仏教界の起業家松本紹圭僧侶が説く!(後編)掃除、習慣から学ぶ“心の整え方”
柿次郎:Dooo編集長の徳谷柿次郎です。今回も前回に続いて松本紹圭さんにお話をお聞きします。Doooぅ~・・・
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Dooo‼今回は仏教界の起業家松本紹圭僧侶の後編です。住職だった祖父の影響で仏教の世界に興味を持ったという松本氏。東京大学文学部を卒業後新卒で、東京・神谷町にある光明寺に入門した後は…。
松本:自分が勉強しに行ってそういう学びの場所を作りたいなと。
2010年お寺の経営を学ぶためインドに留学、MBAを取得しました。帰国後はお寺の改革とも言える斬新なアイディアを次々に打ち出していきます。仏教をもっと身近なものにするためインターネットで仏教を伝える「higan.net」の開設や光明寺の境内を開放したカフェ「神谷町オープンテラス」を発案。2012年にはお寺の経営について住職に指南する「未来の住職塾」を開講。250人を超える意識の高い僧侶が松本氏の下で学んでいます。
松本:仏教も宗派いろいろありますけど、それも全部超えているようなシンプルな実践はないかなと思っていたら「あっ 掃除だ!」と。
柿次郎:なるほど。
後編では、現在松本氏が定期的に開催している掃除の会や日々の習慣から心を整える方法などたっぷりお聞きします。
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掃除から考える環境づくりとは
柿次郎:それこそ今度本を出されるとか。
松本:はいそうなんです。
柿次郎:掃除って、掃除した方がいいよなとは思うんですけど。掃除って人間にどういう影響を与えるんですかね?
松本:掃除します?普段。
柿次郎:1週間に1回ぐらいですかね?だいぶ少ない方ですね・・・。服を脱ぎ捨てたものを片付けようぐらいは日々していますけど、めっちゃ汚くもないですけどめっちゃきれいでもないです。
松本:習慣を作っていく、掃除って環境を整えていくことじゃないですか身の回りの。仏教では自分と外を切り離さないというか、地続きのものとして見ていく。だから、心を整えるって一生懸命言っても周りがあまりにも散らかっていたりすると、それは当然反映されてくるわけですよね、環境が。じゃあ逆に環境を整えていくことによって、それは心も整ってくるっていう両方一緒に一体として見ていくことがまず大事っていう。
柿次郎:はぁ~。
松本:掃除って誰の生活にも関係あるじゃないですか。最近よく聞くと思うんですけど、「マインドフルネス」。いろいろビジネスマンの人でも瞑想したりして集中力を高めたりという。確かにそれも良いと思うんです。でも、よっぽど意識の高い人じゃないと新しいことを習慣にするって難しいですよね。
柿次郎:日々のことで精一杯というか。
松本:だから、何かもっと日常の生活の中にあることで仏教的な何か実践にならないかなって。仏教も色んな宗派がありますけど、それも全部超えていけるようなシンプルな実践はないかと思っていたら、「あ!掃除だ」と。
柿次郎:あ~なるほど!
松本:知ってます?掃除で悟った仏弟子っていう人がいるんですよ。
柿次郎:え!?知らないです。
松本:仏弟子っていうとお釈迦さまの弟子ですけど。
柿次郎:掃除1つで悟れる?
