見出し画像

反芻のまなざし

(1)

画像6

あの子には偏った強いこだわりがあって、ひらがなは曲線的なものしか使いません。
字の中に円があったり丸みがあればいいのですが、角ばっていたり直線的な字を嫌います。例えばほら―、

画像7

僕の書く字や、教えるときに使った「あいうえお表」の字の形も影響しているかと思いますが、彼の使える字はこれだけです。

「ふ」や「へ」はダメなのですが、半濁音が付いて「ぷ」や「ぺ」になると使えます。逆に濁音が付くと、元々使える字でも使えなくなります。「ず」や「び」なんかほら。
ちなみにいちばん嫌いな字は『れ』だそうです。"トゲトゲしているから"と。


先生がご指摘のとおり―、
1年生でもうじき漢字を習いはじめますが、彼はそれに一切の興味を持たないでしょう。カタカナがそうであったように。
僕らには解らない彼なりのルールがあるようで、頑なにそれを守るのです。


父親としてこれから彼にどう教育を施すべきか、頭を抱えています。この先もっとほかの子たちから取り残されていくでしょうから。

僕は先生、

おそらく彼は生涯、この35文字しか持たないのではないか―、

そう思うのです。


***

もしも―、
あのおにいちゃんが知ったら、なんて言うだろうか。僕がチビ・ボンバーマンだってこと。

そうはいえ、きっと僕の顔を見ても思い出してはくれないだろうし、僕の名前すら覚えていないだろうと思う。もうあれから30年。

僕の方といえば、おにいちゃんの名前を覚えていないんじゃなくて知らない。きっと尋ねておらず、ただ"おにいちゃん"と呼んでいた。けずるくんがそう呼んでいたから、僕も同じようにして。


『けずるくん』というのは、僕の幼馴染みのニックネーム。

小学校に入学して最初にできた友達が彼で―、
お互い苗字の最初が"お"。それで僕らは出席番号が前後で、教室の席順は僕が彼の後ろだった。

入学後初めて授業が始まった日―、
授業中に鉛筆の芯が折れて、彼に鉛筆削りを借りた。
5本くらい筆箱に鉛筆が入っていたから、本当はその必要はなかったのだけれど―、僕は1本を集中的に使って、それが短くなってやがて無くなるまでは、ほかの鉛筆は使わなかった。
そんなヘンテコなこだわりを持つ子どもだった。

そのとき彼に借りた鉛筆削りに「削るくん」と書かれていた。僕は心の中でクスクスと笑って、“これは傑作”と思っていた。
それが―、彼が『けずるくん』となるはじまりだ。

元祖けずるくん


夏休み―、
けずるくんと一緒に「夏プール」からの下校中、彼は初めて僕を家に連れていってくれた。
とはいっても彼の家は学校の目の前で、子どもの足でも2分足らず。もはや下校というほどのものでもなかった。


彼の家は一階が文房具屋になっていた―、
入学時から担任の先生が彼のことをよく知っているような感じがあったけれど、いま思えばその意味が分かる。
学校は事務用品などの備品なんかを彼の店で買っていて、先生たちも文房具を買うときはあそこを利用していた。
先生たちからしてみれば、けずるくんは"あの店のおぼっちゃん"だったのだ。
そこへきて、放課後の生徒たちがあそこで匂い付きねりけしや消しゴムなんかを小遣いで買っていく。彼の家は裕福だった。


店の入り口―、
ガラスの引き戸をカラカラと引いて、けずるくんに続いて入ってく。それほど広さのある店ではないものの、店内には所狭しと商品が並んでいて、文房具屋の匂いがした。
居住スペースのある店の奥へ向かう―、僕は両脇に並ぶ文房具にきょろきょろと目移りさせながら、彼に少し遅れをとりながら続く。
そしてその途中で僕は、あれを見つけた。

5×8で箱に敷き詰められた『削るくん』。
1つだけ売れて欠けていたが、ぎっしりだった。おまけにいろんな色があって、彼の使う緑じゃない青や赤、黄色、黒や白もあった―、

ちょっとゆづるくん!けずるくんあるやんけぇ!いーっぱいあるやんけぇ!

いろとりどりで!あるやんけぇぇ!

