夫信者と化し、三島由紀夫の小説はおそらくほぼ全部読んでいったのですが(『鏡子の家』は読んでません)、その過程で確かに三島由紀夫は初期の頃は男性同士の同性愛を扱った小説(『仮面の告白』とか『禁色』とか)が多いことを知りました。
 私の感想では、三島由紀夫は作風的に『何かとてつもない生きづらさを抱えている人』を描くのが好きで、しかもそれを可哀想に描くのではなく、残酷なまでにシニカルに表現することで、読者が自ら立ち上がるよう促す作品が多いように思えました。

 生きづらさを描く作品以外には、フランス文学の影響でしょうか、男女の恋愛の駆け引きを徹底して心理描写した作品が多いように思えます(『潮騒』とか『春の雪』とか)。三島の場合、恋愛小説において性描写がほとんどないか、あっさり終わるので女性も非常に読みやすい作風に思えました。

 これらのいずれにも当てはまらないのが、三島の国粋主義的な考えを前面に出した『憂国』『英霊の聲』などに思えました。三島は金閣寺で作家として全盛期を迎え、そのあたりからボディービルを始めて虚弱体質で戦争に参加できなかった肉体のコンプレックスを克服し、自分が日本のために何をすべきかを真剣に考え始めます。
 体を鍛え上げた三島は、それによって大和魂が自身の肉体に入魂された実感を得て、本来の日本人の魂は自衛隊の中にこそ存続していると信じて行動していきます。

 三島の晩年を知ると、超一流の作家としてだけでなく、ひとりの愛国心溢れる日本人として尊敬することができます。本作は三島の晩年を描いた実話再現作品ですが、今更ながら多くの人が観るべき映画に思えましたので、記録したいと思いました。

個人的な評価

ストーリー  S
脚本     S
構成・演出  S
俳優     S
思想     S+
音楽     A
バランス   A+
総合     S+

S→人生に深く刻まれる満足
A→大変に感動した
B→よかった
C→個人的にイマイチ

三島由紀夫について

 三島 由紀夫(みしま ゆきお、1925年〈大正14年〉1月14日 - 1970年〈昭和45年〉11月25日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、評論家、政治活動家。本名は平岡 公威(ひらおか きみたけ)

 戦後の日本の文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、日本国外においても広く認められた作家である。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある。

代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴である。

 晩年は政治的な傾向を強め、陸上自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日(水曜日)、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーで自衛隊員にクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。この一件は社会に大きな衝撃を与え、新右翼を生み出すなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を与えた。

 満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い。


三島の檄文

檄       楯の會隊長  三島由紀夫 

  われわれ楯の會は、自衞隊によつて育てられ、いはば自衞隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行爲に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、學生は三年、隊内で準自衞官としての待遇を受け、一片の打算もない敎育を受け、又われわれも心から自衞隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「眞の日本」をここに夢み、ここでこそ終戰後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂國の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳驅した。このことには一點の疑ひもない。われわれにとつて自衞隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の氣を呼吸できる唯一の場所であつた。敎官、助敎諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの擧に出たのは何故であるか。たとへ強辯と云はれようとも、自衞隊を愛するが故であると私は斷言する。
 われわれは戰後の日本が、經濟的繁榮にうつつを拔かし、國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと僞善に陷り、自ら魂の空白狀態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、權力慾、僞善にのみ捧げられ、國家百年の大計は外國に委ね、敗戰の汚辱は拂拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と傳統を瀆してゆくのを、齒嚙みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衞隊にのみ、眞の日本、眞の日本人、眞の武士の魂が殘されてゐるのを夢みた。しかも法理論的には、自衞隊は違憲であることは明白であり、國の根本問題である防衞が、御都合主義の法的解釋によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廢の根本原因をなして來てゐるのを見た。もつとも名譽を重んずべき軍が、もつとも惡質の欺瞞の下に放置されて來たのである。自衞隊は敗戰後の國家の不名譽な十字架を負ひつづけて來た。自衞隊は國軍たりえず、建軍の本義を與へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか與へられず、その忠誠の對象も明確にされなかつた。われわれは戰後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衞隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衞隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衞隊が建軍の本義に立ち、眞の國軍となる日のために、國民として微力の限りを盡すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衞隊に入り、その翌年には楯の會を結成した。楯の會の根本理念は、ひとへに自衞隊が目ざめる時、自衞隊を國軍、名譽ある國軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衞となつて命を捨て、國軍の礎石たらんとした。國體を守るのは軍隊であり、政體を守るのは警察である。政體を警察力を以て守りきれない段階に來て、はじめて軍隊の出動によつて國體が明らかになり、軍は建軍の本義を囘復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・傳統を守る」ことにしか存在しないのである。國のねじ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少數乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか。總理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、壓倒的な警察力の下に不發に終つた。その狀況を新宿で見て、私は、「これで憲法は變らない」と痛恨した。その日に何が起つたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒嚴令にも等しい警察の規制に對する一般民衆の反應を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を收拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になつた。政府は政體維持のためには、何ら憲法と牴觸しない警察力だけで乘り切る自信を得、國の根本問題に對して頰つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて實をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利點を得たのである。名を捨てて、實をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衞隊にとつては、致命傷であることに、政治家は氣づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる僞善と隱蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。
 銘記せよ! 實はこの昭和四十五年十月二十一日といふ日は、自衞隊にとつては悲劇の日だつた。創立以來二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衞隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議會主義政黨を主張する自民黨と共産黨が、非議會主義的方法の可能性を晴れ晴れと拂拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法の私生兒であつた自衞隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
 われわれはこの日以後の自衞隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衞隊に武士の魂が殘つてゐるならば、どうしてこの事態を默視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衞隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に對する、男子の聲はきこえては來なかつた。かくなる上は、自らの力を自覺して、國の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衞隊は聲を奪はれたカナリヤのやうに默つたままだつた。
 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を與へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に與へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは來ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に關する財政上のコントロールである。日本のやうに人事權まで奪はれて去勢され、變節常なき政治家に操られ、黨利黨略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乘り、より深い自己欺瞞と自己冒瀆の道を歩まうとする自衞隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。纎維交渉に當つては自民黨を賣國奴呼ばはりした纖維業者もあつたのに、國家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衞隊からは出なかつた。
 沖繩返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは眞の日本の自主的軍隊が日本の國土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を囘復せねば、左派のいふ如く、自衞隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒瀆する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の眞姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の價値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の價値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統の國、日本だ。これを骨拔きにしてしまつた憲法に體をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、眞の武士として蘇へることを熱望するあまり、この擧に出たのである。

感想

 三島は自決の一週間前に豊饒の海シリーズ最終作となる遺作『天人五衰』を完成させますが、その結末と三島の人生の最期をリンクさせてしまう自分がいます。
 三島が命を賭けて訴えた今日まで日本が抱えている問題、すなわち自衛隊は違憲であり、北方領土は返還されず、日本政府はアメリカ政府の傀儡的支配下にあり、しかし仮初めの平和と経済的繁栄を優先してそれらの状態を誤魔化し続けている実態です。
 しかし暴力を用いずに体制打破するのは難しく、それゆえに平和を重んじつつ、日本人の精神的美徳の調和的継承が求められて久しいわけですが、日本を存続させていくことができるよう、私も自分なりに努力していこうと思わせてくれる作品でした。

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