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「アイアムアファーザー」第28話:考えてみると言った時にはもう決めていた

 結婚式が終わり、彼女の家族は日本に帰国して、僕たちはホストファミリーの家を転々として過ごした。

 新太郎はオーストラリアの従兄たちとたくさん遊び、僕はオーストラリアの兄姉たちとたくさん語った。ホストブラザーの家はメルボルンから車で数時間西に行ったサーフスポットの近くにあり、庭にプールがあって、トランポリンがあって、その後ろには大草原があった。

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 時折裏庭までやってくる野生のカンガルー、夜空に広がる満天の星、数分おきに見える流れ星、真っ直ぐな水平線、大自然を満喫しながら二週間を過ごした。

 日本に帰宅する2日前、結婚式にも来てくれた高校の恩師に誘われて公園にピクニックに出かけた。当時留学生の窓口のような役職をしていて、僕が高校で最も深く関わった先生だ。専門はフランス語だからフランス式のピクニックを用意したと言って、サラダ、バケット、フォアグラ、チーズ、ロゼワインなどを振る舞ってくれた。

 僕はサッカー部の無かったブライトングラマースクールに3年かけてサッカー部を作った。最初の年は、僕が単独で学校のスポーツ担当の先生のところに直談判したものの玉砕、2年目は生徒たちの署名を集めてこれだけの要望があるとアピールするも惨敗、そして3年目に親たちの署名も集めてようやくサッカー部が誕生した。

 サッカー部を作りたいと思い立った僕はまず、留学生の担当であるこの先生のところに相談に言った。その時のことを、ロゼワインを飲みながら先生が可笑しそうに話す。

 サッカー部を作れば強いから学校の花形スポーツになって学校にもメリットが大きいと言う僕に根拠を聞くと、「Because I’ll be playing (だって俺がプレーするから)」と言ったのだそうだ。結局3年連続でそれが一番の根拠だと押し切ってサッカー部を作ってしまったのがお前らしいと、まだ笑っている。

 僕たちブライトングラマーサッカー部の戦いは、3部リーグから始まった。ところが毎試合10対0に近いスコアで圧勝する僕たちに、シーズン途中に2部に上がる異例の昇格辞令が出た。そして2部リーグでも全勝して、僕が卒業したシーズンからトップリーグでプレーすることになった。

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 僕が卒業後、ブライトングラマーサッカー部はビクトリア州のチャンピオンに数回輝くサッカーの名門校になった。僕たちの頃は、わざわざバスで遠くの練習場まで行かされていたのに、今では校舎の真ん前に天然芝で周りをフェンスに囲まれた電光掲示板付の立派な練習場がある。創設者であり初代キャプテンである僕の名前は、学校のヒストリーブックに残されている。

 昼休みに学校を抜け出して友達とタバコを吸って停学になったり、遅刻率が7割を超えていたり、やんちゃな面も多々あったが、一方でオーストラリア人の友達と普段から交流し、それでいてアジア人とも日本人とも分け隔てなく付き合う僕は、オーストラリア人と留学生を繋ぐ架け橋のような存在だったと、ほろ酔いで先生はそう言ってくれた。

 先生と話しながら、僕は中古CDショップをやりながらも、世界のオタクと日本のオタクを繋ごうとしていたなあと思い、結局自分は世界と日本を繋ぐようなことがしたいのではないかと思った。

 僕たちがしゃべっている間、新太郎は飽きてしまって、公園に来ていた知らないオーストラリア人の家族のところに行って仲良くなっていた。しばらくすると、その子たちから「Shintaro!」と呼ばれ、一緒に池に遊びに行き、数分後びしょ濡れになって帰って来た。

 濡れたTシャツを彼女に拭いてもらって、再び出来立ての友達のところに戻って行く新太郎の小さな背中を見ながら先生がこう言った。

「You taught Shintaro how to speak English and how to make friends, he is already an independent man. (キミは新太郎に英語と友達の作り方を教えた。彼はもう自立した一人前の男だね)」

 こんな風に、日本の子どもたちが英語使ってコミュニケーションが取れるようになったらいいよなあと思った。

 帰国前日、僕たちはホストマザーの家に再び戻ってきて、ゆっくりした時間を過ごしていた。コーヒーを飲みながら、ホストマザーから、広島で何をやるのかと聞かれ、僕はとりあえず通販専門の中古CDショップをするけど、本当にやりたいことを見つけてそれをやりたいと答えた。すると、ホストマザーから英語の先生はどうかと提案された。新太郎のように英語ができる日本人の子どもが増えたら素敵だし、ニーズもあるんじゃないかしらとホストマザーは言う。

 前日公園で感じたことが脳裏に蘇る。僕になら英語を使って世界中に友達を作る方法を日本の子どもたちに教えられるのではないだろうか。そして、それが世界と日本を繋ぐことになるのではないだろうか。

「I’ll think about it. (考えてみるよ)」

 僕はそう答えたが、頭の中ではどうやって英会話学校を開こうかと考え始めていた。


最終話:https://note.com/teachermasa/n/n9c4ee3bf4454

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