経済産業省「未来の教室」Edtech 第二次提言とは~「初等中等教育」と「不登校解消」編~
画像は「高等学校 Edtechにより、通信制がアップデートされ、全日制が変革したイメージ(案)」です。2018年経済産業省は「未来の教室」Edtech研究会をスタートさせ、2019年6月第二次提言「未来の教室ビジョン」をとりまとめました。文部科学省の役割である学校教育の平等性の理念により取り掛かることができないと思われる領域に、経産省がテコ入れした形になりました。経産省は「生産性の向上」を前面に置いて、浮きこぼれや取りこぼしを掬い取り、エリート・英才教育に国が堂々と取り組むことができるようになったのです。第二次提言とはなんでしょうか。
第2次提言(PDF)を引用しながら読み解いていきます。
初等中等教育「未来の教室」ビジョン
「未来の教室」Edtechビジョンは、高等学校のイメージ図にあるような個別学習策定と共に、Edtechを活用した個別学習を通学生と通信生におこなうシステム(教育制度・教育体系)を提案します。一貫した教育を提供できるよう、同様のシステムが初等中等教育にも必要ではないかとしています。また幼児期の教育が非認知能力の形成に非常に重要であるという認識が周知されつつある現状を踏まえ、その教育体系の構築を進めるよう提言しています。
冒頭の図に矢印を4つ書き込みました。
③の矢印の部分です。個別学習計画を策定すると共に、Edtech(デジタルテクノロジー)を活用した個別学習を提案しています。
矢印の②の内容が③に移行している部分です。通信制中学校の検討をするとともに、不登校の課題として挙げられる以下の3点に焦点を当てています。
【1】は、不登校の受け皿として考えられているフリースクールと、『不登校児童生徒が自宅においてIT等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱い等について(通知)』における要件を満たした塾を想定しているものと考えられます。
通信制高校および定時制高校では発達障害支援のニーズが多い傾向にあります。【2】ホームスクーリングは、スペシャルニーズ(特別支援)に応じた学習支援を含むものと考えられます。
【3】大学などの聴講とは、飛び級制度を望む声と同時に学年を超えた学習内容の教育を期待するギフテッド教育にかなうものとして想定されたのではないでしょうか。
「不登校」を解消する提言
次に矢印②の不登校のこどもたちが③に移行する根拠と理由が述べられています。不登校のこどもたち、かつホームスクールやフリースクール、オルタナティブスクールに通うこどもたちに関わる重要な部分です。それは個別学習計画の策定です。
学校というルートから外れた親子の不安を的確にとらえた提言になっています。これまでkokageでは「自由な学び」としてのオルタナティブ教育(自由教育)との違いを幾度となく書いてきました。スクールアットホームと言える在宅学習スタイルと出席扱い、評定への振り替え等の要望です。多くの家庭ではこのように学校外の学校教育機会の保障を求めています。しかしながらその最たる障壁「内申制度」にあることは見逃してはならない事実であることはここでも書き添えておきます。内申で不利益を被らないように将来の保障と学習の保証を切望するのです。
学校教育の保証と保障の期待に応えるための教育機会確保法でもありました。オルタナティブ教育の保証と保障でもあるとも思えるような曖昧さを持ち越して、その法律は実現しました。オルタナティブ教育(自由教育)はこの法律に適用しないことが明らかになっています。むしろ自由で多様な教育の場は、学校教育化に回収され消えていく方向に向かっています。
ホームスクーリング制度を検討することは「不登校を解消する」可能性を秘めていました。それはアメリカやカナダのような制度です。公教育の額種指導要領に沿った学習カリキュラム、ある程度は緩和な内容を履修することで学校教育の履修とみなす公的な制度です。確かにこの制度設計ならば「不登校」は置きません。なぜなら「学校に適用できない⇒(ならば)⇒別の形態に移行する」ベルトコンベアーシステムが形成されるからです。悩む必要はありません。ただ決められた通りに対応して手続きを踏まえればよいのです。
ですから登録制度がセットにあります。
これは矢印の④「アクティブラーナー制度などにより場の有用性を活用しなくても学びを管理できる学習者のみ※2(【1】【2】【3】のこと)を活用できる等の検討必須」※2(【1】【2】【3】の内容のこと)を活用できる等の検討必須」「オンラインカウンセラーなどのサポートセンター」に相当するのではないでしょうか。
デジタルテクノロジー・ファースト
「未来の教室」Edtech第二次提言ではデジタルファーストをあげています。
デジタルテクノロジーが有用であるとする根拠です。プログラミング授業の必修化など教科学習の合間にIT技術を身近なものにする試みがスタートしています。それはあたかも誰にとっても必須な技術であるかのように魅せられています。認知特性の周知により映像記憶に有意な特性を生かすことの前提や、学校教育批判(一斉授業や集団教育)を革新する期待にも応える形となっています。
