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毎日投稿を200日以上続け、原点に立ち返った時に出逢った自分の感情【vol.242】
今日は、noteを200日以上毎日続けてきた自分が、ここまで書いてきたけど、「一体自分は何を書けばいいのか」という原点に立ち返って思うことを書こうと思います。先日、そのテーマに触れた内容の記事を書いたので、読んでいない方は、まずこちらをご覧ください。↓↓↓↓↓
そして、これを通じて、「自分は何のために書いているのか」その目的を改めて見つめなおしている間に出会った、自分の感情を詩っぽく。
「誰かのきっかけになれれば」なんて後付けに過ぎなかった。
自分の好きなように思いのまま綴る。
人の為に書くなんて、自分にとっては苦痛だったのかもしれない。
ここに私を表現し、ここで最高の自己満足に浸る。
それで何が悪いの?
幸せって勝手に決めるものでしょ?
私のものだもの。
人の為に何かすることだけが、
偉くて、凄くて、尊敬されることじゃないわ。
幸せでもないわ。
自分の為に、必死に書きなぐるのだって幸せだ。
誰にも知られることのない、この最高で最強の満足感を求めて、私は毎日書くの。
特に書く内容のジャンルを固めているわけではない。本当に、その時々思うこと、考えることを書いてきた。そんな自分が、外向きでは「誰かの考えるキッカケに」なんて思っていたけど、そのために書くことは、自分にとって、noteを書きたいと思った、書き始めた最初の頃のワクワク感とは違った。何かいいことを言ってやろう、こんなこと書けば良さげ、どんどんその方向へ引っ張られていく自分が見えた。
そんな自分に気づいた時、物凄く嫌だった。嫌いだった。
それより、もっと下手で汚い文章でいいから、自分を表現したいと思った。
たまに現れるその文章が書ける自分が好きだった。物凄く快感を覚えていた。
どれも自分なんだろうけど、書く大前提の心構えとして、もっと人間味のあるというか、ドロドロとしたというか、生身の自分を表現したいと思う。
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