雨雪風太

やっぱり授業はすばらしい。授業の可能性を広げていきましょう。 授業づくり/教材研究/教…

雨雪風太

やっぱり授業はすばらしい。授業の可能性を広げていきましょう。 授業づくり/教材研究/教材開発/授業研究/校内研修/教師の成長

最近の記事

対象・他者・自己との対話 三位一体の学び

 学びは対象、他者、自己との対話的実践であるといわれます。それはどういう意味なのでしょうか。対象との対話を問題と向き合うこと、他者との対話を仲間と協同すること、自己との対話を学びを振り返ることと安易に考える人も少なくないと思います。果たしてそうでしょうか。今回は、対象、他者、自己との対話の意味について探ってみようと思います。  まず、対話を次のように定義しておきます。 対話とは、互いの未知に向かって、手探りで言葉を交わすことである  対話とは、自分が知っていることを相手と

    • 世情 中島みゆき ~遅れてきた世代の苦悩~

       中学生の頃だった。ラジオから流れてくる歌に衝撃を受けた。歌詞の意味は分からなかった。ただ、何かを伝えたいという表現者のエネルギーだけが強烈に伝わってくる。そんな印象だった。  シュプレヒコールの波がデモ行進だろうということは、中学生にも分かった。しかし、それだけだった。意味は分からないまま、強い印象だけを残して歌は記憶の底にしまい込まれた。  プロジェクトⅩが復活して、テレビから流れてくる中島みゆきの「地上の星」と「ヘッドライトテールライト」を聴き、「世情」が再び心に浮かび

      • 人麻呂が見た「炎」の真実⑦

        東野炎立所見而反見為者月西渡                柿本人麻呂 「炎」は朱と水銀を生産する煙  人麻呂が見た「炎」の真実を探し求めた旅も、いよいよ最終回を迎えます。  前回には、宇陀が水銀の産地だったこと、神武東征は水銀を求める移動だった可能性があることを述べました。  この記事の最初に、人麻呂が冬猟歌を詠んだ場所を阿紀神社と仮定しました。それはもちろん、天照大神や伊勢神宮とかかわりのある古い神社だからです。神社の南には高天原と名付けられた丘もあります。  この場

        • 人麻呂が見た「炎」の真実⑥

          東野炎立所見而反見為者月西渡                   柿本人麻呂 今回も阿騎野の秘密に迫っていきます。 不老不死の秘薬を求めて  「初期万葉論」の中で白川静は、阿騎野は当時の神仙郷だったと述べています。その理由は書かれていませんが、そこには中国の神仙思想の影響があると考えます。  秦の始皇帝は、不老不死の薬を求めて徐福を日本に派遣しようとしました。実際に徐福が派遣されたのか、日本に到着したのかどうかはわかりません。しかし、始皇帝が不老不死を願い、その秘薬を日

        対象・他者・自己との対話 三位一体の学び

          人麻呂が見た「炎」の真実⑤

          東野炎立所見而反見為者月西渡                 柿本人麻呂 今回も阿騎野という土地の謎に迫っていきます。 阿騎野は薬草園だった  阿騎野は、古くから天皇家の薬草園でした。そのことは、日本書紀の推古天皇に関する記述に見られます。これが資料として確認できる日本で最も古い薬猟の記述です。 『日本書紀』推古19年(611)5月 夏五月の五日に、菟田野に薬猟す。 鶏明時を取りて、藤原池の上に集ふ。 会明を以て乃ち往く。  薬猟では、男性は薬効の大きい鹿の角をとり

          人麻呂が見た「炎」の真実⑤

          人麻呂が見た「炎」の真実④

          東野炎立所見而反見為者月西渡                 柿本人麻呂  前回は、漢字学者の白川静の説を紹介しました。白川静もまた「炎」を夜明け前の曙の光だと考え、阿騎野冬猟歌を魂振りと魂鎮めの言霊の儀式であると解き明かしました。  しかし、そんな重要な儀式の場所として、なぜ阿騎野が選ばれたのでしょうか。  阿騎野は当時でも霊が棲む異界の地であり、仙郷であるととらえられていたようです。持統天皇や柿本人麻呂が、わざわざ霊力が強いとされる場所を選びたくなる気持ちはよくわかり

          人麻呂が見た「炎」の真実④

          人麻呂が見た「炎」の真実③         

          東野炎立所見而反見為者月西渡 柿本人麻呂 今回も前回に引き続き、柿本人麻呂の秘密に迫ります。  阿騎野冬猟歌の解釈については、白川静が『初期万葉論』の中で重要な指摘をしています。白川静の指摘を要約して紹介します。 白川静『初期万葉論』 ① 軽皇子に皇位を継承したい持統天皇は、密かに継体受霊の儀式を企図し、柿本人麻呂に命じた。 ② 儀礼は、冬至前後の早朝に実行された。冬至は

          人麻呂が見た「炎」の真実③         

          人麻呂が見た「炎」の真実②

          東野炎立所見而反見為者月西渡 柿本人麻呂  前回に続き、人麻呂の有名な短歌の真実に迫ってみます。 この短歌は、阿騎野の冬猟歌の1つです。この冬猟歌は、1つの長歌と4つの短歌がセットになっています。 持統天皇の願い  軽皇子とは、持統天皇の孫です。持統天皇には草壁皇子という息子がいて、天皇にしたいと強く願っていました。しかし、若くして病死してしまいます。そこで、持統天皇は草壁皇子の息子であり、自分の孫にあたる軽皇子を、なんとしても天皇にしたいと考え、彼女の悲願となりまし

