内省 2
毎回毎回、私は何をかいていいかわからず、始める前から悩んでた。
悩む時間と描く時間が、ほとんど変わらないような日もあった。
なかなか描きはじめない私を見て、お城先生はヒントを出してくれた。
ーー「学校では、何して遊んでるの?」
「○○。」
「じゃあ○○で遊んでるところを描いてみようか?」
…うなづく
ーー「今日も描きたいもの、みつからないの?」
「………わからない」
「じゃあ、今日は雨が降っているから、雨降りの絵をかいてみようか」
…うなづく
毎回このような感じだった。先生のヒントさえあれば、素直に従い、まがりなりにも決まったお題のとおり描いていた。
そうして、平凡でワンパターンな私にも、少しだけバリエーションが生まれる。
動物やお花、いつもやってる小学校の遊び、幼稚園の園庭、
そんなものを描いていた気がする。
ただ、なにがしかの認識能力が未発達だった私は、写生のような作業がきらいだった。どこを描きたいのかも全然わからないし、どうやったらうまく描けるのかが、全くわからない。
それに私は、自然の風景に全くといって良いほど、興味がなかった。というより、むしろ嫌い。
清潔好きの母親の影響か、汚れたり、臭かったりするもの、土や泥、堆肥や化学肥料の匂いが嫌いだった。
肌が弱く、得体の知れない虫に刺されたり、植物の葉でかぶれたりするのもしょっちゅうだったので、自然に触れない方が良いと思っていた。
そんなものより、家の中でテレビのアニメを見てる方がずっとずっと楽しかった。
クラスにいる、抜群に大人で上手な絵を描くケンちゃんやら、
お城先生のような本物みたいな絵は、星の彼方だった。
かといって、こころのままに自分の衝動を吐き出すような、抽象的な絵はもっと描けなかった。
というのも、もっと前の、幼稚園のクレヨン時代。
「描くものがない」と困っていた私に、先生が
「ぐちゃぐちゃ。とか、ぐるぐる。そういうのでもいいんだよ」と、言うのでかなり困ったのだ。
(そんなこと言われても。。。)
お城先生は、実際に黒やカラフルなクレヨンで、
ぐちゃぐちゃの例を、自ら、スケッチブックに描いてくれたのだ。
しかし「ぐちゃぐちゃ」の芸術的な意味など、一ミリもわからず、同じ幼稚園クラスの友達の間で「ぐちゃぐちゃ」に近いような絵は、クスクス笑われている事が多いのを知っていたので、出来れば描きたくなかった。
周りの友達や大多数の大人が評価するような絵、というものを、
図工の時間の周りの友達や、父兄参観の時の大人の反応から、子供心になんとなくわかっていた。
幼児の私は、そのお城先生の描いたぐちゃぐちゃを
ーーーそれは絵じゃなくて、落書きじゃん!
と心のなかでバカにしていた。
「とにかくやってみて」と言うようなことをお城先生にいわれ、しぶしぶクレヨンを持つ。
けど実は、、ぐちゃぐちゃを書こうと思っても、全く微動だにできなかったのだ。。
要は、子供らしい感性、衝動を持っていないので、
どのように「ぐちゃぐちゃ」していいか、わからないからだ。
これは本当に、いつも以上に、困りはてた。
先生はカラフルなぐちゃぐちゃの上に黒のぐちゃぐちゃを、かぶせていた。
仕方なく、先生が例として描いたように、カラフルなぐちゃぐちゃの上に黒のぐちゃぐちゃを重ねた。
お城先生は、渋い顔をして
「うーーーーーん、そうじゃないだよなぁ。。」と困っていらした。
内省 3へ続く
内省 1
https://note.com/tekumakumayak9on/n/nbb83c4cb28f8
内省 3
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