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優しさは日々の中に

まだ1歳半の息子に対してこんなことを思うのは親バカかもしれないけれども、彼は世界一優しい男の子だ。

わたしが落ち込んでいるのを察知するとすぐさま頭や頬を撫でてくれるし、洗濯物を干すわたしの足元で「これ使うんでしょ?」と言わんばかりにハンガーや洗濯ばさみを持っていてくれるし、おやつの時間には自分のぶんのビスケットを「あーん」と言いながらわたしに差し出してくれる。
ありがとう、でもそれは君のだから君が食べてね、と言うと、息子はニコニコしながらわたしの口にビスケットをグイグイ押しつけてくる。ここまでされてしまっては食べないわけにもいかず、わたしは口に押しつけられるビスケットを食べる。すると、息子は嬉しそうにニコーッと笑みを深め、自分の頬に両手を当てて「おいし~い!」という仕草をする(君は食べていないじゃないか)。
その後はどんどんビスケットを差し出してきて、わたしの口の中はビスケットでパンパンになる。自分のぶんのおやつをほとんど母親にあげてしまうなんて、我が息子ながらとんでもない優男だ(ただ人に「あーん」をするのにハマっているだけとも言えるけれども)。

優しい男の子になってほしい、常々願ってはいるけれども、いざ息子の優しさに触れると「いつ、どこでそんな振る舞いを覚えたんだろう?」と不思議な気持ちになる。
親であるわたしが教えたわけでもないのに息子がくれる優しさ、これが無償の愛ってやつなんだろうか・・・・・・なんて、壮大な考えまで頭をよぎってしまう。

そんなある日、「無償の愛をもらっているのは親の方なんですよねぇ」と言ったわたしに、普段お世話になっているカメラマンさん(家族写真を撮っていただいたこともある)はこんな素敵な言葉を返してくれた――

「るいちゃんが愛情を持って接しているから、それが返ってきているんだと思うけどね」

その言葉は、時折母親としての自信をなくしてしまうわたしの胸にお守りのように刻み込まれた。
子育てをしていると、今日もくだらないことでイライラしてしまったとか、あのときこんな声かけをしてやればとかったとか、〇〇よりも息子との遊びを優先させたってよかったのに・・・・・・とか、ついつい自分の失敗にばかり意識が向いてしまって、「わたしはダメな母親だ」と落ち込んでしまうことも多いのだ。

けれど、わたしが息子にするキスやハグ、毎日のように伝えている「可愛い!」、「世界で1番大好き!」「あなたはお母さんの宝物」という言葉、嬉しいときや楽しいときにふたりで鼻をくっつけ合いながら笑う時間・・・・・・
わたしと息子が共有するそんなささやかな瞬間たちが、彼の心の中で優しさを育んでくれているのだとしたら、それ以上幸福なことはない。

これからも息子の心の中で優しさが育まれ、その優しさが、彼の周りの人たちを照らしてくれますように。
そして何より、彼自身の心を守ってくれますように。
母親として、そう願わずにはいられない。

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