それは従来の学校の授業スタイル、学校生活にそぐわなかったこどもたちが適応する環境を想定しているのかもしれません。しかしその環境は特に困り感とは感じていなかったこどもたちにも広く活用される有効な面を持ちますが、すべてのこどもたちに有効だとはいえません。だからこそ多様な学びが存在するのです。その点では一律にすることなく慎重に運んでいく必要があると思われます。
デジタルが苦手という話ではなく、デジタルによって阻害される感性を持つ個性もあるのです。心身ともにその影響は及びます。
教育機会確保法がどのように変容していったのかを知れば、「多様なまなび」の像が、学校外の学校教育化にすり替わっていく様相がよく分かるでしょう。
効率化と生産性の向上を目指す
「未来の教室」Edtechの提言は、非常に理想的です。こどもの学習機会を効率化し、生産性を向上させた完成モデルとしては、です。現時点で考えうる「理想的なルート」です。そのための課題は、超短期的・短期的な計画にのっとり次々と対応されています。
個別学習計画「試案」発表からの流れ
「個別学習計画」という言葉。「あれ?どこかでも聞いたな」と思われたと思います。最初に登場したのは確保法の前身である「多様な」の文言がついた法律案です。
参照note;キーワード「個別学習計画」「学習指導要領」(※)
個別学習計画案に反対の声が多かったため、法案は通らなかったといいます。しかし教育機会確保法の見直しに向けて、再度試案が浮上しました。要点は学校に登校する以外の方法で学ぶフリースクールへの公費支援の名目に必要であるという論です。
「試案」が発表された同日、クラスジャパン小中学園の情報が公開されました。学校教育のITC環境の推進と共に不登校支援に多様な学習の機会が広がったと受け止められたのではないかと思います。
それを支える法律が可決し、令和元(2019)年6月28日に文科省が通知を出しました。
文部科学省では、2018年11月に公表した「新時代の学びを支える先端技術のフル活用に向けて~柴山・学びの革新プラン~」を踏まえ、2019年6月に「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」として、「誰一人取り残すことのない,公正に個別最適化された学び」を実現すべく、新時代に求められる教育の在り方や、教育現場でICT環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータを活用する意義と課題について整理し、今後の取組方策を取りまとめました。
(※)個別学習計画策定の懸念について、こちらも参考に。
学習指導要領を基(もと)にする仕組みに変更はない
ネットを使った不登校児支援は、『不登校児童生徒が自宅においてIT等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱い等について(文科省通知 平成17年(2005年))』以来、学習塾からホームスクール・コースといった展開を見せ、2016年の確保法以降に再度注目が集まり、〔不登校=ホームスクーリング〕の概念と同時に、学習障害等の手助けとなるデジタル教材への期待とも重なりました。在宅学習のスタイルとして認知されつつあります。
しかし、すべての不登校の子と親がそのスタイルを望んでいるかといえばそうでないことは、これまでお伝えしたkokageの多数のnoteで述べてきたとおりです。その主たる理由、ネックにもなる点が《学習指導要領》の存在だからです。
経済産業省「未来の教室」Edtech研究会は、学習指導要領の範囲を逸脱しないことは前提として持っており、それを今後どのように展開していくかの課題を認識しています。
学習指導要領とは本来、基準となる様式を伝えるもので、その様式に従う命令的な性格は持たないのはずなのですが、実際にはその様式以外の方法で学校教育運営をおこなった場合に、その結果や成果についての説明責任が学校長にあることから、「こうすれば大丈夫」という王道ともいうべき指導要領の内容に従うことが慣習的でもあり、事実上の強制的規範と受け止められているようです。その「本来」に立ち戻ったのが、「校則を失くす」「宿題をやめる」「授業開始時間を変更する」などの方法をとって注目されている公立の中学校です。
限られた自由から、本当の自由へ
学習指導要領にもとづくという大前提は変わることなく、その範囲内で許される変化を提言しているのが「未来の教室」ビジョンだといえます。これは日本の教育を学校教育が独占していることに他なりませんが、「未来の教室」ビジョンはその風穴を開ける未来の可能性の種を持っています。
それがオルタナティブ教育の概念であり、既存の公教育とは異なる新しい教育体系という意味のオルタナティブ教育です。学校教育独占状態にある日本の教育態勢においては、オルタナティブ教育は代替教育と読み替えられる傾向が見られるようになりました。これは教育機会確保法の成立以降に登場した傾向です。そのため諸外国のオルタナティブ教育の様式を、学校の授業スタイルに取り入れるまでにとどまっています。オルタナティブ教育のそれぞれの教育体系を支える根幹の理念については、まだまだ理解が深まっていない印象です。その最たる理念は「こどもの人権を尊重する」ことです。
「未来の教室」Edtech提言の内容は、カタチとしては非常に理想的な仕組みです。しかし、それを支える根幹にある教育観・こども観について明らかにしなければならない理由があります。
