内省 1


なんで、今まで、こんな大事なことを忘れていたんだろう。。

それは、私の人生の中で、ほんの些細な出来事だと思っていたことだ。


  私は小さい頃、絵画教室に通っていたことがある。

たまたま、実家の裏に一人の画家さんが住んでいて、
私が通っていた幼稚園の一室を借りて、お教室を開いていた。

ご近所関係や親のつながりとかで、習いに行きはじめたんだと思う。
確か、幼稚園~小学校6年か中学1年ぐらいまで。
毎週土曜日午後。
お教室では自分が好きなものを描いていい。

普段でも、自由時間にお絵描きすることは多かった。
体が小さく、早生まれの私は、運動が得意ではなく、活発な子や気の強い子と関わったり戦ったりしなければいけない外遊びが苦手だったからだ。

自然、屋内の遊びが多くなる。

しかし、おままごとは、誰がお母さん役になるかで取り合いになるし、
お人形やぬいぐるみも、遊んでいるうちに他の子に途中でとられたり、最終的にはケンカになったりするのが、とてもいやだった。

その点、お絵描きは、他の子との戦いもないし、外の泥遊びや、なんだかネトネトする粘土と違ってお手々が汚れたり臭くならないし、結構好きな方の遊びだった。

描いてたのは、大半の幼児が描くような、お姫様みたいな女の子や、おうちにお空に自分、動物など、ありきたりで平凡な子供の絵。。
お世辞にも、上手くもなんともない。普通。なんなら、やや下手な方。笑


画家の先生はお城の絵を得意としていて、とても写実的、繊細な絵を描いていらした。寡黙な方であったと思う。

サラサラと鉛筆で描く白黒のデッサンや風景も、
極細の筆で油絵の具が綿密に塗られたお城の絵も、まるで写真みたいだった。

平々凡々な幼児の私は、毎週毎週、同じような絵ばかり描いていた。

女の子、女の子、女の子、家とお空と私、家とお空と、家族。
たまに、動物園。。

絵画教室の生徒には、表紙に「絵画教室」と先生の直筆で書かれた小さめのノートが連絡帳として渡されていた。
そこには、先生から保護者へ、その日描いたものや、先生の感想、親への連絡事項などが書かれた。

「かわいい女の子が描けました。」
「今回も、かわいい女の子が描けました。」(洋服の色とデザインが少し違うだけ。笑)

次の週にはさすがに先生も、その違いをどう書けばいいのかわからなくなったのか、
…「女の子もいいですが、今度は違うものを描いてみましょう。」

はっきりは覚えていないが、初めはそんな感じだったと思う。

年があがるにつれ、クレヨンから、鉛筆の下書きと水彩絵の具になる。

しかし、毎週通っていると、描くものがみつからず、私は困ることが多くなった。




内省 2へ続く










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