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連載【短編小説】「あなたの色彩は、あなたの優しさ、そのものでした」最終話

登場人物

三守琥珀みもりこはく 
わたし。二十歳の大学生。PSYさんと向き合うことで、ふたをしていた過去の記憶を思い出す。

円谷蜜柑つぶらやみかん 
わたしの親友。学年は一つ上。とにかく明るい。

橘真紅たちばなしんく  
蜜柑の高校時代の美術部の先輩。現代アーティスト。

PSYサイ
真紅さんの知人。水彩画アーティスト。視線恐怖症。ある画家が描いた肖像画から抜け出した人物。

三守太陽みもりたいよう
わたしの五つ下の弟。わたしと共に、十年前のブラックアウトを経験。現在も行方不明。


前回のあらすじ

PSYさんへの「あなたは何者ですか」という問いかけが、思わぬ波紋を呼び、お互いの過去の記憶を呼び覚ます。PSYさんは自らの出自を語り、わたしは十年前のブラックアウトの記憶を語りだす。そこへ不意に、姿を現した蜜柑によって、わたしたちの告白は途絶える。――それから、数年の月日が流れ……。


 四年ぶりに帰省した実家は、わたしが背中を向けて、振り返らずに出て行ったあの日から、何一つ変わっていないように思えた。――あの日と異なるのは、玄関に向かって立つわたしが、一人きりではないということ。母には、友達も一緒だから、としか告げていない。果たして母は、わたしの隣に並ぶ友達の姿を見て、どんな顔をするのだろう。
「ただいま」
「おかえり」
 と出迎えた母は、
「いらっしゃい。――あなたが、円谷蜜柑さんね」
 と言って、目じりにしわの目立ち始めた目を細めた。そしてすぐに、わたしに視線を戻し、
「その風呂敷は?」
 と、わたしが胸に抱え持っていたものを指差した。

 キッチンで母が紅茶を入れている間に、わたしは四角い荷物の風呂敷を解き、椅子の背もたれに立てかけ、母には見えないように背中に隠した。
「――蜜柑さんは東京の人でしょ。こっちの雪の多さ、びっくりしなかった?」
 お盆に乗せて、紅茶を運びながらやってきた母が、蜜柑の緊張をほぐすように、気をつかって声を掛ける。
「新幹線の窓から雪景色を見た時、テンション上がっちゃいました。子どもでもないのに。雪ってやっぱり、特別なんですかね」
 母を手伝おうと、蜜柑が椅子から立ち上がり、お盆を受け取る。三つのティーカップに琥珀色をした紅茶が満ち、お互いの気持ちを落ち着かせるような香りを放つ。たぶん、母もそうだけれど、わたしもまた、どこか緊張しているみたいだった。

「蜜柑さんて素敵な名前だけど、何か由来はあるの?」
 母は初対面の相手がちょっとでも気を許すと、すぐに質問攻めをするところがある。わたしは矢継ぎ早にならないように、母の口元を見張る。
「祖母が元々、愛媛なんです。それでいつも、東京の自宅に蜜柑が段ボールで届くんですけど、私の出生を見届けた父が自宅に戻った時に、最初に目に入ったのがその段ボールらしくて。真っ赤な箱で、目立つんです」
「それで蜜柑?」
 初めて知る事実に、わたしは目を丸くして驚く。蜜柑は首を振り、
「――候補はいくつかあったみたい。美桜とか、桜花とか」
「ぜんぜん時期違くない?」
「ここだけの話、出産は暖かくなる頃が良かったみたいなんだけど、予定が変わったみたいで…」
 リアクションに困ったわたしは、冷めないうちに紅茶をすする。
「そう言えば、琥珀は?」
 蜜柑がわたしに視線を向ける。
「琥珀は、どうして琥珀なんですか?」
 続けて、母に顔を向けてたずねた。
 ――そう言えば、なんだっけ? 覚えていたような気もするけれど、間違えてはいけないと思い、わたしも母の回答を待つ。
 母は紅茶に視線を落とし、
「きれいだから」
 ぽつりとそう言って、ひとり、ふふと軽く噴き出した後、
「何千年もの時間をかけて出来上がったものって、素敵でしょう。わたしたちだって血筋を辿たどれば、何百年くらいはさかのることができると思うけど、やっぱり自然のものには敵わない。それに固くて丈夫だから、元気な子に育てば良いなと思って」
 本気で言っているのか、冗談で言っているのか分からないけれど、わたしは他人事のように、そうなんだ、と心の中でつぶやく。
 紅茶を半分ほど飲み終えた蜜柑が、隣に座るわたしをひじで小突く。例の合図だ。わたしは蜜柑と一瞬だけ目を合わせ、小さく頷く。一呼吸置き、
「――お母さん。実は、見てもらいたいものがあるんだけど」
 わたしは、Fの4号と言う大きさのキャンバスを背中から取り出し、上の角を掴み、母に表を向けてテーブルの上に立てた。母はからだを前に出してキャンバスを覗き込み、何度か瞬きをした後、
「もしかして、太陽?」
 と、独り言のように声を漏らした。
 