僕が意味不明に発狂すると彼は、「空撃ち(からうち)かめはめ波」を僕に食らわせた。それから僕の手を引いて、半ば無理矢理に店の奥へと連れていった。

ゆづくん、かめはめ波 (TINY DC)


小学1年生で自分の部屋があることにも驚いたが、彼の部屋にはたくさんのファミコンカセットがあって大きなカルチャーショックを受けた。
その日は彼にもらったチェリオを飲みながら、『ボンバーマン 2』を対戦した。僕はうちにないファミコンにすこぶる高揚していて、気付いたらプレイ中は彼のことをずっと”けずるくん”と呼んでいた。
「やめろよぉ」とは言いながらも、彼もそこまで悪い気がしていない様子で、僕らはたくさん笑ってコントローラーをカチャカチャと激しく軋ませた。

これが、僕が彼を初めて“けずるくん”と呼んだ日だった。ずうっと心の中で思っていたけれど、どさくさに紛れて解き放ったのだ。

画像2


ほどなくすると―、
けずるくんのお母さんが部屋にやってきて、彼に「ゆづ、時間よ」と言った。そして僕には、「ごめんねぇ」と謝った。

どうやらけずるくんはこの日、持病のために病院へ行かなくてはならなかったようだ。しかし彼はまだ僕と遊びたいと駄々をこね、お母さんに僕が家にいてくれるなら行くと言い出した。そう言って聞かない彼の態度に折れ、お母さんは「まったくもう」と言ってほかの部屋へ向かったようだった―。


けずるくんたちは1時間ちょっとで戻ると言っていた。
僕は散らかった薄暗いおにいちゃんの部屋で、ファミコンをやっていた。
ファミコンの本体はなんとおにいちゃんの部屋にもあって、ボンバーマンはないからと、けずるくんのやつを借りて持ってきた。

おにいちゃんは隣に座って、僕がひとりでやるのを応援してくれていた。
僕が爆弾をポコポコポコポコと5個6個7個と並べ、大爆発を起こして敵をやっつけると、おにいちゃんは「おうおうおう」と言っておもしろいリアクションをした。
それがおかしくってつい得意になった僕は、とうとう自分の爆風に飲まれて死んでしまった。

調子に乗って(TINY DC)


ねえ、いっしょにやろ?

僕はそう言っておにいちゃんを誘った。するとおにいちゃんは「難しくてできないよ」と言った。

だいじょうぶ!

僕はそう言ってけずるくんの部屋に駆けていき、持ってきたボンバーマンの取扱説明書をおにいちゃんに差し出した。
そして、おにいちゃんは"参った"という様子で、コントローラーを手に取った。

画像7


おにいちゃんと対戦してからは、時間があっという間だった。一緒に遊んだ時間はどれほどだったか、今となっては皆目分からない。

やり方が分からないと言ってたくせに、おにいちゃんはとても強くて、僕はけずるくんの時と同じようにコテンパンにされていた。子ども相手に忖度なしだ。
だけども僕はおにいちゃんと遊ぶのが楽しくて楽しくて、2人がいつ帰ってくるのかなんてことは気にもしなかった。
おにいちゃんは僕のことを「チビ・ボンバーマン」と呼んで、ニコニコ笑って楽しそうだった。大人しい感じだったけど、ときどき大きな声で笑っていた。


さらりーまんなの?

ゲームをプレイしながらおにいちゃんにそう訊くと、「そうだよ。いつも忙しいけど、今日は休みだよ。ここは僕んちじゃなくて、ほかにある」。そう言っていた。

ちなみになぜそんなことを訊いたかといえば―、
あのときの僕は、大人はみんなサラリーマンだと思っていた。そして―、“大人は日中、会社にいる”と、そう思っていた。自分の父親がそうだったからかもしれない。
「学校の先生」や「けずるくんの両親」のことなどは目にみえていなかった。

サラリーマンだというおにいちゃんの髪はとても長く、少しばかり脂でツヤっとしていた。


トントントントン―、
軽やかな階段を駆け上がる音が聞こえてきて、僕らのいる部屋をけずるくんが覗き込んだ。
病院から帰ってきたけずるくんは、帰りにお菓子を買ってもらったようで、僕にもおみやげのチョコボールをくれた。
そして僕ら小学生コンビは元の部屋に戻って、それからまたふたりで遊んだ―。


「きょうちゃん、またいらっしゃいね」

けずるくんのお母さんが店の外まで見送ってくれた。陽が傾きかけた空。

僕はけずるくんの部屋を出る前―、
ボンバーマンの取扱説明書の裏に、こっそりと鉛筆でおにいちゃんへメッセージを書いた。
そして静寂に閉ざされたドアの下の隙間から、その短い手紙を挿し入れた。

ょうちゃん

おうち
つれてってね
もっとやろう


ボンバーマンでボコボコにされたって僕は―、
なんだか嬉しくて、スキップみたいな歩調でプールバッグを揺らした。
まだ熱を帯びたアスファルト、身体の塩素の匂いは消え、濡れたままの髪はとうに乾いてしまった。

祖母だけが待つ小さな家に帰っていく。夜になれば父親の帰るそんな家へ―。


いま思えばおにいちゃんは、けずるくんの兄ではなくて従兄弟だったのだと思う。
そしてあのとき僕は、サラリーマンでおうちに帰ってしまうおにいちゃんとは、もう会えない気がしていた―。


それから夏がしっぽだけを残して過ぎ去って、2学期から僕は別の教室へと移った。

けずるくんどころか、クラスメイトは誰ひとりいなくなった。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?