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小説『アイアムアファーザー』

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僕がなぜ我が子に英語しか話さないようになったのか、息子が生まれた日からの試行錯誤の日々を小説にしました。
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『はじめに』

ティーチャーマサこと高橋正彦です。詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。  これは僕が2006年6月に長男が生まれてから日記的なメモを書いていて、それをまとめたノンフィクション小説です。子どもが生まれた時の気持ち、父親として生きていく覚悟ができていく過程、幼少期の壮絶な地獄の日々、病気の母の事、オーストラリアに留学した話、子どもに英語だけで話すようになったきっかけ、妻と家族になっていく様子、本当に自分がやりたい事をするようになるまでの道のり、子育てに対する考え方、色々な

「アイアムアファーザー」最終話:アイアムアファーザー

 一人旅なんて何年ぶりだろうか。  2012年夏、僕たち家族は東京に遊びに行った。僕が1999年から代表をしている草サッカーチームの合宿に参加したり、甲府の友達家族に会いに行ったり、夏を満喫した。  世間は連日行われているロンドンオリンピックの話題で持ち切りだ。北京オリンピックからもう4年も経ったのか。どうりで新太郎は来年から小学生だし、由莉杏も英語を流暢にしゃべるわけだ。  そして今、僕は明後日から仕事を再開するために一人新幹線に乗っている。彼女と子どもたちはもうしば

「アイアムアファーザー」第28話:考えてみると言った時にはもう決めていた

 結婚式が終わり、彼女の家族は日本に帰国して、僕たちはホストファミリーの家を転々として過ごした。  新太郎はオーストラリアの従兄たちとたくさん遊び、僕はオーストラリアの兄姉たちとたくさん語った。ホストブラザーの家はメルボルンから車で数時間西に行ったサーフスポットの近くにあり、庭にプールがあって、トランポリンがあって、その後ろには大草原があった。  時折裏庭までやってくる野生のカンガルー、夜空に広がる満天の星、数分おきに見える流れ星、真っ直ぐな水平線、大自然を満喫しながら二

「アイアムアファーザー」第27話:青い目の母

 教会での式を終えた僕たちは、ブライトングラマースクールの敷地内に移動して披露宴を開いた。近年リニューアルしたオープンスペースに椅子とテーブルを並べると、まるでお洒落なカフェのようだ。そこから見える樫の木は僕が卒業した13年前よりも一回り大きくなっていた。  披露宴の料理は、すべてメルボルンに住んでいる伯母夫婦が用意してくれた。母亡き後、彼らの金銭的サポートがなければ僕は高校を卒業できなかっただろう。  立食パーティー形式で行われた披露宴では、友人や恩師たちとの懐かしい話

「アイアムアファーザー」第26話:おそらく僕史上最高の笑顔で

「Congratulations Masa and Maiko!」  家族や友人たちに祝福され、僕は人生を共に歩いて行こうと決めた愛する人の肩を抱いて笑っている。おそらく僕史上最高の笑顔で。  2009年、11月29日、僕はかつて3年半過ごした第二の故郷メルボルンで結婚式を挙げた。  「家族が欲しくなったので、結婚式を挙げないのを条件に結婚してください」 これが僕のプロポーズの言葉だった。  人の結婚式に行って祝福するのは好きだ。でも、『CAN YOU CELEBRA

「アイアムアファーザー」第25話:十六年越しに届いた母の愛

 7月下旬のある日、中野駅から東西線に乗って神楽坂で降り、僕は地図を片手に待ち合わせ場所のカレー屋へと向かっていた。これから17年ぶりに同級生と会うのだ。  彼とは小学校1年生で同じクラスになって以来の付き合いだ。出会った瞬間から妙に気が合って、毎週末のように彼の家に行っては、外で探検ごっこをしたり、ファミコンで遊んだりしていた。  ところが、小学校4年生のときに僕がサッカー少年団に入って以来、週末はサッカーをすることが多くなり、彼とはだんだんと遊ばなくなっていった。

「アイアムアファーザー」第24話:僕だけの人生を生きる為のはじめの一歩

 あの日以来、僕は一心不乱に原稿を書き続けていた。子どもをバイリンガルにしたい人が読む本を出版できないかと思ったのだ。  これまでに色々な国の人達と英語で交流をしてきて、日本人は英語でのコミュニケーションが苦手な人が多いことに気が付いた。そしてそれは、日本の英語教育の在り方に問題があるのではないかと考えていた。  新太郎が生まれたとき、せっかく僕が英語を話せるのだから息子に英語を教えようと始めた英語子育て。新太郎が3歳になり、このまま続けていけば間違いなくバイリンガルにな