こどもはまっさらな状態で生まれてくる。それを「よいこども」に成長させるために教育が必要であるという考えがあります。これは、こどもを人格として未熟であるととらえている考え方であり、しつけや体罰につながり、調教の思想に通じる旧いこども観・教育観といえます。
この思想は、こどもの権利宣言およびこどもの権利条約によってたしなめられることになるでしょう。(参照;知っておきたい法律と用語)
この思想を学校で学び取ることは、隠れたカリキュラムといえます。学校でどのように扱われるかが人格形成に影響を与えます。その信念や価値観を形作るからです。こどもが成長して、親となるころには家庭内の価値観になります。それ以前に恋人として、友人としての、基本的人権の尊重を根幹とする行動、態度、言動にもあらわれることになります。
学校教育はそれほどに重要で、こどもだけでなく、社会全体の雰囲気を教育しうるのです。だからこそ、歴史は、国の設立よりも先に教育がありました。多くの国は、教育が国を創りあげています。日本は、国が教育を作った国です。この違いは非常に大きなことなのです。
日本は、日本の地位の向上のためには優秀なものがより優秀になることで全体を引き上げると考え、それを根拠に教育環境をすすめています。優秀な人を引き上げ、より優秀になってもらう方針です。この逆をいくのが「全体を底上げする」という考え方です。しかしこれには大変な労力と時間がかかることがわかっています。しつけの成果は孫の代になって初めてわかると言われています。
一方で優秀さを引き上げる方法は、短期的な成果を見せます。狭い範囲への投資で可能であり、成果は平均値として全体をひきあげた結果に見せることが可能だからです。世界への報告としては充分なのでしょう。
学校に行かない・行けないこどもたちのココロ
親の存在は、こどもにとっては抗いがたい権威です。それを自覚してもまだ足りないほど、親と子の対等性は保つことが難しいです。親子の間でも信頼関係は基本設定ではありません。生まれたときから別人格とのつきあいが始まります。
たくさんの人の言葉を耳にし、態度を見聞きし、知恵を借り、間違いや失敗をおそれず、葛藤を繰り返しながら、一日一日を大切に過ごしてほしいと思います。そのためには十分な時間が必要です。効率化と生産性とは反対のことのような気がします。
小中学校の通信制導入に文科省が反対の意を唱えました。
高校は義務教育ではありませんから、本来は「学びたいことを、学びたい場所で、自分に適した環境と方法で学ぶ」ことが大前提であると考えられます。文科省では、高等学校は全入制度にすることが理想であったといいます。しかし人口と学校数のバランスなど、時代がそれを許さず、第一段階として選抜性が導入されました。現在はどうでしょうか。全入時代と言われています。さらに大学という高等教育も全入制度が理想であると考えられています。朱に交われば赤くなるのが人間の本性であると言えるからでしょう。周囲が学ぶにふさわしい環境におかれているならば、自己もおのずとそれにふさわしい言動をとるようになるというものです。そのように扱われるとそのように成っていくということです。人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない(※日本国憲法第14条)のです。
小中学校の児童生徒6歳から15歳までのこどもの成長発達は、前述したように教育によってその思想や態度まで影響を及ぼされる人格形成に非常に重要な時期でもあります。「未来の教室」」ビジョンでは幼児期のそれも重視しています。ですから、なおさら「こどもを育む」「見守る」時間が必要な時期であることを周囲の大人たちは理解していなければなりません。
成功のモデルを示すだけでなく、失敗も間違いも、そして回復もやりなおしもできるのが人間なのだと。人間らしさ、そして自分らしさを充分に味わう時間が約束されていることが重要ではないでしょうか。
こどもたちには「何をするべきか」「何を知るべきか」よりも大切なことがあるのではないでしょうか。人が人として成長するために、いくつもの種が蒔かれることが。
個別最適化 個々に最適化された学習方法と個々に応じた学びの違い
「学びたいことを、学びたい場所で、自分に適した環境と方法で学ぶ」と書きました。これはすでに「何を学びたいのかを自分で知っている」ことが前提あることを意味しています。身につけたい技術や知識を効率的に習得することで、次の段階に向けての目的と目標が明確になっています。
幼児期から小中学校の時代ではどうでしょうか。
個別最適化は、「学ぶべきことを 個々の特性に適した方法で 習得すること」になってしまいませんか?それが不安に感じることです。
こども時代は、学ぶとも意識せず遊びます。遊びのなかに体験があり、体験が経験になります。体験だけでは身になりません。「なにが起きているのあ」を知り、身になって初めて経験となります。それは同時空間で起こり得るとは限らず、蒔かれた種がいつ実を結ぶのかわからないようなことです。その間で起こる出会いは一生を変えるかもしれませんし、小さな種をいくつもいくつも抱えることにもなるかもしれません。蒔かれた種は必ずしもすべてが芽をだすものではありませんし、その種を持っていると自覚しながら、芽吹かせてはいけないと知らなければならないこともあるのです。
偶発性。それが必然となるのがもっとも重要で大切な時期が子ども時代だと思います。
公教育とは何か
わたしたちには、もっと 考える余地があります。