ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは、人が社会でほかの人と関わりながら生きていくために欠かせないスキルを身につける訓練のこと、だそうです。 SSTは、通級指導だけでなく学校全体で取り組む価値があると感じています。 つまり、全員が同じようにこのスキルを身につけることで、より良い人間関係の築き方や過ごし方が分かるようになるのではないか、ということです。 問題行動や不適応に対するアプローチとして、これほど易しく、全員が取り組めて、楽しい実践はないのではないかと思います。
娘が生まれて、妻が入院中である。 今まで妻に頼りきりだった生活から一変したが、いざやってみると、自分のペースで色々なことを進められて、楽しい。 こんなにも主体的な自分に驚く。(恥ずかしながら、家の中ではそうではなかったので…) もちろん、疲れはある。 しかし、とても充実している。 そして、これだけのタスクを妻に任せきりだったことを反省した。(三度目なのだが…) 感謝の気持ちが、より芽生えた。 子供たちには、正直に妻への気持ちを伝えている。 お母ちゃんはすごいん
説明は尽くす。 どんな思いで、どんな意図でこの実践をしているのかを、資料を用いて、分かるように、説明を尽くす。 しかし、それでも意見や要望は止まない。(当然のことだが) 管理職がこれに耐えきれず、そのまま教師に指導し改善を求め、その指導を受け、自分のやり方を曲げてきた先生方は多いのではなかろうか。 はっきり言えば、保護者の意見や要望にはキリがないため、話を聞くだけにとどめるべきだ。(変えられるかつ、影響のでないものは変更可、だが) 私も保護者だが、息子の担任の先生の
小学生の保護者になって2年目。 親目線で、色々と教育活動を見るようになってきた今日この頃。 息子が持ち帰ってくる、様々な書類に目を通します。 そこで思うのは、 「分かりやすさ」 って、とっても大事なことなのだということです。 どれくらい大事かというと、 分からない→不信感を抱く くらい。 どれくらい大事かというと、 とっても分かりやすい→子どもにも分かりやすく教えてくれそう→いい先生 と、なる。 その先生が難しい実践をやっていても、分かりやすく保護者に
忙しい日々が始まりましたね。 いつも思うのですが、子供たちに「余白」があるかどうかを気にしています。 いつも課題に追われて忙しく、小学生らしい過ごし方をさせてあげられていないとき、心が痛みますし、もう少し精選すべきだったなと反省します。 その子のパフォーマンスも、忙しくていっぱいいっぱいだと、発揮させてあげられないですよね。 年度はじめの先生に「余白」などないのかもしれませんが…。 仕事は終わらないけど、意図的に時間を作って 好きな飲み物を飲み 全体を俯瞰して見
仕事もひと段落し、家族との貴重な時間を過ごしている方も多いはず。 4月1日からまた新年度が始まる。 年度当初に、あれこれ考えている暇はないので、今のうちにある程度計画を立てて、終わらせておきたいもの。 特に、家のこと。 家の掃除なんかは、余裕がある今にある程度やっておきたい。 子供たちの勉強もある程度見ておきたい。 息子も娘も、先々の勉強を楽しんで進めており、本来の姿だなと感じている。 やる気がすごいので、こちらも本気になって先々の勉強の内容を教えている。 今
色々と決まってきたらやることを、記していきます。 ①自分の仕事の把握 →学年分掌、教務・校務分掌など決まったら、昨年度のフォルダを見て全体を把握します。 年度初めの提案文書もあるので、昨年度のものを参考にして、名前を入れ替えてサッと作ります。(作るのは後でよい。把握が先) ②テストや副教材の選定 →この辺は順番が前後しますが、早めに決めると良いです。私はひとつの会社にしぼって決めてしまいます。(各社、だいたい一緒なので、迷わず決めた方が別のことに時間を割くことができます)
その学年の子たちを来年度も受け持つにしろ、そうじゃないにしろ、私は必ず「お別れ」をしている。 区切りとして、必ずやっていることは、 ①卒業レポートを書かせる →四ツ切り画用紙一枚に、1年間で学んだこと、思い出、これからどうするかを絵や写真を交えながら書かせている。次に進むために、気持ちに区切りをつけさせるためにやらせている。 ②全員に同じ内容の手紙を印刷して、百均の封筒に入れて渡す →言いたいことは同じなので、全員に同じ内容を渡す。百均の封筒もseriaならオシャレなも
