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「アイアムアファーザー」第26話:おそらく僕史上最高の笑顔で

「Congratulations Masa and Maiko!」

 家族や友人たちに祝福され、僕は人生を共に歩いて行こうと決めた愛する人の肩を抱いて笑っている。おそらく僕史上最高の笑顔で。

 2009年、11月29日、僕はかつて3年半過ごした第二の故郷メルボルンで結婚式を挙げた。

 「家族が欲しくなったので、結婚式を挙げないのを条件に結婚してください」 これが僕のプロポーズの言葉だった。

 人の結婚式に行って祝福するのは好きだ。でも、『CAN YOU CELEBRATE?』 とか『純恋歌』とかをバックに入場して、友達の作ってくれたビデオレターを見て涙する自分はどうしても受け入れられなかった。今となってはそういう式でも受け入れられると思うけど僕はまだ若く自意識が過剰だった。「いつか必ず俺たちにしかできない何かをする」と約束して、付き合い始めてから丸5年経った2005年6月3日に中野区役所で籍を入れた。

 そしてその1年後、2006年6月2日に新太郎が生まれた。それから2年後の11月19日に由莉杏が生まれ、12月26日に親父が死に、翌年の5月24日に婆ちゃんが死んだ。

 僕の友達から母の最期のメッセージを聞いたあの日、僕は広島に引っ越すことを決めた。広島に行って、彼女の両親やお婆ちゃんの近くで暮らそう、そこで僕が追い求め続けて結局成し遂げることができなかった『家族』をしようと決めた。彼女の家は三姉妹で、全員結婚して家を出ていたので、長女である彼女が孫を連れて広島に来たら、彼女の両親はきっと喜んでくれるのではないかと思うとワクワクした。

 仕事に関しては、とりあえずCDショップの在庫があるので、ネット通販限定で店をやりながら今後の進む道を考えることに決めた。

 7月末には、大家さんに9月末で店を閉めることを伝え、引っ越しの準備を始めた。二十歳でCDショップを開いてから、ワーカホリックぎみに働いてきたので、東京から広島に引っ越すこの機会に今までできなかったことをしようと考えていた。

 すぐに僕がかつて留学していたオーストラリアに行こうと思いついた。ホストマザーとはずっと手紙やメールで連絡を取り合っているが、高校卒業後に日本に戻ってきて以来13年間も会っていなかった。オーストラリアを離れてから、それなりに頑張って来た今の僕の姿を見せたかったし、僕の家族も紹介したかった。そんなことを考えているうちに、頭の奥のそのまた奥に置きっぱなしになっていた、結婚式をしない代わりにする『俺たちにしかできない何か』のことを思い出した。

 そうだ、結婚式をオーストラリアで、それも僕が通ったブライトングラマースクールの教会で挙げよう、そして披露宴を高校の敷地内でやろう!

『俺たちにしかできないなにか』が僕の頭の中でどんどんと形になっていった。

 まず僕は母校であるブライトングラマースクールにメールを送り今回の計画について相談した。学校側に僕のことを覚えてくれている人がいたこともあり、快く承諾してもらった。

 次に航空券を確保した。思い切って11月24日から3週間の旅行に決めた。そしてホストマザーに連絡を取り、日程を調整して、式は11月29日にすることになった。

 そこまで計画を進めてから、いよいよ彼女にもこの計画を伝えた。彼女はとても喜んでくれて、式には彼女の両親と2人の妹とその家族も来ることになった。オーストラリア人の友達や恩師、メルボルンに住む日本人の友達も招待した。

 行くときには、彼女の両親と妹家族と一緒に成田からメルボルンに行って、最初の1週間は彼らとホテルに泊まって観光をして、結婚式のあと彼らが日本に帰ったら、僕たち家族4人で、ホストマザーやホストブラザーの家にお世話になることになった。オーストラリアの家族との2週間は、新太郎と由莉杏にとっても貴重な経験になるに違いない。

 引っ越しと結婚式の準備で忙しくしていた8月31日、出版社の会議にかけられていたバイリンガル子育ての本の出版が決まった。自分の意思で引っ越しを決めたものの、東京から広島に行って、店も持たずにネット通販だけで当面やっていくことに対して、このままじゃあ都落ちみたいだなと一抹の不安を抱いていた僕にとっては、広島からだって必ず大きなことができるハズだと思わせてくれる最高の知らせだった。

 CDショップの営業を9月23日までして、その後は大急ぎで家と店の引っ越しの荷造りをして、9月30日には広島に移動した。店の荷造りが終わり、積み上げられた150個のダンボール箱と空っぽになった店内を見渡すと、これからが楽しみではあるけれど少し寂しい卒業生のような気持ちになった。

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 思えば僕はこの店で12年間働いてきた。小学校入学から高校卒業までと同じ月日を過ごしたこの店は、僕を少しだけ大人にしてくれたと思う。


 広島に着いてからは、大急ぎで一応通販の注文を受け付けられる状態にして、その後はゆっくりと片付けをしながら、毎日新太郎とサッカーをしたり、由莉杏と遊んだりして過ごした。今までなら毎日店を開けていた時間に子どもたちと過ごせることが何より幸せだった。

 もちろん、ネット通販でCDやレコードをどんどん売っていかないと生活は厳しくなっていくことはわかっていたが、その頃の僕はオーストラリア旅行から帰ってくるまでは何も考えずにのんびり過ごすと決めていたので一切頑張らなかった。

 東京での最後の2年間は、ほぼ無休でバイトも雇わずに一人で店を開けていて、その結果一時は精神的にかなり追い詰められて気が狂いかけていた時期もあった僕だったが、この長い休日が少しずつ僕の心を癒していった。広島に来て、夕焼けが赤いことや、雲が無い夜に空を見上げれば星が見えることを思い出した。


 そして今、オーストラリアの教会で、家族や友人たちに祝福され、僕は人生を共に歩いて行こうと決めた愛する人の肩を抱いて笑っている。おそらく僕史上最高の笑顔で。

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第27話:https://note.com/teachermasa/n/nc5a56da58089

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