          人麻呂が見た「炎」の真実②

          人麻呂が見た「炎」の真実①

          東野炎立所見而反見為者月西渡                 柿本人麻呂  万葉仮名で書かれたこの短歌は、国語教科書で何度も掲載されています。といっても、教科書ではもちろん漢字仮名交じり文で書かれています。  それを知る前に、まず漢字だけでこの短歌が描く世界をイメージしてみてください。 東方の野に炎が立ち上り、振り返ってみると、月が西の空を渡っていた。  素直に読めばこんな情景が浮かびます。では、漢字仮名交じり文を見てみましょう。 東(ひむがし)の野に    炎(かぎ

          人麻呂が見た「炎」の真実①

          佐野洋子『100万回生きたねこ』の幸福論

           人は誰でも幸福でありたいと願っています。しかし、自分が望む幸福とは何か、深く考える機会は多くはありません。佐野洋子の『100万回生きたねこ』は、読者に幸福な人生について哲学することを求めてきます。  この物語が投げかけてくる問いを挙げてみましょう。 1 愛する他者があれば愛されなくても幸福になれるのか。 2 他者を愛することでしか、人生の幸福に気づくことができないのか。 3 愛する人を失った後でも幸福であり続けられるのか。 4 愛を伴わない幸福はあり得るのか。  こうし

          佐野洋子『100万回生きたねこ』の幸福論

          大原がもつ癒しの力 穴穂部間人皇女と建礼門院の二人の母

           京都大原の寂光院は、天台宗の尼寺です。聖徳太子が父の用明天皇の菩提を弔うため、推古2(594)年に建立したと伝えられています。建立当初の本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊でしたが、現存しません。    大和の斑鳩を拠点とした聖徳太子が、なぜ大原の地に用明天皇を祀る寺を建てたのでしょう。不思議ですね。確かに、聖徳太子を背後から支えた秦河勝は、山背の国、つまり京都盆地を勢力範囲とする渡来系豪族でした。しかし、秦氏の拠点は、大原ではなく太秦のあたりだったと言われています。

          大原がもつ癒しの力 穴穂部間人皇女と建礼門院の二人の母

          宮澤賢治『永訣の朝』 ―純粋で透明な言葉の放出―

           この詩はどこまでも透明で美しい。その美しさは、詩集『春と修羅』の中にあって異質な光を放っている。  『春と修羅』に集められた詩群は、どれも美しい。しかし、全体として青暗い鋼のような、鈍色の重苦しさを纏っている。それは、賢治の言う通り、これらの詩が心象スケッチ、すなわちmental sketch modifiedだからだろう。風景と心情が溶け合う中で、再び描き直されたスケッチは、過剰に装飾されている。  ただの装飾ではない。詩の中に、唐突に賢治自身の姿が挿入され、内言が語

          宮澤賢治『永訣の朝』 ―純粋で透明な言葉の放出―

          荒海や佐渡によこたふ天河 ―芭蕉の諧謔性―

          荒海や佐渡によこたふ天河  この有名な芭蕉の俳句には謎が多い。今回は、その謎を解いてみたい。  まず、季語は天の川である。七夕の句なので季節は秋だ。芭蕉が越後の出雲崎を訪れた際に作ったと、「奥の細道」に書かれている。日本海の荒海を隔てて沖合に佐渡島が見える。その上には天の川が横たわるように輝いている。素直に読めば、このような情景が思い浮かぶ。果たして、そのイメージは正しいか。 佐渡に天の川は横たわるのだろうか  天文ソフトを使えばすぐに答えが出る。出雲崎から見

          荒海や佐渡によこたふ天河 ―芭蕉の諧謔性―

          『モチモチの木』を読む ―魂振り・魂鎮めの物語―

           『モチモチの木』は魂振り、魂鎮めの物語です。  こういうと、なんだかオカルトめいた話だと受け取られそうですね。でも、そんな見方もまた作品を読む楽しみです。  今回は、『モチモチの木』に新しい視点を当ててみます。まず、あらすじを簡単に紹介しましょう。 あらすじ  5歳の豆太は年老いたじさまと二人で暮らしている。父は熊に殺された。母が不在の理由は不明である。豆太はとても臆病な子どもで、夜になると一人で雪隠にも行けず、じさまを起こして付いていってもらっているほどだ。  豆太の

          『モチモチの木』を読む ―魂振り・魂鎮めの物語―

          宮澤賢治『春と修羅』序を読み解く ―賢治作品を読み解く出発点ー

           賢治の詩集『春と修羅』に興味を持っても、最初の序文で出鼻をくじかれる人も少ないのではないでしょうか。いきなり訳が分からない。私もそうでした。そこで、今回は『序』の解説をしてみようと思います。  『序』は、5つの連で構成されています。初めに小見出しをつけてみますね。 A 「わたくし」について自己紹介します B 詩は全てわたくしの心象をスケッチしたものです C 理屈はさておき自分が見たそのままを写し取ったのです D 今は意味不明だけどいずれ真実になるかもしれません E 時空

          宮澤賢治『春と修羅』序を読み解く ―賢治作品を読み解く出発点ー

          立松和平『海の命』を読む ―なぜ太一は瀬の主を殺さなかったのかー

           太一はなぜ瀬の主に銛を打たなかったのか。授業では、必ずと言っていいほど問題になります。子どももその秘密が知りたくてしかたありません。しかし、作者がそれをあえて曖昧にしているのだから、曖昧なままでいいのではないかとも思います。正解探しでも優劣でもなく、自由に読んだらいいのです。とはいえ、それでは先に進めないので、私見を述べていきます。 銛を打たなかった理由1 瀬の主の神聖性が圧倒的だった  これは理屈でありません。絶対に侵してはならないと感じる神聖性が瀬の主にはあり、それ

          立松和平『海の命』を読む ―なぜ太一は瀬の主を殺さなかったのかー