少女のわたしへ

たったひとときでも自分を殺す術を覚えたのは、わたしがまだ少女の頃。
ニキビがあろうが日焼けをしていようが、瑞々しく柔らかい肌を持っていたくせに、その美しさ尊さに気がつけずにいた、贅沢な少女だった頃。

ありきたりな日常の中で蓄積した疲労に追い詰められて、わたしは夜が明けることを拒んだ。
けれどもわたしに夜明けを止める力などなく(当然のことだ)、せめてほんのひととき自分を殺すこと、それくらいしか、自分の心を癒やす術が思い浮かばなかった。
それくらい、わたしは馬鹿な少女だった。
馬鹿で弱くて、それゆえにいじらしい少女だった。

そんなわたしを包みこんでくれる誰かがそばにいれば、わたしがたったひとときの死に癒やしを見出すことなどなかったのかもしれない。
けれども、その「誰か」は、少女のわたしの前には現れなかった。
わたしの周りにいたのもまた、馬鹿で弱くていじらしい少女だったし、少年たちもそれは同じだったから。

今おとなになったわたしが、もしあの頃のわたしに会えたなら・・・・・・、
なんて想像をしてみるけれども、すぐにそれは無意味であると気づく。
おとな、の言葉など、わたしを――目の前の一瞬が世界のすべてだと思い込み、やっとの思いで1日を乗り越える少年少女たちを――納得させるには値しないのだ。

せめて今と、これからのわたしが、自分を殺すことを選ばないようにすること、そのために、わたしがわたしの心を守ること・・・・・・。
おとなになったわたしがあの頃のわたしにしてやれるのは、ただそれだけだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?