松本:それが周利槃特(しゅりはんどく)っていう弟子がいて、彼はものすごく記憶力が悪かったんです。だからお釈迦さまの言葉、お経を1つも覚えられない。「こんな私がどうやって悟れるんだろう」と言う彼にお釈迦さまは「だったら、これだけ言いながら掃除をしなさい」と。「塵をはらわん、垢を落とさん」それだけひたすら唱えながらずっと掃除をしなさいと指導したんですね。
松本:ずっとやっているうちにその周利槃特はついに悟ったと言われていて。1つ掃除が教えてくれることって、はらってもはらっても「ここ掃除しなさいね」って言われて完璧にやったな100%やったぞと思った瞬間から落ち葉が落ちてくるわけですよ。
柿次郎:あ~そうですよね。
松本:掃除って一見完璧主義の練習のようで実は脱完璧主義の練習でもあるんですね。掃いても掃いても塵が積もり続けるのは環境もそうだけど、自分の心も一緒じゃないかという気づきも1つあったんじゃないかってのは想像できますよね。
掃除は「脱・完璧主義」の練習
柿次郎:それは家の中を100%きれいにしないといけないという掃除の考え方でやっていると続かなかったりするけれども、ある程度汚れるものだけどこれだけはやっていこうと思うと日々積み重ねていくことによって、ちょっと心が整ったりする?
松本:そうですね。あと掃除は象徴的な実践だと思うんですけど、よくお寺でやっている朝掃除の会「Temple Morning」に来られる方でも、「どうしても自分が許せないんです」って言うような人が結構いる。「私はこうでなきゃいけない」「こうあらねばいけないのにそれがなかなか100%達成できない」と。「理想の私に成れないんです」っていう悩みを抱えてる方が現代人に多いような感じがしていて。
松本:みんなで高めていこう、より良い自分に成っていこうと。やりすぎるとすごく辛くなっていく。どこまで経っても思う通りの自分に成らない自分に出会ってしまうという。だから、掃除を通じて実はこれは完璧主義を目指すようでそうじゃないんです。いつまで経っても終わりってないよねと。終わりのない営みなんだということを教わることなんですよなんて言うと、「あ、なるほど」みたいな。
柿次郎:いや~それはなかなか刺さる言葉ですね。今の若者とかも情報が増えて、就ける職業の選択肢が増えているようで「何かにならないといけない」。何者かになれないといけない症候群みたいな人たちがいて。僕も36歳ですけど、目標を持たないといけないみたいな意識にとらわれているので、そこのバランス難しくないですか?
松本:その目的思考を手放す訓練でもあると思います。
掃除=目的志向を手放す訓練
柿次郎:あ、掃除が?
松本:はい。掃除って目的があるようでないというか、きれいにするっていうことはそうなんですけど、実は「何をもってきれいにしたのか」「何をもって終えるのか」っていうのも自分で決めなきゃいけない。ずっと落ち葉も落ち続けているわけですし、どっかで「ここらへんかな」「精一杯やったよね」っていうところを決めていく必要があって。おっしゃる通り若い人と話していると、目的を持てとか夢を持てビジョンを持てって言われすぎて、頑張るのはいいんですよ。頑張るのはいいんだけど、どうしてもそれが強くなりすぎると「それが達成できなかったら失敗なんだ」っていう風に思っちゃうわけですよね。でも、人生色んな事があってその通りにいくこともあれば、いかないこともあるし。掃除する時もとりあえずこの辺やっておこうっていう仮の目標を持ちつつも、その通りにいくこともいかないこともあるし。でも、それもそれで受け入れていくっていうこと。逆に元々持っていた夢とか目標ってその時点での自分が思い描ける範囲のことしか描けないですよね。やっているうちに状況も変わるし、大体色んな方とお会いすると思うんですけど。何か活躍されている方で、「100%思い通りにこれを初めから狙ってきました」なんて言う人ほぼいないと思うんですよね。
柿次郎:結果そうなったっていう人の方がほとんどですね多分。
松本:だから、別に夢や目標をとりあえず持ってやるのはいいんですけど、やった結果はただそのものとして成功も失敗もなく受け止めていく。そんなことも掃除が教えてくれる1つかなと思います。
柿次郎:掃除ぃ~・・・深い。とりあえずちり取りとほうきを買うっていうのも大事かもしれないですね。
松本:そうですね。
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日常生活に取り入れる!深い呼吸
