Rui/鈴木るい

愛するものとの逃避行

Rui/鈴木るい

愛するものとの逃避行

最近の記事

優しさは日々の中に

まだ1歳半の息子に対してこんなことを思うのは親バカかもしれないけれども、彼は世界一優しい男の子だ。 わたしが落ち込んでいるのを察知するとすぐさま頭や頬を撫でてくれるし、洗濯物を干すわたしの足元で「これ使うんでしょ?」と言わんばかりにハンガーや洗濯ばさみを持っていてくれるし、おやつの時間には自分のぶんのビスケットを「あーん」と言いながらわたしに差し出してくれる。 ありがとう、でもそれは君のだから君が食べてね、と言うと、息子はニコニコしながらわたしの口にビスケットをグイグイ押し

    • 正義を武器にはしたくない

      正義、というものの恐ろしさに気がついたのは、ここ数年のできごとだったように思う。 わたしにも「これが正義だ」と信じているもの――それから、「これは悪だ」と忌み嫌っているもの――はいくつかあるけれども、はたして本当にそれは正義なのだろうか、とひとたび考え始めると、何が正義なのか、そもそも絶対的な正義なんて存在するのか、なんて出口のない思考に囚われるようになってしまった。 というのも、生まれた時代や国、家庭環境や交友関係、読んだ本や観た映画、愛し愛され、傷つき傷つけられた経験・

      • 幾夜の孤独

        わたしの声は、誰にも届いていない。 そんなのは錯覚だ、とわかっているつもりでも、その錯覚は毎日のようにわたしを襲ってくる。 そのたびに、わたしは孤独の底――地獄のように深い穴の底に突き落とされたような気持ちになる。 家族、友人、恋人、誰かがそこに蜘蛛の糸を垂らしてくれたとて、わたしはきっとそれに気がつきもしないだろう。 孤独は、・・・・・・いや、それにも満たないほんのちょっぴりの寂しさは、わたしからあらゆる感覚を奪ってしまうから。 やさしさ、ぬくもり、あい、いつくしみ、お

        • ゆっくりのんびり、きみのペースで。

          現在1歳4ヶ月の息子は、もうずっと「運動発達がゆっくり」だと言われている。 たまたまかかりつけの小児科が発育相談に力を入れている病院で、生後3ヶ月頃に「うちの副院長が発育相談をしているから通ってみない?」と院長先生が勧めてくれた。 発育相談といっても、先生と向かい合って面談をするような形ではない。 広くておもちゃがたくさんあるプレイルームで息子を自由に遊ばせて、副院長先生と理学療法士さんが息子の動き方や姿勢を観察し、必要に応じてストレッチやマッサージをしたり、家で遊ばせるとき

        優しさは日々の中に

          失踪願望

          遠くに行きたい。 大切なひとたちを傷つけるのをやめたいから、いっそのこと、大切なひとたちから遠ざかりたい。 どこか遠くの街をさまよい歩いて――それから、わたしはどうしたいんだろう。 自分の感情すらコントロールできない馬鹿な脳みそじゃ、そんなこともわからない。

          日記2024/04/15

          朝、なんだか今日はイライラしやすいかもと感じてメンタルクリニックで処方された頓服薬を飲む。 もともとでかける予定があったので息子を連れて家を出たものの、あまりにも強い眠気にまっすぐ歩くことが困難になって、ふらふらになりながら家に引き返した。約束をしていた相手に「今日は行けなくなった」と電話をするときも呂律が回らなかった。 申し訳ないなと思いつつ息子にはTVを観ながら遊んでおいてもらって、気絶するように眠る。しばらくするとお腹をすかせた息子にペシペシと背中を叩かれ、お昼ご飯を食

          朝露

          目の前にある現実、への未練が、叶うはずのない空想、の価値を下回ってしまったとき、ひとはどんな行動に出るのだろうか。 現実がままならないものであるほど空想の世界に逃げる時間が多くなってしまうわたしにとって、それは無視できない疑問であった。 もしも――万にひとつ、それ未満の可能性の話で――わたしがままならない現実を放りだしてしまうことがあったとして、そんな状況に陥ってもなお、おそらくわたしは空想の世界に救いを求めるだろう――いや、そんな状況に陥ってしまったからこそ。 けれど

          夢現

          夢と現の間をふわりふわりと漂っているような感覚、 わたしにはそれがもっとも幸福なもののように思われる。 現へ戻ることを拒み、1秒でも長く夢の中にとどまろうと 努めて目を閉じる、 一瞬なのか永遠なのかもさだかではないあの時間。 毎夜その余韻に身を沈めること、 ただそれきりを慰めとしているわたしは、 なんと幸福で、惨めな女だろうか。

