自然の音

今朝、起きた時、いろいろ考え事をしていた時、
 遠くの鳥のさえずりが微かに耳に入ってきた。
その耳の奥に残るさえずりに、意識が集中した。
するとその瞬間、
その微かなのに、何とも気持ちのよいさえずりに、
頭がすっと祓われ、心もすっきり清々しい気持ちになった。

鳥のさえずりは、よく私の耳に入ってくる。
忙しくしている時、思考している時、人との会話中など、すっと鳥の美しい声、さえずりが耳に入る。
瞬間に、耳の奥が澄み渡り、心も脳も澄みわたる。

鳥は、自分が好きなこともあるのかもしれないけれど、こんな風に瞬時に清々しくしてくれたり、
普段から、何気なく鳥の方に意識が向き、
心が穏やかになったり
いろいろ『気づき』を与えてもらう。
大空を舞う大きな鳥からも、つばめのように自由に楽しそうに飛ぶ鳥からも、カラスからも気づきや、心に穏やかさをもらう。

私の意識が、私にとって重要なこととしてとらえているのだろうか。
脳がそれに従って、鳥の声を拾い、取り込む。
身体が反応する。

私はよく、この『気づく』ことに、不思議さを感じていた。
私に、『ふと気づかせる、何か』
そのタイミングはとても絶妙。
ちゃんと気づかせる、何か。
背後であろうと、ふと振り向かせる、何か。
目を向けさせる、何か。
身体を避けさせる、何か。
ブレーキを瞬時に踏ませる、何か。

自分でそうしようとしていないのに、
たまたま、そうしたら、気づいた、起きたというもの。

その何か、はなんだろう、とある時考えていたら、
それは、わたしという生命そのものなのかな、と気づいた。
意識というか。身体を超えた生命。
時空間にも制限されない生命。
だから、背後であっても、とっさの危険も、
目に止まらないような小さなものの気付きも、
無意識に察知することも、
全体がみえている、わかっている生命。意識。
この身体に指令を出す側。
それが、気づかせる。動かす。

この身体と自我の私が気づいていることや、わかる事って4%というけど、自分のことわかってるつもりなだけで、知らないんだなぁ。本当に。
起きたことしかわからない。このわたしには。

本来の私である生命は、全体も見えていて、
この身体の私にとって、今必要なことをしてくれている。

今朝の鳥のさえずりは、その瞬間、この私の耳に入れることが必要だったのだろう。

何故なら、この美しい鳥のさえずりが耳に入り、
頭も心もすっきりした体験は、その時にはわからなかったけど、
その後の時間過ごした、この私に、
自然の音に触れることは、今とても大切なことだということ、日本人としての大切なことなど、いろいろな気づきを与えてくれることになったから。


当たり前にあることのなかに、
この今という時を乗り越えられるヒントが、たくさん詰まっているのだな。

それは、ずっとここにあるし、あたりまえだし、
お金もかからないし、もともとあるもの。
当たり前すぎて、特別と見てなかったもの。
 
必要なものは、
ちゃんと、もともとここにあるのですね。



美鶴 mitsuru.🌈





みんなが、しあわせでいられる場を作って行けたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。