柿次郎:僕、今回お聞きしたかったのが「呼吸」。仏教とか日々の日常の中でいかに呼吸を取り入れるかっていうのは、僕もローカルを取材しているとやっぱり呼吸ってすごい大事だなって気づく瞬間が多いんですね。僕も何年か前は東京の満員電車に揺られてすごいストレスだったんですね。
松本:そうですよね。
柿次郎:あの箱の中って現代的な人が不安を覚える・ストレスを感じやすい要素がぎちぎちに詰まっているなって思っていて。
松本:そうですね。満員電車は毎日乗っているとすごく影響を受けていきますよね。時々東京に珍しく出てきてたまに乗りますよってぐらいだったら大丈夫だと思うんですけど。それが慢性的に習慣化されちゃうと、やっぱり体に影響がきますよね。山に入って森の中で「マイナスイオンを浴びました」とかもいいんですけど、日々の中で習慣的にその呼吸を整えるような自分なりの儀式を持つっていうことが大事かなと思いますよね。
松本:お坊さんたちって、そんなに科学的にどうかとかあまり考えているわけじゃないと思うんですけど。日常を見ていると例えば朝、本堂の扉を開けて空気を入れ換えて朝のお経をよむのも必ずそこで呼吸を入れますから。だから、そういう日々の習慣で起動するというか、真っさらにしていくようなサイクルが出来ているんじゃないですかね。「Temple Morning」に来ている人たちは早起きするわけですよ。出勤する前にお寺で朝掃除してから行くので、来ている時点でまず満員電車からずれている。
柿次郎:ああ!確かに。
松本:はい、オフピークというか早朝動いているんで。
松本:1つおすすめは、一緒にやることですよねみんなで。1人だけだとなかなか儀式って自分なりの呼吸を整える。「いやまぁ今日はいいかな」とかってなっちゃうじゃないですか。でも、誰か仲間がいれば「よし、頑張っていこうかな」っていう気にもなれるし。
柿次郎:それでお寺というコミュニティースペースを解放して、もし7時8時で通勤しなきゃいけない人もいつもよりも1時間早く動いてちょっとそういう場所に。普通に参拝するだけでもいいわけですもんね。
松本:いいと思います。
柿次郎:森があって空気がきれいなところで呼吸をして、また自分の生活に戻っていくっていう。そういう変化の付け方はすごい大事ですね。
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現実社会にジャムおじさんはいないから・・・
柿次郎:地方の一次産業とか地球がちょっと危ないんじゃないみたいなものをよく取材してはいるんですけど、それが生業になってそれを代わりに伝えるのが仕事なんですけど。そういう役割がすごい少ないんですね。要は全国あちこち取材して代わりに伝えてほしいって、みんなしんどいからやっていないことなんですね。僕は割とそうことに対して当事者意識をたまたま持てる環境にいたので、好奇心だけで走ってきたんですけど。社会からの要請といいますか、「じゃあ来週網走に来てほしい」「その翌週鹿児島に行って」と。何か月に何回も出張するみたいになっていくうちに思いのほか自分が疲れていることに気づいて、ここ何年か。思いついたのがアンパンマンってみんなから「助けて!」って言われて行って、パンをあげバイキンマンをやっつけて。そしたらジャムおじさんが真っさらに入れ替えてくれるじゃないですか。あれってもちろんアニメの話ですけど、日本の実社会ではジャムおじさんっていないんだなと。そこに気づいて、いかに自分の顔を回復するかっていう行為をもっと自分で考えていかないといけないと思うと。今日紹圭さんのお話を聞いていて、まさに掃除とかルーティーンみたいなものを自分に持つことによって、ジャムおじさん的な機能を持てるんですかね。
仏教にある布薩(ふさつ)とは
松本:私も結構出張があるので毎朝同じ事やれるかって言われるとやれないんですよ。だからこそ、丁度「Temple Morning」は2週間に1回やっているんですね。それくらいだったら、自分にも・・・あれこれやっているうちに崩れていくんですよね。崩れていくんだけど、2週間に1回顔を換えるタイミング、新しい顔をくっつけるタイミングがあるっていう感じで。最近そういう習慣つくりにすごく興味があって調べていたら、仏教にも習慣づくりと日々の生活を見直すことが大事だよって、それをずっとやってきた儀式があったんですよ。それは布薩(ふさつ)って言って。
柿次郎:布薩(ふさつ)?
