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「神戸ルミナリエ」と「軍艦島」における辛い歴史のエンタメ化を考える

軍艦島の問題を過去に取り上げた。
日本は、富岡製糸場や軍艦島など、なぜか辛い歴史の刻まれた場所を観光地にしたがる。佐渡金山もそう。

軍艦島に関しては、ユネスコと約束した「強制労働があったことの周知」を反故にしてガチで怒られている状況。ユネスコに強い懸念を表明されてしまった。日本は軍艦島が世界遺産として認められる前に、朝鮮人の強制労働があったことをユネスコでの演説で認めている。つまり、政府の公式見解は、「強制労働はあった」、である。そして、強制労働があった事実を周知することを条件に世界遺産として認められた。この事実を多くの人が知らない。

そして驚くべきは、記念館を作って強制労働があったことを周知すると約束しておきながら、その記念館で「強制労働は無かった」と周知してしまった。もう滅茶苦茶。事実云々よりも、日本の論理性の無さに呆れてしまう。

実は軍艦島を世界遺産として申請するに際し韓国政府との間でも事前に交渉をして、日本が強制労働の事実を認めることで了解を得た経緯がある。これは、韓国政府が、仮に観光地になったとしても、辛い歴史が教訓として受け継がれれば意味がある、と考えたからではないだろうか。

さて、「神戸ルミナリエ」も観光資源化している感があるが、「阪神淡路大震災の犠牲者の鎮魂」としての意味を備えていたり、「震災の恐ろしさが教訓として受け継がれる機会」になっていれば、それはそれでいいような気もする。「意味」さえ見失わなければ、最終防衛ラインは守れている。考え方によっては、観光資源化による「意味」の伝達、という手法はむしろアリかもしれない。

私は最近まで神戸市にいたので一度だけ行ったことがあるが、長い行列に並んでいるときに、めちゃくちゃタバコくさかった。禁煙ではないの?よく知らないけど。それで、実際に見てみると綺麗だった。思ってた以上に綺麗で驚いたのだが、郵便局員がでかい声で年賀はがきを売っていて幻滅した。結局、お祭り化したイベントだと郵便局員ですら思っている様子。まあ、ある程度はしかたない。彼らもノルマを押し付けられている被害者である。ただ、郵便局が率先してエンタメ化してるのには笑った。しかしこれは上で述べたように「意味の伝達」の一部であれば必ずしも問題とは言えないのかも。

こう書きながら、私は本音では、「阪神淡路大震災の犠牲者の鎮魂」のイベントだと本気で考えてたら年賀はがきなんて売れる?不謹慎だなあと思うし、結局は意味がユルユルなイベントだと思う。終点あたりでは露店も沢山出ていて完全にお祭り。「震災の怖さが教訓として受け継がれる機会になっている」とは私には思えなかった。でも、そう言いながら、私はこのイベントが、「震災の怖さが教訓として受け継がれる機会としてのイベント」だと知っているわけで、結局はリマインドされている。だから結局のところ全く意味が無いということはない。

結局は、日本的な意味の伝え方なのかな、と思う。

欧州に行ったときに何気なく入った教会の中の印象とは大違い。
イベントでもなんでもない日常の中にある教会ですら、物凄い重苦しい厳粛な空気が流れていた。祈る人もみな真剣な面持ちだった。それと比べるとかなり差がある。郵便局員があの教会の中ではがきや切手を売っていたら笑える。

一方、台湾ではお葬式にストリッパーが妖艶なダンスを踊りまくる。これはかつてマフィアが葬儀屋を支配していたときに始めた風習という説がある。葬式すらエンタメ化してしまって、陽気に死者を送り出す。
ただ、台湾のストリップダンスも何となく理解できる。楽しく死者を送り出すのは悪くない。葬式という「意味」は忘れられていない。

結局、それぞれの地域で風習や慣習として受け入れられているものであれば、外野がギャーギャー言うのはおかしいのかもしれない。
「意味」さえ守られていれば、あとは、「意味」を伝える方法論の問題なので、方法論としてはいろんな考え方があっていいと思う。

鎮魂のイベントに便乗して楽しく盛り上がってくれる人に、その楽しさの中で少しでも過去を思い出ださせたり、災害の恐ろしさを再度教訓として彼らの心にリマインドできるイベントであれば「意味」はある。そもそも、遺族がそれで問題ないなら全く問題ない(問題に感じている遺族がいれば問題)。それで、私は、「ルミナリエ」に関してはギリギリ狙ってるなあ、という印象。「意味」を最低限守りながら、「お祭り」を最大化している。

ただ、私はこういうのは嫌いなのでもう行かない。メリハリがないのは嫌い。これは個人の見解。むしろ台湾のストリップダンスの方が潔い。日本は意味のあるイベントに便乗して何でも詰め込もうとするきらいがある気がする。鎮魂と教訓とお祭りと年賀はがきと、、詰め込み過ぎではなかろうか。

軍艦島に話を戻すと、日本は辛い思いをした人々の遺族をある意味で代表する韓国政府やユネスコとの約束を反故にしてエンタメ化している。これは神戸ルミナリエとはちょっと違って政府が「意味」を消去した。
過去の記事でも言ったが、そうなると、単に軍艦島がテーマパークになってしまう。「炭鉱労働者が楽しく生活していた場所」でしかなくなる。政府が「意味」を剥奪したことで、結局、軍艦島から価値を奪ったと思う。世界遺産にした意味が結局はなくなった。

意味は重要。

エンタメ化するにしても、実はこの「意味」が重要だった気がする。韓国は賢い。マーケティング国家なだけはある。エンタメの中に意味を残すことで、意味は後世に波及していく。日本は韓国の意図に後で気が付いて、意味を剥奪してしまったのかもしれないが、あまりにも勘繰りすぎではないだろうか。結局、意味を剥奪することで、そもそも世界遺産としての意味がなくなった気がする。「炭鉱労働者が楽しく生活していたマンション群」に、わざわざ見に行く価値があるとは私には思えない。そもそも、観光地化したことで廃墟感ももはやない。

結局、辛い歴史のある場所をエンタメ化しても、歴史や意味が正しく受け継がれるなら守るべき最低ラインは守っているという意味で問題ないし、だからこそ世界遺産としての意味がある気がする。誰かの死、辛い歴史、大変な自然災害、そういう意味や教訓をしっかりと伝えていきながら、それをどのようにやるか、という方法論は皆で話し合って決めればよい。意味さえ失わなければ、何とかなる気がする。

おわり

このテーマは書き始めると結構難しい論点が多く悩みながら書きました。書き始めたので一応最後まで書いて記事にしました。わたし自身はエンタメ化は嫌い。でも、文中にあるように、意味を伝える方法の一つではあると思う。皆さんはどう思う?一人一人が考えてほしい。読んでくれた方ありがとう。






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