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世情 中島みゆき ~遅れてきた世代の苦悩~

世情   中島みゆき

世の中はいつも変っているから
頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃそいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている
包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

世情

 中学生の頃だった。ラジオから流れてくる歌に衝撃を受けた。歌詞の意味は分からなかった。ただ、何かを伝えたいという表現者のエネルギーだけが強烈に伝わってくる。そんな印象だった。
 シュプレヒコールの波がデモ行進だろうということは、中学生にも分かった。しかし、それだけだった。意味は分からないまま、強い印象だけを残して歌は記憶の底にしまい込まれた。
 プロジェクトⅩが復活して、テレビから流れてくる中島みゆきの「地上の星」と「ヘッドライトテールライト」を聴き、「世情」が再び心に浮かび上がってきた。改めて歌詞を読み返してみた。今でも難解であることに変わりはなかった。それでも、今ならわかることもある。
 「世情」は、1978年発売のアルバム「愛してると云ってくれ」に収められている。「シュプレヒコールの波」からは、1960年代末の大学(学園)闘争(紛争)の光景が真っ先に浮かぶ。果たしてそうだろうか。大学闘争が過激化したのは1968年である。東大安田講堂が陥落したのは1969年1月。その後、学生運動は徐々に沈静化していく。
 中島みゆきは1952年2月生まれだ。札幌の大学に入学したのは1970年。彼女は高校時代に学園闘争を経験してはいるが、大学入学時には安田講堂はすでに解放されていた。つまり、団塊の世代よりも遅れてやってきた世代なのである。「自分は遅れてやってきた」という自己意識が、「世情」を解く鍵だろうと思う。

世の中はいつも変っているから
頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃそいつのせいにする

 世の中は変わっていく。あれ程まで激しく燃え上がり怒りの団結を叫んだ者たちも、今はスーツに身を包んでそそくさと出勤していく。一方で、自分を変えることのできない頑固者だけが、今でもシュプレヒコールを上げながら街を行進していく。その姿には怒りよりもむしろ悲しみが浮かんでいる。
 声を上げる集団の横をサラリーマンたちが足早に通り過ぎていく。変わらないのは過去に固執する自分だけなのだが、それを認めることはできない。自分のイデオロギー、自分の正義は変えられないと叫ぶが、時代はすでに変わっている。間違っているのは他者のイデオロギーであり他者の正義であると訴えるが、それもむなしい叫びである。

世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている
包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる

 世間の人は誰でも、常に他者の評価を意識し、周囲の目を気にしながら臆病に生きている。自分を守るためには、ありのままの自分を偽る。日常の中で周囲に合わせ、社会に迎合して生きることは、他愛のない嘘をつき続けることに他ならない。自分の心の傷を他人には見せないで、本当の自分を覆い隠して生きている。そんな変わり身の早い人々の姿を、学者たちは画面の向こう側から冷めた目で解説する。彼らにとって、社会にとってあの闘争はどんな意味があったのか。学者は分析したがるが、傷口のその奥に潜むものまでを見抜くことはできない。

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

 今、目の前をシュプレヒコールの波が通り過ぎていく。私は黙ってそれを見ている。かつて私は流れの中に身を置くことを夢に見ていた。共に闘う同志でありたいと願った。その時に抱いていた思いは、今も私の中にあるはずだ。だが、あの頃の熱情を流れの中に見つけようとしても、もはや遠ざかるばかりである。時の流れを止めてほしい。いや、時を戻してほしいとさえ思う。叶うならば、変わらない夢を見ようとする人々と共に闘いたい。しかし、もはやそれはできない。私もまた変わってしまった一人だ。世情に逆らうこともできず、ただ押し流されて生きる一人にすぎないのだ。

 「世情」が発表された1970年代後半ごろ、世の中に無関心を装う若者たちは「しらけ世代」と呼ばれた。集団のつながりが強い団塊の世代の反動だろうか。世間の目を気にはするが自分を守ることを優先するような風潮が覆っていた時代だ。
 中島みゆきは、団塊の世代からは遅れてやってきた。決して彼らと時間を共有し、同じ時代の空気の中を生きることはできない。かといって、しらけ世代にもなりきれない。時代のはざまで揺れ動くもどかしさを描いたのが「世情」だったのではないだろうか。

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