          馬鹿な女

          愛してはくれない男にいつまでも縋りつくなんて、馬鹿な女のすることだ。 頭の中ではわかっているのに、いつまでも彼に期待して、物わかりのいい女を演じて縋りついているわたしは、自分は馬鹿なことをしている、という自覚のない女よりも馬鹿なのかもしれない。 ぼんやりとした寂しさ、そんな不確かなものに流されて、彼の胸に飛び込んだあの日。 あの日から、わたしはどんどん馬鹿な女になっていった。 最初は、彼の方から誘いの連絡が来ればそれに応じていた。あくまでも、わたしは受け身に徹していたのだ

          気づいたこと。

          苛立ちを抑えられなくて、そんな自分への嫌悪感に気が狂いそうになる、なんてことを毎日のように繰り返しているけれど、そのあとズーンと気持ちが沈んでしまって何も手につかなくなる、なんてことはほとんどなくなった。 気持ちの波が小さくなってきたということだろうし、苛立ちを抑えられないこと以上にそれが辛かったから、これはわたしにとって大きな一歩。 けれども苛立ちを抑えられないことで大切なひとたちを傷つけてしまうのは何よりも苦しいから、もう少し頑張らなきゃいけない。

          気づいたこと。

          日記2024/04/03

          雨音を聴きながら、息子と長めのお昼寝をした。 わたしに似たのか、雨の日はなんだか怠そうな息子。 雨は憂鬱だけど、幼いわが子と抱き合って眠りこける幸せは何よりも尊い。

          夢物語

          手を伸ばしても触れられないものに恋い焦がれること。 そんな虚しい、けれどもある種期待に満ちた行為が、もう何年もわたしを生きながらえさせているような気がする。 動機は虚しくとも、期待を胸に生きるということ、そしてその期待を成就させるために、幼い日に描いた夢物語にふたたび光を当てること。 それは平凡に過ぎゆく日々の中に、ささやかな彩りを添えるものであった。 過ぎゆく日々の中で時に消えてしまいそうになるその彩りを何度も見失いそうになりながら、そのたびに何度でも手を伸ばし、この胸

          日記2024/04/01

          春の暖かな風をもってしても、わたしの心は優しくなりきれなかった。 ささくれだって、目に入るものはなんでも――それがたとえ、愛おしく大切なひとであっても――傷つけてしまいたいという衝動に狂いそうになってしまっていた。 むしろ、暴力や恫喝で他者を服従させること、そんな行為を何のためらいもなくできてしまう人間であったなら、どんなに楽だったろうと思う。 中途半端な罪悪感、自分の行いを改めるには至らない罪悪感が、かろうじてわたしを人間たらしめている。 ためらいでも罪悪感でもなく、真

          少女のわたしへ

          たったひとときでも自分を殺す術を覚えたのは、わたしがまだ少女の頃。 ニキビがあろうが日焼けをしていようが、瑞々しく柔らかい肌を持っていたくせに、その美しさ尊さに気がつけずにいた、贅沢な少女だった頃。 ありきたりな日常の中で蓄積した疲労に追い詰められて、わたしは夜が明けることを拒んだ。 けれどもわたしに夜明けを止める力などなく(当然のことだ)、せめてほんのひととき自分を殺すこと、それくらいしか、自分の心を癒やす術が思い浮かばなかった。 それくらい、わたしは馬鹿な少女だった。

          少女のわたしへ

          美しい死

          わたしにとって「死」というものは、自分を美しい状態でとどめおくための手段に過ぎなかった。 若く美しいうちに、皆から愛されているうちに、この命を終わらせること。 そんなことへのあこがれが、いつもわたしの胸を掻きむしっていた。 美しい死、そんな馬鹿げたあこがれのために、わたしは美しくなければいけなかった。 美しくあることへの異常なこだわりを見せるわたしの陰にある死へのあこがれ、その存在に、誰が気がつくことができただろう。 だから、なんだか幽霊みたいだよ、と友人にからかわれたと

          日記 2024/03/29

          人見知りの息子がようやくわたしの母に懐きはじめて、一緒にぬいぐるみで遊びながらきゃっきゃと笑い声をたてていた。 窓からたっぷりと入ってくる陽の光が、息子の楽しそうな顔と、心底嬉しそうな母の顔をあたたかく包みこんでいて、わたしはそこに、安らぎと幸福のふたつを見た。 子供の頃、わたしが祖母を慕ったのと同じように、息子もわたしの母を慕うようになるのだろうか。 そうなればいいな。そうなったら素敵だな。

          日記 2024/03/29