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人麻呂が見た「炎」の真実③         

東野炎立所見而反見為者月西渡
                                                 柿本人麻呂

今回も前回に引き続き、柿本人麻呂の秘密に迫ります。

 阿騎野冬猟歌の解釈については、白川静が『初期万葉論』の中で重要な指摘をしています。白川静の指摘を要約して紹介します。

白川静『初期万葉論』

① 軽皇子に皇位を継承したい持統天皇は、密かに継体受霊の儀式を企図し、柿本人麻呂に命じた。
② 儀礼は、冬至前後の早朝に実行された。冬至は、陰と陽、生と死が転換する日であり、再生を意味するからである。
③ 場所は、阿騎野が選ばれた。阿騎野は、異郷的な仙郷で霊の棲処と考えられる幽界ととらえられていた。
④ 旅人を装い、阿騎野で野営した軽皇子と柿本人麻呂は、東にかぎろひが立ち、西に月が傾く情景を見た。その日は、西暦692年(持統6年)陰暦11月17日(太陽暦12月31日)と言われている。
⑤ 人麻呂は、ここで長歌1首と短歌4首を詠み、持統天皇の悲願を言霊の霊力で現実化しようとした。

大嘗祭としての儀式

 この推測には説得力があります。人麻呂は、冬猟歌で亡くなった草壁皇子の天皇霊を呼び起こし、鎮魂しました。そして、呼び起こした天皇霊を軽皇子に付着させたのです。
 阿騎野での旅宿りは、魂振りであり、魂鎮めの儀式なのです。つまり、大嘗祭としての意味合いがあったのです。
 今では、大嘗祭は天皇が即位したとき、在位中に一度しか行われません。しかし、かつては、天皇霊が弱くなった時に何度か行われました。祖先の霊を呼び起こし、それを再度付着させることで、霊性を高めようとしたのです。
 軽皇子には、天皇即位のライバルとなる皇子がほかにもありました。この儀式は、ライバルに隠れて行うべき、秘密の儀式でなければなりませんでした。だからこそ、飛鳥から離れた阿騎野が選ばれ、霊の復活再生に最もふさわしい冬至の朝が選ばれたのです。

それでも残る疑問

 しかし、これで謎がすべて解き明かされたわけではありません。白川静もまた、賀茂真淵、斎藤茂吉の解釈に基づき、炎を「かぎろひ」ととらえています。本当にそうなのでしょうか。
 また、儀式を秘密裏に行う必要があったことはわかりますが、なぜ、それが阿騎野でなければならなかったのでしょうか。

その謎については、次回以降に自説をのべてみたいと思います。

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