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「アイアムアファーザー」第27話:青い目の母

 教会での式を終えた僕たちは、ブライトングラマースクールの敷地内に移動して披露宴を開いた。近年リニューアルしたオープンスペースに椅子とテーブルを並べると、まるでお洒落なカフェのようだ。そこから見える樫の木は僕が卒業した13年前よりも一回り大きくなっていた。

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 披露宴の料理は、すべてメルボルンに住んでいる伯母夫婦が用意してくれた。母亡き後、彼らの金銭的サポートがなければ僕は高校を卒業できなかっただろう。

 立食パーティー形式で行われた披露宴では、友人や恩師たちとの懐かしい話で盛り上がった。彼女の家族と僕のホストファミリーも友好を深めているようだった。彼女のお母さんと、僕のホストマザー、二人の母が隣同士で会話している姿を見て、僕にはオーストラリアの母と、広島の母がいるのだと嬉しくなった。

 このホストマザーから、僕は、家族とは血の繋がりだけではないと教わった。

 高校生活最後の年、大学には行かないことを決めていた僕は、学生最後の年くらい本気で勉学に励んでみようと心に決め、真剣に頑張り始めた。英語の授業で、論文を書くことになったときにも、かなりリサーチをして、その時点の僕にできた最高のものを書き上げて提出した。

 ところが、その僕の頑張りが不幸を招く。

 英語の授業中、生徒が順番に呼ばれて、論文の感想や修正点などを先生から聞くことになった。僕の番になり、きっと褒められるんじゃないかと思ってワクワクしながら僕は先生の机へ向かった。

「マサ、これだれに書いてもらったの?あなたがこんな素晴らしい論文を書けるわけがないでしょう」

 40代の女性教師に開口一番そう言われ、僕はこれまでは良い成績を取るために努力をしてこなかったけど、最後の年なので最後くらい全力でやろうと思って今年は頑張っていると伝えた。それでも彼女には信じてもらえず、ホストマザーを呼び出すと言って女教師は僕を睨んだ。僕は論文をバックに入れると、目の前の机を蹴り倒しそのまま家に帰った。

 ホストマザーにその話を伝えると、彼女は憤慨し、翌日英語の女教師と学校で三者面談をすることになった。職員室横の2畳くらいの狭い部屋に通され、僕とホストマザーが隣同士に座り、女教師は向かい側に座った。

 ホストマザーは、僕がこの論文に対してどれだけ一生懸命取り組んでいたか、毎日のように彼女に進行状況を見せて感想を聞きに来ていたので、少しずつ論文がよくなっていく様子も見てきているし、100%僕のオリジナルであることを保証すると言ってくれた。

 それを聞いた女教師は、前日の僕に対する態度とは打って変わり、「あらいやだ、マサ君が不正をする筈がないじゃありませんか。私はただ、彼がすごく頑張って素晴らしい論文を書き上げたので、これまでとは別人のようだわと褒めただけですわ。留学生だとその辺のニュアンスが伝わらないことが間々ありますから」と笑顔で答えた。

 机の下で震える僕の腕に、ホストマザーの手が優しく添えられたとき、僕は自分の体が震えていたのだと気が付いた。彼女の温もりによって、人間て怒りが度を超えると体が震えるんだなと客観的に分析できるほどに、僕は冷静さを取り戻した。

 結局、その後も女教師は自分の落ち度を認めることなく、三者面談は終わった。終始穏やかに話をしていたホストマザーは、「もしこの子を傷つけることが起こったらまたすぐに来ますよ」と言って女教師に微笑みかけ、そして部屋を出た。

 学校の正門までホストマザーを送っていってお礼を言うと、彼女は僕の手を握りながら、僕の目を見てこう言った。

「何もできなくてごめんね。でもあなたが一生懸命頑張っていることは私が一番よくわかっているから。あなたはズルをしてまで上に行こうとする子では絶対にない」

 それを聞いた途端に僕は何かから解放され、それが高校の正門前だというのに、人目もはばからずにホストマザーの胸に泣き崩れた。僕が泣いている間、ずっと僕の背中をなでながら「悔しかったね、よく我慢したね」と言うホストマザーの声を聴きながら、この目の青い母を一生大切にしようと思った。

第28話:https://note.com/teachermasa/n/n50bb13f1c2a2

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