 お気に入りの水色のパーカーを着て、右手には橙色の絵の具を付けた絵筆を持ち、画には描かれてはいないキャンバスに、まっすぐな視線を注ぐ。口は、だらしなく半開き。でもそれが、太陽が集中している証だった。半開きの口元は、見方によっては、微笑んでいるようにも見えるから不思議だ。わたしはPSYさんから、太陽くんは何を描いているんでしょうね、と尋ねられた。  
 
 ――希望も含めてですけれど、もしかしたら、わたしのことを描いてくれているのかもしれません。

 PSYさんは、なるほど、と言った後、絵筆を面相筆に持ち替え、パレット代わりの手の甲から絵の具を取り、太陽の瞳に細かく何かを描き込んだ。目をらさないと決して分からないけれど、太陽の瞳には、わたしの姿が映り込んでいるように見えた。

 PSYさんに太陽のことを描いてほしいと思ったのは、もしかしたらPSYさんなら、どこかへ行ってしまった太陽のことを見つけ出してくれるかもしれないと思ったから。見つけ出して、画の中に描き出してくれるかもしれないと思ったから。実際、PSYさんはわたしが語る太陽の容姿、性格、好き嫌い、口癖、それらを聞き取った後、まるでそこに太陽が生きているかのように、キャンバスに描き出してくれた。あの時、手を離してしまった太陽がまた、わたしの元に戻ってきてくれた気がして、出来上がった画を思わず抱きしめた。画にぬくもりなど、あるはずもないと分かっていながら抱きしめていると、太陽の小さな鼓動が伝わってくるような気がした。――生きている、と思った。

 母はそっと手を伸ばし、人差し指で太陽の小さな鼻先を撫でた。太陽はそうされると、いつもくしゃくしゃな笑顔を浮かべるのだった。当然、画の中の太陽が、そうして笑うはずはないのだけれど、母は何度も太陽の鼻先を撫でた。キャンバスを持つ、わたしの手が震え始める。感情を押し隠すように、うつむく。すかさず、蜜柑の手がわたしの背中をさすってくれる。ここには、優しさしかないと思った。大切な人を思う、優しさしかないと思った。

 蜜柑を通じて、真紅さんから連絡があった時、わたしは真紅さんが何を言っているのかよく分からなかった。

――肖像画のPSYが消えてる。

 PSYさんと出会った、あのギャラリーに蜜柑と駆け付けると、真紅さんが描いたPSYさんの肖像画が、真っ白なキャンバスに様変わりしていた。真紅さんが言うには、ここ一週間、自分の前に全く姿を現さなくなり、どこで何をしているのかも分からないという。わたしと蜜柑はその足で、PSYさんの作品が展示されていた大学病院に向かったのだけれど、そこに飾られていたクジラの画は無くなっていた。――肖像の消失と、作品の消失。その意味するところを、わたしは考えたくなかった。

 母は何も言わずに立ち上がると、
「どこに飾ろうか」
 と言い、わたしからキャンバスを受け取って、リビングを見回した。
「玄関は?」
 わたしがそう提案すると、母は頷き、リビングを出て玄関に向かった。わたしと蜜柑も続き、母がとりあえずと言うことで、下駄箱の上に太陽の画を立てかける様子を見届けた。
「――なんだか、本当に帰ってきたみたい」 
 母がつぶやく。
「うん」
 わたしはそう言って、隣の蜜柑の手を握った。二度とその手は、離しはしないと、心に誓うように。

                               おわり

                             あとがきへ

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