Moved by love
「人生が変わるパーマカルチャーツアー」から数週間が過ぎた。
あの体験はなんだったのだろうか。あの高揚感、あの親密さ。
2本のnote(1)(2)に書ききれなかった、もう一つの体験を呼び起そうと思う。
海くんのパーマカルチャーには、どこかヒッピー文化の香りが漂う。
高校生の時の僕が進路相談で将来を聞かれた時、「ヒッピーになりたい」と言って周りの先生を唖然とさせたことを思うと、僕の方が歩み寄ってるのかもしれないけれど。
国籍もジェンダーも超えて、ある種のエッジにいる人たちが時間と空間を共有する。ルールも社会規範も吹っ飛んだ更地で、誰もが尊重されながら繋がり合う。それは、開かれた未来への原体験になる。
時には母のない子のように
楽しいツアーの途中で、僕は「孤独と寂しさ」を思い出していた。
30年という人生の中で感じた孤独感。何が引き金となったのかわからないが。
これは僕の最大の弱さだった。孤独だからヒトと繋がりたいし、孤独だからヒトを寄せ付けない。
この気持ちは「愛」を求めている子どものようだった。
同時に、パーマカルチャーへの憧れは、どうも僕の孤独から来ているような感じがした。
どんな僕も受け入れてもらえる。そんな甘い誘惑。
誰かが口づさんだ。
「Sometimes I feel like a motherless child …. A long ways from home.」時々 自分が母のない子のように感じられる 二度と戻れない故郷。
※『Sometimes I Feel like A Motherless Child』は、19世紀アメリカで生まれた伝統的な黒人霊歌・スピリチュアル。
それは愛ですか?
海くんは「愛に動かされる」ことを大切にしている。僕もそうだ。
でも、時々、なにを愛と呼んだら良いのかわからなくなる時がある。
例えば孤独を埋めるための愛は愛なのだろうか。
偽りの知覚に苛まれ、本当の愛を見失ってはないだろうか。
少し知識人の知恵を借りながら、愛について深めてみようと思う。
孤独と愛の正反合
哲学者の苫野は愛を”「合一感情」と「分離的尊重」の弁証法”と定義した。
弁証法というのは難しい表現だが、哲学者らしい。
「合一」と「分離」は相反する事柄のようではあるが、実はその先にこそ新しい正があると言う考えである。
苫野の愛は、わたしからは分離された他者それ自体を尊重し、その上なお「合一」存在であることを感じ取っている状態である。
孤独というのは合一感情で、誰かと深く繋がりたいという欲求であるとすると、
分離的尊重は、例えば相手を傷つけないようにとか、相手の立場に立って考えるということだろう。
(相手を傷つけないようにと言いつつ、実は自分が傷つきたくないだけというような、偽りが横行するのだから、気をつけなければならないが)
確かに、ただ相手を尊重して気遣うことも「愛の感情」と呼びそうなものだが、
相手と一緒になりたい”にも関わらず”、相手を尊重する、というところに愛の本質を感じる。
孤独も抱きしめて、相手を尊重することで、愛が生じるのかもしれない。
孤独の先に向かうための勇気
心理学者のスコット・ペックの定義は少し違う。
彼は、”自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を広げようとする意志である”と定義した。
愛は感情ではなく意志であるというのである。
意志というのは、行為に移されるだけの強さを持った欲求であり、選択である。
多くの人が感情のことを愛を呼んでいる点を、ペックはつついてきているように思う。
また、愛には目的がある。
孤独をお互いになめ合うような愛は、愛ではなく恋にとどまっているのかもしれない。
そこから抜け出し、お互いに”成長に向かう”ところにこそ、愛の本質があるのだろう。
この向かわせる力、意志を別の言い方でいえば、勇気というのではないだろうか。
既存の関係性から抜け出し、新しい成長への道を開くのは、愛のなせる技である。
恒久的な神秘的恍惚感の先取り
さらにペックはこのように言っている。
恋愛や性交渉に伴う自我境界の一時的喪失が、他の人々との深い関わりへ我々を導いて、そこから本当の愛が始まるかもしれない。
また、もっと恒久的な神秘的恍惚感の先取りとなるかもしれない、と。
今回のツアーは恋愛にも似た神秘的な経験だった。
けれど、ツアー後半になるにつれ、現実とのギャップにも悩まされるようになる。
世界と深いところで合一しているという感覚と、お互いに分離した他者であることを尊重していくこと。
このことに自覚的に、先の世界へ「勇気」を出して一歩づつ進めていくことが、
本当の愛に向かう唯一の手段なのかもしれない。
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今回は大好きな哲学との話にも繋げて、色々考えてみた。
はじめはあれもこれも書きたい!って熱量持って描き出すんだけれども、こうして書いてみると、小難しくてすみません・・。
妻と息子を横に愛がどうだとか書き続けている僕に痛恨の一言。
「愛を書いているうちに、愛が引いてくよ」 by 妻
こんな僕でも愛してください。
Moved by love.
参考文献:
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