松本:丁度新月と満月の日、つまり2週間に1回ですね。昔インドのお釈迦さまの時代から修行者たちいっぱいいるんで、修行者たちがちらばってる人たちが近くの人たちで集まって2週間に1回反省会をするんですね、要するに。「こんなことやっちゃったんだけど」みたいなとか「こういう事考えちゃったんだ」とか日々やっている事を「また気合い入れ直して頑張るわ」っていう会を開いていたと。そこでもミーティングで仲間が大事であり、大体2週間に1回っていうのは理にかなっているんだなぁって思ったんですよね。お釈迦さまの言葉にこんなのがあって「良き仲間を持つことは、修行の半ばではなく、その全てである」と。
柿次郎:ほうほう。仲間を持つことは・・・。
松本:良き仲間を持つことこそが、修行の完成であると言ってもいいんだっていうぐらい、良き仲間を持つことを大事にされていたんですね。だから、そういう機会を定期的に、忙しい中でも2週間に1回ぐらいはどっか顔を換える・チャージするタイミングをつくってみたらどうでしょうかね。
柿次郎:そっか、僕も結構ちりじりで仕事をしていて、だらっと会わなくなったりするんですよね。けど、今僕が近くにいてくれる仲間たちは2週に1回朝の気持ちの良い時間に集まってちょっと呼吸を意識しながらしゃべるだけでも結構ね。掃除ももしできたら完璧?笑
松本:そうですね。
柿次郎:あ~お寺で集まるミーティングっていいですね。
松本:いいですよね。行った先でゲリラ的に掃除をするっていうのもいいですね。
柿次郎:いやぁ~それ意識してみます。
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来月発売の松本氏の著書「トランジション ~何があっても生きていける方法~」。人生100年時代、環境や内面の変化に恐れることなく生き抜いて行くためのヒントが書かれたこの本は、若者、そして悩める現代人必読の一冊です。
若者へ「中道」を探るスタンスで・・・
柿次郎:今10代の子たちが向こう10年、20年で生きる時代って多分我々よりも、もっと変化が多くて心理的な揺れとか不安が高まりそうだなとは思うんですけど。彼らにメッセージといいますかちょっとこういうことを意識するといいかもみたいな、掃除もそうでしょうし。
松本:変化の早い時代に生きてますよね。先が見えなくて誰もどんな未来になるのか・・・未来はわからないにせよ、分からなさがかなり大きくなっているのですごく難しい時代だとは思いますね。やっぱり不安だからこそ、どっか分かりやすい救いのようなものを求めてしまうかもしれないんですけど、そこはちょっと踏み止まって。仏教で中道という言葉があります、中に道・・・真ん中の道という字ですね。中道で行くと。右と左があってじゃあどっちにもつかずに、何となく真ん中でいくということではなくて。それも1つはそうかもしれないですけど、私たちがいる世界自体がすごいダイナミックに動いている変化しているわけですね。一切は変化する諸行無常とも言いますけど、そういう世界を生きていて常に真ん中がどこかわからないわけですよ。どうしても放っておくと極端な方向にふれちゃったり、人間ってすっきりしたい生き物じゃないですか。「あ、これで分かった」とか「これはこういうものなんだ」みたいな決めつけて溜飲を下げるっていう。でもそれを戒めたのがお釈迦さまなのかなと思いますよね。安易に「これはこれである」いう風にしないで、ちゃんと自分で考え続ける自分で歩み続けるっていうことを大事にしなさいと。「何者かにならなきゃいけない」っていう感覚が強い人が多いって言ってましたけど、それも何かキャラクターを設定して「俺はこれになるんだ」と決めてセルフブランディングしてみたいな。
柿次郎:演じきるっていう。
