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【材料】松田壽男『古代の朱』
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明治36(1903)年~昭和57(1982)年
先日、東洋史家・松田壽男氏の著書『古代の朱』を手にした。そのタイトルに強くロマンを掻き立てられたからである。
本書は、水銀とその原料である辰砂の背景にある壮大な文脈を紐解く、他に類を見ない著作である。
水銀に関する歴史研究は、松田氏以前は全く未開拓の領域。古代史に通じた江戸時代の国学者たちも、水銀に関する和歌の解釈に難儀した。その理由は、古代と現代とがあまりにも時間的に隔絶されており、数少ない記録も扱いが大変困難だからである。
松田氏は戦後の大規模な土地開発を絶好の機会とし、全国の忘れられた丹生(水銀産地)365ヶ所以上を訪ねて試料を採取。また、「記紀」や古代の和歌、古い地名や神社名などを手がかりに、謎に包まれた日本の水銀利用史を徐々に明らかにしていく。本書を読み進めていくうちに、古代人の知恵や思想、信仰、彼らの眼に映っていた景色が私たちにも見えてくるようだ。
松田氏が操業時の大和水銀鉱山に入坑した時の印象を述べた、今となっては大変貴重な文章があったので一部引用したい。
「両壁は紅ひといろ。天井もまた紅ひといろ。足をのせている岩盤も紅ひといろ。カンテラの火は、まっかなトンネルを、どこまでも照らしていった。牛肉の切身さながらの、まだらな紅の縞模様もある。白い母岩にひとすじの美しい紅を刷いた坑道も見られた。浦島太郎が竜宮城に足をふみ入れたときの感じは、さこそとしのばれる。」
古代の日本人も丹生に吹き出す赤を目にした時、松田氏と同じように強く心動かされ、畏怖の念を覚えたことだろう。
実は今年3月、松田壽男氏の没後40年目を迎える。『古代の朱』が書かれてからすでに約半世紀が経過し、世の中も大きく変化した。水銀の有害性が広く認知され、この本が書かれた当時は操業していたイトムカ鉱山(北海道)や大和水銀鉱山(奈良県)はじめ、世界中の水銀鉱山が閉山に追い込まれた。真朱(天然朱)の原料となる上質な辰砂は入手が難しくなり、美術工芸の世界でも水銀使用の制限は今後ますます厳しくなっていく。
朱は、大陸から群青・緑青が持ち込まれる以前から存在した、原始・古代日本人の愛した色彩。今改めて、朱が持っている歴史的文脈を振り返るのに格好の1冊。
【参考文献】
・松田壽男『古代の朱』筑摩書房、2005年
・吉岡幸雄『日本の色辞典』紫紅社、2000年
【画像引用元】
・松田壽男:『古代の朱』カバー画像
※誤りやお気づきの点がございましたら、ご指摘いただければ幸いです。
執筆:田中 良征(平成13年京都府生まれ。金沢美術工芸大学 美術工芸学部美術科日本画専攻1年在学)
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