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対象・他者・自己との対話 三位一体の学び

 学びは対象、他者、自己との対話的実践であるといわれます。それはどういう意味なのでしょうか。対象との対話を問題と向き合うこと、他者との対話を仲間と協同すること、自己との対話を学びを振り返ることと安易に考える人も少なくないと思います。果たしてそうでしょうか。今回は、対象、他者、自己との対話の意味について探ってみようと思います。
 まず、対話を次のように定義しておきます。

対話とは、互いの未知に向かって、手探りで言葉を交わすことである

 対話とは、自分が知っていることを相手と共有する営みではありません。お互いに知っていることを伝え合う行為は、ただのおしゃべりにすぎません。また、一方が知っていて、もう一方が知らない(わからない)場合には、考えを押し付ける説得であり、情報の伝達です。お互いに未知であり、しかも、話し始めるまで、そのゴールがどこにあるのか、そもそもゴールがあるのかさえわからない状態で、互いに手探りをしながら協力して進んでいく行為を対話と呼びます。

 このような対話の前提に立って、対象、他者、自己との対話を、次のような言葉に置き換えてみます。

対象との対話 新しい知と出会い世界をつくる(世界づくりの実践)
他者との対話 他者と出会い社会をつくる(社会づくりの実践)
自己との対話 自己と出会い自己をつくる(自分づくりの実践)

(1)  対象との対話

 学びは、新しい知と出会うことから始まります。自分の内側にある認識の世界にはなかった、外側の新しい世界と出会うことが学びをスタートさせます。未知を起点に新しい対象世界と出会い、自分の内部でその意味を構成し、これまで積み上げてきた認識の世界を編み直すことで、自分の内側の世界を拡大すること。それが対象との対話です。授業に置き換えれば、対象から生まれた自分の問いを起点に、問いの解決を目指して探究し、その過程で対象の意味を構成し、言語化し、表現することです。自分が所属する世界に対する認識をアップデートし、新たな世界像を獲得していく営みは、世界づくりの実践であると言えるでしょう。

(2)  他者との対話

 学びには他者が必要です。それは、学びは、他者に支えられながら、自分一人では解決できない問いを学んでいく行為を指しているからです。自分一人で解決できるのであれば、その知識は既に自分の中に獲得されていると考えられます。学びが自分の外側にある新しい知の獲得であるのなら、誰かの助けが必要です。そのためには、自ら他者へ問いかけなければなりません。その行為は、他者を介在して対象へ語りかけることでもあります。誰かを支える側もまた、支える相手へのケアによる対話を通して、対象と対話しています。
 支える側と支えられる側の両者は、お互いの心の内を知りません。人それぞれ、経験も、知識も、イメージも異なるからです。世界の理解の仕方が異なっている者同士が、相手の心の内を知ることは困難です。だからこそ、相手に手探りで問いかけ、相手の声を真摯に聴く対話が必要なのです。両者は、対話を通して相手への理解を深め、お互いの関係を再構築していきます。
 また、学ぶ対象はその対象を構成する無数の他者と必ずつながっています。この世界は必ずどこかで誰かとつながっているのです。このような意味において、他者との対話は、今まで知らなかった他者と出会うことで新しい関係を構築する、社会づくりの実践であると言えます。

(3)  自己との対話

 対象との対話で述べた通り、学ぶ過程において対象を探究し、この世界の意味を構成し、自分が持っていた知識を更新していきます。自分の中で意味を構成し知識を更新する思考は、言語によって遂行されます。この言語の使用は、分かっていることの表現ではなく、もっぱら分からないこと(未知)を探るために使用されるはずです。つまり、対象との対話による自己の拡大の過程は、自己内対話の過程でもあるのです。自己内対話は、学んだ過程を振り返る際にもメタ認知の道具として行われています。メタ認知の機能によって、学び手は学んだことによる自己の変容(人格的な成長及び世界の理解の仕方の複雑化)を自覚し、自分自身を再構築します。これもまた自己内対話によって行われます。また、学んでいく過程でそこに関与する他者との関係も再構築されますが、他者との関係もまた言語による自己内対話によって再構築されます。このように、自己との対話とは、自己と出会い自己をつくる自分づくりの実践であると言えます。


 このように、対象、他者、自己との対話は、複雑に絡み合いながら同時進行しています。最初に述べたように、それぞれの対話をばらばらに切り分けることは不可能なのです。もちろん、それぞれが学習の段階であるというような捉え方は大きな間違いであると言えるでしょう。
 学び手とそれを支える他者との間に差異がなければ、学びは成立しません。「私は知らないが、あなたは知っている」という状態も、知識の格差という差異です。では、この両者の間に対話は成立するのでしょうか。ここで重要なのは、「互いの心の内を知ることは容易ではない」という人間関係の共通理解です。支える側もまた、相手のわからなさがわからないし、わかり方がわからないという前提で、対話をスタートさせなければなりません。支える側は、相手を一方的に指導する上下関係の立ち位置ではなく、隣に寄り添い共に歩くというケアの位置に立つことが必要であり、そうすることで支える側にも学びが成立していきます。

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