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人麻呂が見た「炎」の真実⑤

東野炎立所見而反見為者月西渡
                柿本人麻呂

今回も阿騎野という土地の謎に迫っていきます。

阿騎野は薬草園だった

 阿騎野は、古くから天皇家の薬草園でした。そのことは、日本書紀の推古天皇に関する記述に見られます。これが資料として確認できる日本で最も古い薬猟の記述です。

『日本書紀』推古19年(611)5月
夏五月の五日に、菟田野に薬猟す。
鶏明時を取りて、藤原池の上に集ふ。
会明を以て乃ち往く。

 薬猟では、男性は薬効の大きい鹿の角をとり、女性は薬草を摘みました。その後も長く宇陀は薬草の産地となりました。ツムラ、アステラス製薬、ロート製薬の創業者は、みな宇陀の出身です。
 持統天皇は息子の草壁皇子を病気で亡くしました。孫の軽皇子を即位させるためには、病気は最も避けなければならない憂いだったことでしょう。そこで、冬猟歌を詠む場所として阿騎野を選び、軽皇子の健康を願ったと考えることもできます。

 しかし、これだけでは説得力が足りない気がします。ましてや、「炎」の説明ができません。

持統天皇にとっての思い出の地

 持統天皇の夫は天武天皇です。人麻呂が冬猟歌を詠んだ時には、天武天皇はすでに亡くなっています。天武天皇というと、壬申の乱で有名ですね。壬申の乱は、大友皇子(天武の兄である天智天皇の息子)と大海人皇子(即位前の天武天皇)が覇権を争った古代の戦いです。
 当時、天武と持統は吉野にいましたが、大友皇子が攻めてくるという情報を受け、吉野を脱出します。出発した天武一行が最初に立ち寄った場所が阿騎野でした。この地で(おそらく阿紀神社)、天武は持統とともに戦勝を祈願しました。天武の軍は阿騎野から伊勢、尾張、美濃、関ケ原と軍を進め、大津から迎え撃とうとする大友軍を撃破しました。孫の軽皇子の即位には、夫である天武の霊力が必要だと考えてもおかしくありません。

阿紀神社と天照大神との関係

 さらに、阿紀神社は天照大神が伊勢神宮に遷る前に最初に降臨した場所と言われています。
 「太神宮諸雑事記」には、

是已皇太神宮始天降坐本所也

と阿紀神社のことが書かれています。天照大神が大和から伊勢に遷される際に、何年も各地をめぐってふさわしい場所を探しました。その最初の地が阿騎野だったのです。
 阿紀神社の社殿は、伊勢神宮と同様に西向きになっています。前回書いた通り、阿紀神社の真東に伊勢神宮があり、ここで拝むことで、同時に伊勢神宮を拝むことができます。
 昇る朝日に、天武の勢いを重ね、同時に天照大神の霊力をも軽皇子に付着させようとしたのかもしれませんね。

しかし、これでもやはり「炎」は「かぎろひ」のままです。謎解きは続きます。

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