松本:演じきるっていうのは、どっかで自分っていうのはどこかで変化し続けているわけですからね。そこにハマっていかないといけないっていうのはすごく苦しいものだし、変わり続ける環境と、同時に変わり続ける自分を常に揺れ動いていることを受け入れて同期させ続けるっていうんですかね。決めつけて「これはこれなんだ」っていう風になっちゃうと、変化している自分と変化している世界にも気づけなくなっちゃうんで。やっぱり、永遠にすっきりできない世界で生きているんだということを。
松本:掃いても掃いても積もっていく掃除と同じように。だから中道っていうこと、中道を探り続けるようなスタンスを大事にしてほしいかなぁと思いますね。「自分はこれなんだ!」とか「よし、わかった!」って思った瞬間が危ないですよね。
柿次郎:なるほど。それは決めつけて「これはこうだ」「社会はきっとこうだからこうしなきゃいけない」っていうものが増えすぎると危ない状態であると。
松本:だから、モヤモヤを受け入れるというか、別に悪いものではないんですよ、悩み事も。
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映画「マトリックス」は仏教的要素が入っている
柿次郎:影響を受けた映画をちょっと教えていただいていいですかね。
松本:はい。映画はそんなたくさん見ないので詳しくもないんですけど、やっぱり仏教的なと言えば「マトリックス」は外せないですよね。
柿次郎:「マトリックス」って仏教的なんですか!?
松本:だと思いますね。割と仏教界隈の人たちはそういう風に見ている人は多いと思いますけど。
柿次郎:何かね、つなげてバーチャルな世界で自分を動かすっていうのを。
松本:そうですね。自分の心の中に入っていくと。自分の頭の中にある意味映画を繰り広げているような、自分もその中の登場人物だと思って生きているわけですけど。本当にそうなのかっていうことを問いかけてくる映画ですよね。
柿次郎:さっきの話を通じますね。それで本当に自分が正しいのかどうかを問いかけるというか。そういう視点で当時マトリックス見てなかったですね。よくわかんなかったですもん笑
松本:また見てみてください。
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お寺でもお掃除ロボット!
柿次郎:こちら写真が出てますけども。これは何かすごいマトリックス的な世界ですね。これはとあるイベントの写真ですよね?
松本:メディアアートのイベントで、やっぱりこういうテクノロジーと仏教ってすごく自分も興味があって積極的に見に行ったりしますね。
柿次郎:それはさっきの精神性とか身体性をどう拡張していくかみたいなものがテクノロジ-領域の主題なんですか?
松本:そうですね。身体性の事もあるし、あとは心理的な事とか脳の分野とかそっちもありますよね。でも多分、感覚を手に入れるのがゴールってわけでもなく、今回話していたように「終わりない」というところで。あんまり目的を設定しすぎずにプロセスを大事にするっていうことをちゃんと押さえていけばいいのかなとは思うんですけどね。
柿次郎:それこそ掃除の話にいうとルンバとか、お掃除ロボットって紹圭さん的にも全然OKなんですか?
松本:あれお寺で使いますよ。
柿次郎:あ!そうなんですか(笑)お寺でもルンバ使っているんですか!?
松本:(お寺が)広いですしね。上手く共存することが大事で別に否定するわけでもなく、掃除は修行なので。
柿次郎:そっか、自分でできないことでストレスになるならルンバを。
松本:そうですよ。苦行になっちゃったら修行じゃないんで。
柿次郎:そっかぁ、この「Dooo!」っていうのもね。色んな迷いながらアクションをしている人たちをどんどん今後も呼んでいきたいと思うので、紹圭さんには月に2回ぐらい出てもらえたら、僕の気持ちがスッキリしそうなのでまた引き続き宜しくお願い致します!
松本:はい
柿次郎:じゃあみんなまたね!Dooo~。
松本:ありがとうございました~。
(前編はこちら)