見出し画像

「量子のもつれ」を解く鍵となった「コペンハーゲン解釈」はキルケゴールをパクったのか、それとも影響を受けたのか

物理学を勉強した人であればボーアの「コペンハーゲン解釈」について知っていると思います。しかし、この解釈が「キルケゴールの実存哲学」のパクリだということはほとんど知られていません。

これはパクリでしょうか?
それとも、影響を受けたのでしょうか?
同じ行為が違った言葉で表現される理由は何なのでしょう?

西欧における実存的思考は、カントの純粋理性批判に始まります。
では、キルケゴールはカントをパクったのでしょうか?
カントの視点を強化するために東洋思想を利用したのは、東洋思想をパクったということでしょうか?パクることと、影響を受けることはどう違うのでしょうか?

先の記事で、私の記事の内容をパクってYouTubeで自分の意見として発信している方がいることを書きました。人間のクズというのはどうしても出てきてしまいます。意見を発信しても直ぐに誰かにパクられてしまう。小説の盗用も度々問題になっています。芥川賞を取った作品にもパクリ作品がありました。

しかし、そもそもパクることと、影響を受けること(参考にすること)ではどう違うのか?

わたくしは、ボーアはキルケゴールをパクったといつも言っています。
世間の人が知らないのでわたくしが周知しています。オリジナルではない人がオリジナルのようにもてはやされるのはおかしいからです。今度はそのボーアがパクったコペンハーゲン解釈を正しいと証明したアラン・アスペがノーベル賞を取ってしまった。そして、アラン・アスペがベルを証明した!ということだけがやたらと吹聴されています。

ちがうでしょ?と言いたいのです。

そもそも、アラン・アスペはボーアのコペンハーゲン解釈を正しいと証明して、科学の本質的な無根拠さを証明したのです。メディアはそれは言わない。おかしな話です。だから、ボーアのコペンハーゲン解釈はそもそもキルケゴールをパクったことなんて当然まったく報道されることはない。それをすると、キルケゴールも東洋思想をパクったことがバレて結局は東洋思想が正かったことがバレるからです。

東洋のサルの方が正かったという事です。西欧がサルと卑下していた東洋の思想の方が正しかった。この事実は西欧主義のアイデンティティを崩壊させます。西欧主義が合理主義と吹聴したマックス・ウェーバーはペテン師だったのです。

科学主義を否定する報道は絶対にされません。それが結局は現代思想の潮流になっているのに、それを知る人がほとんどいないことが異常です。
それで今何が行われているかと言うと「量子のもつれ」がなんか凄そう!という本質的な議論とは全く違うプロパガンダです。

フリッチョフ・カプラの「タオ自然学」は、思いっきり物理学と東洋思想の類似性を本に書いて世間を震撼させました。しかし、これもボーアのパクリです。ボーアがコペンハーゲン解釈によって実存哲学を物理に応用したのです。そして実存哲学は東洋思想のパクリです。

でも、パクリの連鎖によって西欧主義が瓦解するなら良い事です。
くだらない科学主義にはとっとと崩壊してほしいです。
科学主義の先にあった未来が「ゲノム編集マダイ」であふれる社会でしかないなんてふざけすぎています。ニュートンは世界にゲノム編集リンゴをばらまくために古典物理を誕生させたのですか?この現実を前に、西欧の進歩観念や科学主義の問題に気付かない人は頭がどうにかしていると思います。思考停止のブタとしか思えません。

人間はブタを家畜化することによって人間自身も共進化しブタになってしまいました。このようなことをジェームズ・C・スコットが「反穀物の人類史」に書いています。しかしこのエッセンスもパクリです。
人間が進化しているという進歩観念は嘘ではないのか?という視点は哲学的思考から生まれてきました。ダーウィンやスペンサーは嘘付きなのです。彼らの嘘を露見させたのは、バタイユやニーチェなど、人間の本質をエロスまでさかのぼって考える思想から生まれたの発想です。でも、彼らにも発想の影響を受けた人々はいます。

いかにもオリジナルを装っている思想や考えもパクリであるものが殆どです。でも、南部洋一郎の「自発的対称性の破れ」やニーチェの「ルサンチマン」思想、チョムスキーの「生成文法」は、十分にオリジナリティを備えていると感じます。小保方晴子の「STAP細胞理論」もそうですね。なぜか?

本質的に科学主義という進歩観念を否定しているからです。

彼らの発想も、どこかから影響を受けている発想ではあるのでしょうが、コペルニクス的転回によるオリジナリティを備えていると思います。これは一般的に「パクリ」ではなく「克服」とか「影響」と表現されます。ゲーデルもそうです。数学者が数学を破壊してしまった。笑えてしまいます。

パクリが克服と表現される理由は何か?

科学者がコペルニクス的転回や新たな発想によってみずから科学やら進歩観念を否定する主張をすることが時々起きます。これはオリジナリティを感じさせます。ボーアはパクリですが、科学を破壊したので許されるべきでしょう。

コペルニクス的転回によるパクリ(克服)ではなく、他人と同じ主張をすることは単なるパクリです。自重してください。人間のクズです。STAP細胞理論も日本では社会的に葬り去られて海外でパクられてしまいました。とんでもない話です。

他人の主張をそのままパクるのは止めて下さい。

以上です。

#量子力学 #波動の仕組み #量子 #量子もつれ #エンタングルメント