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【短編小説】「ベッドシェア」(2/3)

 別の日の彼女は、目鼻の整った見た目に似合わず、地味な臙脂えんじ色のジャージに身を包み、布団をめくってベッドに入りながら、そう言えば、Aさん(わたしのことだ)って、私の隣に座ったことあるの知ってます、と話しかけてきた。
 寝入りしなの会話は、眠ろうと思ったときに、頭の中で何度もリピート再生されてしまうことがあるので、極力しないようにしていたのだけれど、それはあくまでも、わたしの性質を基準にした、わたしだけのルールであって、同じベッドの上にいるからと言って、彼女にも適用されるとは限らなかった。
 当然のことだけれど、彼女は彼女のルールで動いている。ここでわたしから、実はわたしは、こういうルールで動いているんです、と彼女の口をガムテープで封じるために、わたしのルールを彼女の目の前に提示してみせるのも、一つの手ではあったけれど、一晩とはいえ、これから一緒に眠りを共にする以上、眠る前にいさかいを起こすようなことは決してするまいと、心掛けてもいた。ためにわたしは、自分の就寝ルールに抵触することに不安を抱きながらも、ああ、そうなんですか、と当たりさわりのない返答をした。
 無難。あまりにも無難な返事に、果たして彼女はどう返してくるのか。一瞬のことながら、まるでサスペンスの真犯人と対峙たいじしているかのように、固唾かたずを吞む。彼女が息を吸い、吐き出す。そして、彼女は突然枕を叩き、――そうなんですよ! と甲高い声をハウリングさせた。わたしは思わず、耳をふさぐように右目をつぶった。そう言えば、さっきからずっと、彼女からはバックグラウンドのように音楽が流れ続けていた。ワイヤレスイヤホンをしているわけでもなかったので、一体どこから音楽が聞こえてくるのか、不思議で仕方なかったのだけれど、彼女は地下水のような音楽を引き連れながら、おしゃべりを続けた。

 一日に何千、あるいは何万人とすれ違いながら、たまたま隣り合わせになる確率って、どれくらいだと思います? 恐れていたことに、彼女の話が大通りから隘路あいろに入り始める。わたし自身が急に行き止まりに直面したような、嫌な予感に襲われた。加えて、計算が苦手なわたしは、確率という言葉に、顔には出さずに辟易へきえきとした。白黒思考のわたしにとって確率とは、ゼロか一かでしかない。わたしはそれくらい単純でないと、ダメなのだ。と言って、彼女が本当の意味で、正確な数値の確率を導き出そうとして、そのようなことを口にしたのではないことも、何となく分かってはいた。ただ、偶然を大げさに言い表すために、そう言ったに過ぎない。
 頭を掻きながら、うーん、どれくらいなんでしょうね。ほぼ鸚鵡おうむ返しに、適当に相槌あいづちを打つと、さすがの彼女も、わたしのノリの悪さに気づいたのか、あからさまに一度、声のトーンを落とした。彼女の楽譜にフラットが続く。わたしはこのまま彼女に付き合い、彼女との夜の演奏を続けるべきか迷った。
 ベッドには、音楽が不要な人間と、必要な人間の対立。果たしてそこに、和解の道を見つけることなど出来るのだろうか。わたしは彼女には申し訳ないと思いながらも、それ以上、言葉の弦を震わせることはやめ、彼女に背中を向けた。それが、わたしなりのメッセージだった。
 いつものように、脇の下に手を挟んで腕を組むと、ジョン・ケージの『4分33秒』のように、沈黙と言う音楽が鳴り続けるベッドの上で、わたしはゆっくりと瞼を閉じた。
                               つづく

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