自由進度学習にすることで、自己調整学習がしやすくなる。 一斉指導で、自己調整学習はしづらい。 「余白」が少ないからだ。 単元の計画を立て、見通し、その計画を遂行し、ふり返る。 そんなサイクルを回しながら、自らの学びを自己調整できるようにしていく。 教師は、児童が自己調整できるように、とにかく環境を調整していく。 初めは難しいが、児童はだんだんと自分でできるようになってくる。(行き詰まったら友だちとやる、友だちとやる中で自分でやりたくなるので、そうなったら自分でやる
理科の学びを、子供たち主体でやりたい。 理科こそ、とは思うものの、安全面からなかなか踏み出せなかった。 今回は、5年生最後の単元である「ふりこのきまり」で単元内自由進度学習をやってみた。 (失敗談あり。) まず、いつも通り教科書をパラパラ見て「予見」をするも、早くも実験結果が見えてしまうことに気づき、見ないように促す。(つまらなくなるので) 単元計画シートの必要性を再確認した。(来年度は作ります…。) 5時間完了で、問いを立て、実験をし、まとめ、たしかめの問題を解
学習指導と生徒指導。 けテぶれ、QNKS、心マトリクス。 それらを道具として児童に手渡し、使いこなせるようになるために1年間鍛えていく。 もう、これで通じるなと感じた。 すべて説明がつく。 もう、これでいい。 あとは、磨くのみ。 「他人の実践」から、「自分の実践」に昇華させ、これから自分の言葉で語っていきたいと思う。 そのための言語化、をしていこうと思う。
校舎の1階から2階へ上がるところ(途中)に、鏡がある。 全身が映るものだ。 鏡に映る自分自身を、表情を、髪型を、いつも見てから職員室に行く。 毎朝毎朝、自分の姿を見てから職員室に入る。 近年、自分のことをよく見る機会が減ってきていたように思う。 注目する対象が、家族であったり、小学校で教える児童だったりで、自分の状態をあまり気にしていなかった。 コントロールできていると思っていたから? 出勤してから鏡を見る。 これは、かなり有意義だと思った。 結構、自分が思
あなたは、人が何かを「できるようになる」ために、どのようにすると良いと伝えますか? 例えば、逆上がり。 ひたすら練習すればよい? 動画を視聴する? 例えば、英検に合格するには? ひたすら勉強? 塾に通う? では、どんなことにも通用する抽象化された方法は? 人が何かを「できるようになる」ために、どうすれば良いのかを分解して再構築して説明したものが「けテぶれ」である。 人は、「〇〇ができるようになりたい」と計画を立て、「やってみる」→「分析する」→「練習する」→
今年度も概ね、定時に帰ることができた。 昨年度に比べたら、仕事の量がとてつもなく増えたが、それでも処理し切れた。 それは、多くの助けがあったからに他ならない。 この感覚は、絶対に忘れてはならないと思う。 働き方は、人それぞれである。 私は、定時に帰り、家で夕飯を食べ、子供たちと入浴し、寝かしつけてから少し仕事をする。(しない日が多いが) これが、私の働き方。 データはクラウド上にあるため、どこででも仕事の続きができる。 当たり前だが、学校じゃなきゃできない仕事
体育科では、基本的には「けテぶれ学習法」を活用した授業を行なっている。 しかし、自由進度学習を意識したものではなく、どのように実現したらよいかを考えていきたい。 まず、体育においても「予見」「遂行」「省察」の三段階で授業の流れを考えていきたい。 「予見」では、何時間完了で、どこまでに何をできるようになるかを考え、今回はどこまでやるかを決める。 例えば「バスケットボール」の授業では、初回がガイダンスで、児童はバスケットボールのルールや必要な技能、練習方法などを学び、それ
自由進度学習が始まってから、教室における児童の姿が変わってきている。 テストの点は、下がるどころか上がっている子が多い。 特に、子供たちに笑顔が増えているように感じている。 立ち歩いて、お喋りしてOK。 疲れたら、休んでOK。 そういう空間だからこそ、人は自己調整をし始めるし、粘り強さを発揮できるのだと再認識。 頑張らされている空間、では実現しなかっただろう。 そう考えると、やはり子供たちに任せるべきであり、早く手渡せるようにすべきだと思う。 なぜ今すぐ子供た