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人麻呂が見た「炎」の真実①

東野炎立所見而反見為者月西渡
                柿本人麻呂

 万葉仮名で書かれたこの短歌は、国語教科書で何度も掲載されています。といっても、教科書ではもちろん漢字仮名交じり文で書かれています。
 それを知る前に、まず漢字だけでこの短歌が描く世界をイメージしてみてください。

東方の野に炎が立ち上り、振り返ってみると、月が西の空を渡っていた。

 素直に読めばこんな情景が浮かびます。では、漢字仮名交じり文を見てみましょう。

東(ひむがし)の野に
   炎(かぎろひ)の立つ見えて
返り見すれば
   月傾(かたぶ)きぬ

 炎を「かぎろひ」と読ませ、「かぎろひ」には、夜明け前に東の空を赤く染める曙の光という注釈が添えられています。
 
 さて、どんな情景が浮かびますか。これから上ろうとする太陽と沈みつつある月を対比的に描いていると読みたくなります。教科書でもそのような解釈に基づき、いかにも万葉的で雄大な短歌として紹介しています。はたして 
その読みは正しいのでしょうか。

「炎」は「かぎろひ」か

 教科書のような解釈が定着したのは、江戸時代の国学者、賀茂真淵の解釈がもとになっています。賀茂真淵が炎を「かぎろひ」と読み下したのです。その解釈が優れていると斎藤茂吉が紹介し、この短歌は一層有名になりました。今では柿本人麻呂の代表的な短歌に位置付けられています。
 しかし、賀茂真淵以前には、炎を「けぶり」と読んでいました。万葉集には炎という漢字を「けぶり」と読む例も、「かぎろひ」と読む例も、どちらも存在します。しかし、「けぶり」と読む場合には「立つ」という動詞が続きますが、「かぎろひ」の場合には「燃ゆ」と続き、「かぎろひ」に「立つ」が続く例はありません。こうなると、現在の教科書の解釈はすこし怪しくなってきます。
 もし炎が「けぶり」だとしたら、東の野に立ち上ったのは、何の煙なのでしょう。

 この真相を明らかにするためには、柿本人麻呂について、もう少し掘り下げなければなりません。それを次回に述べていきます。お楽しみに。

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