「アイアムアファーザー」第23話:親父の遺言

 婆ちゃんがこの世を去ってから9日後、新太郎は3歳になった。  僕たちは、家族4人でささやかな誕生会をした。彼女が作ったケーキに、新太郎が大好きな桃の缶詰とチョコレートチューブを使ってアンパンマンの絵を描いた。こんなこともできるようになったんだなあと感動しながらケーキを食べていると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。浜松に住む叔母からバースデープレゼントが届いたのだ。おもちゃと一緒に「しんたろうくん おたんじょうびおめでとう じいじ、ばあば、おばちゃんより」と書かれたバースデーカ

「アイアムアファーザー」第22話:そして誰もいなくなった

 たまにはゆっくり家族でイタリアンなんてのもありなんじゃないかと思い、店を早く閉めて、中野駅南口で彼女と子どもたちと待ち合わせをした。  中野駅北口から高架下を通り南口へと向かう途中で、横断歩道を渡って南口へと向かう新太郎と目が合った。新太郎は「ダディ!」と叫び僕に向かって走り出した。スタートのピストルが鳴った直後のスプリンターのように僕も新太郎に向かって走り出し、新太郎を抱きしめた。  バスに乗ってイタリアンレストランに向かう途中、新太郎が先ほどの駅での再会をこう説明し

「アイアムアファーザー」第21話:近づく別れ

 4月になった。満開の桜が人生の新しいステージを迎えた新入生や社会人1年生を祝うように咲いているこの頃、社会人13年目を迎えた僕は苦しんでいた。  両親共働きだった僕にはあまり一家団欒の記憶がない。酒を飲んで周囲に当り散らす親父と家族の関係が良好だったはずもなく、家の中には常に変な緊張感が漂っていた。僕はそんな家が大嫌いだった。だから自分が親になったら、子供たちにとって自慢の父親になりたかったし、僕の親父や婆ちゃんも含めた四世代で仲の良い家族になりたかった。  色々悩んだ

「アイアムアファーザー」第20話:命の正しい使い方

 新太郎が初めて英語で寝言を言った。起きていても寝言のようなことばかり言っている僕の息子が英語で 「I made white one! (白いの作ったよ!)」と本物の寝言を言った。新太郎2歳9ヵ月と4日の夜のことだった。  僕の経験上、英語の夢はある程度英語が話せるようになってから見るようになったので、新太郎の英語力もかなり上がってきたようだ。彼女は驚いて、次の日に「ねえシン君、夢の中で何を作っていたの?」と聞いていた。しかしながら当人は夢が何かもわからない2歳児だ。ママの

「アイアムアファーザー」第19話:三歳の壁 息子が日本語で話してきた

 英語子育てには『三歳の壁』というものがあるらしい。 「ずっと英語教育をしていたけど、三歳くらいになって自我がでてきて、英語を話すことを拒否して話さなくなった」「三歳以降にそのまま英語を話し続ける子を見たことが無い」etc…  僕が英語で子育てをしていると言うと、人生の先輩達は皆口を揃えてそう言った。「三歳の壁は大きいぞ」と。  新太郎は2歳8ヵ月になった。順調に英語力はアップしている。それからという意味で、alsoを使い、回りこむのを「Go around this w

「アイアムアファーザー」第18話:運命という名の船に乗って 後編

 親父が危篤状態に陥ったと、叔母から電話があったのは12月26日の早朝だった。  前日のクリスマスの夜、僕は草サッカーのチームメイト二人と居酒屋で飲んでいた。1999年に僕が中学の同級生と作った草サッカーチームで、ほとんどのメンバーをインターネット上で募集して集めた、年齢も職業もバラバラのチームだ。そこから始めてもう10年、今ではすっかり親友になった。気の合う仲間とのお酒は楽しい。浴びるほど飲んで家に帰ったのは午前3時前だったと思う。 「死んだら連絡して」  そう言って

「アイアムアファーザー」第17話:運命という名の船に乗って 前編

 運命というものが本当にあるのだろうか。今の僕ならあると言うだろう。  今、僕はバスに乗っている。このバスは広島駅から彼女の実家のある横川へと向かっている。第二子出産のために、彼女が新太郎を連れて実家のある広島へと移動してから27日が経った。仕事の都合上、生まれたらすぐ店を閉めて会いに行く訳にはいかなかったので、予め11月19日から3日間、広島に行くことを決めていた。 『生まれそうなので病院に行ってきます。気をつけて来てね。電話に出れないからお母さんに電話してね』  広