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Mr.Children個人的15選

 高校1年の6月にたぶん「アクエリアス」のCMだったと思いますが、そのバックに流れているメロディに心を奪われて、中学生までかなり奥手で流行りの歌とか何故か聞いてこなかった、興味はあったのですが、何故か自分の本当の気持ちを押し殺して目立たないように地味に生きてきた少年は、高校生になったことをきっかけに「ちょっと流行歌でも買って見ようか」とか思って、そのCMの歌を近所の今は潰れてなくなっているレコード店に買いに行きました。8cmのシングル盤のCDの時代。それがミスチルの「イノセントワールド」でした。帰ってから初めて自分で買ったそのシングルを1か月間ずっとカラオケバージョンの3曲目まで聴いていました。そこからようやく思春期らしく音楽に目覚めて、いろいろ徳永英明、B’z、CHAGE&ASKAとか当時のヒットソングとかに入っていった感じです。僕にとってミスチルはそんな音楽との素晴らしい出会いをもたらしてくれた恩人みたいな存在で、1990年代のミスチルには特に思い入れが深いものがあります。今回はそんなミスチルの主に1990年代の作品を中心に、まあ個人的なんで、紹介していきたいと思います。ではどうぞ。

抱きしめたい(1992年)
「冬のうた個人的10選」でも出しましたが、必殺のバラードで今でも当時のあったようななかったような恋愛感情を思い出させる曲です。ここまでの恋愛は憧れはしましたが、凡人には、僕には残念ながらなかったですね。恋愛至上主義にはなれなかったというか、モテなかっただけなのか、どっちなんでしょう。人生いろいろ気になることがあり過ぎて「恋愛だけ」というのは無理があった、そう言い訳したいような。でもこの歌は甘すぎるきらいもありますが、物語に浸る意味では違う体験をさせてくれるので嫌いではないです。ここに出すくらいなので好きな歌ではあります。ややこしくてすいません。


CROSS ROAD(1993年)
中学3年の冬休み、家の近所の塾に通っていて、冬休みだけ少し離れた電車で4駅くらいの所の別の校舎に通っていたりしたのですが、その塾の帰りにその駅周辺の商店街の音響スピーカーから流れていたのがミスチル初のミリオンセラーとなったこの曲です。ドラマの主題歌(同級生、日本テレビ系)だったりしたらしいですが、音楽、ドラマともにまだ聞けていなかった中学生の僕はまったくそんなことは知らず、でも何か「いい曲だな」とか思ったりしていたことは覚えています。で、ミスチルとかを聞き出してから初めて「この曲もミスチルか」と驚いたのを記憶しています。ここからが怒涛のミスチル黄金時代の幕開けでしたね。


innocent world(1994年)
冒頭でも紹介した人生を変えた一曲です。この曲と出会わなかったら、音楽を思春期の一番いい時の感性で聞くという体験はかなりずれて青春と呼ばれるものはもっとさもしいものになっていたかもしれません。それまでのどんなヒットソングよりも完成度が高くて、「違う」雰囲気を兼ね備えていました。ZARD、WANDSなどのビーイング系とかが音楽業界の中心だったあの時代に、全く別次元から新しい息吹をこの国に吹き込んだ歴史的な曲だとも思います。まさに時代の精神をその類まれなる感性、才能で体現し更新していった怪物が誕生した感じですかね。そんな瞬間に立ち会えたことは幸運だったと思います。


my confidence song(1994年)
「innocent world」のカップリング曲で、これも冒頭で紹介したように1994年の6月ずっと部屋で鳴り響いていました。当時大ヒットしていたスーパーファミコンのRPG「ファイナルファンタジーⅥ」をしながら聴いていた記憶があります。カップリング曲ながら優れた佳曲で、その当時しか熱心に聴いていなかったりするから、余計にあの当時をノスタルジックに思い出させる曲になっています。MVは公式なものとは違うかもですが、曲の雰囲気に合っていたのでこれで。


雨のち晴れ(1994年)
300万枚を売り上げたモンスターアルバム「Atomic Heart」の収録曲です。あの青一色のジャケットがいかにも名盤って感じがして発売当初からCDショップやTSUTAYAとかで目立っていましたね。僕自身イノセントワールドとかクロスロードもう持っているから別にいいか、と思って買わなかったのですが、後でTSUTAYAとかで借りてシングル以外にも名曲いっぱい入っていたから「やっぱり買えばよかった」と後悔したことを覚えています。実際にこのアルバム買ったのは随分後になってからだったと思います。これはそんなアルバムの中の名曲の一つで当時の桜井和寿の化け物みたいな才能の一端が垣間見れる、一曲になっています。ホント、1994年の彼はどうかしていたんじゃないかってくらい凄まじい名曲を次から次に出していましたから。ちょっと画像は粗いですがライブ映像からどうぞ。


Round About ~孤独の肖像~(1994年)
これは個人的にかなりあの時代を感じさせる曲です。何とも言えないあの当時の15歳の感性にマッチしたと言うか、あの時代の空気感をリアルにとらえていてかなりマニアックですが大好きな曲ですね。ブラスの入って来る切ないサウンドっていうのがツボで。ラストの「Over」に繋がるアルバムの流れもかなり良くて、今でもいろいろ心に刺さっています。


Over(1994年)
名盤「Atomic Heart」のラストを飾る曲で前曲からの流れが本当に最高でしたね。で、この曲も「抱きしめたい」同様、ありもしない恋愛体験を刷り込ましてくれるそんな破壊力を秘めています。何なんでしょう、桜井さんのあの言葉と音に乗せられる共時感覚というか、凄まじい浸透性を持っている唯一無二のあれって。言語化不可能です。僕程度には。本当の天才ってやっぱりこういう人のことをいうのだなって諦めがつきますね。


Tomorrow never knows(1994年)
で、最後にこの曲を持ってくるんですから。1994年に。もう本当に誰もが理解追いつかないくらい、とんでもない名曲を次から次に出してくる、そりゃ日本中パニックみたいになってみんなミスチル追いかけますって。それくらい半端なかったっすね、この曲リアルタイムで出た時。イノセントワールド出して、アトミックハートであれだけ名曲並べて、最後にこれですもん。開いた口が塞がらないとはまさにこのことを言うのかってくらい、ただただ桜井和寿の才能に唖然としていました。みんなそんな感じだったのではないでしょうか、冷静に振り返ってみると。まあ桜井さんもこれだけ神レベルの曲出して一息つきたかったのか、すぐさま「everybody goes~秩序のない現代にドロップキック」という気色の違うシングル出して、ガス抜きしてましたが。高校の友人はこの「everybody~」が酷い曲とか言って酷評していて僕も賛同していましたが、今聴くと味のある曲だなとも思います。今回、それは選んでないです。


シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~ (1995年)
当時のミスチルには珍しくドラマやCMのタイアップの曲ではなかったですがミスチルブランド、そして何より楽曲の良さで150万枚以上も売り上げたシングルです。1995年と言えばもう歴史の教科書にも載っているのかもしれないですが阪神淡路大震災、そしてオウム真理教の一連の事件があった年で、僕も高校2年とかで一番感受性の豊かな時でしたからよく覚えています。ミスチルの前曲「【es】~Theme of es~」はそんな時代背景で作られたミスチルのシングルにしてはかなり地味目(でもいい曲)でしたが、その反動でこの曲はかなりポップソングになっており、人気ありますよね。今でもカラオケ行って歌ったら世代を超えて盛り上がる一曲だったりします。


名もなき詩 (1996年)
ミスチルで一番好きな曲です。デビューから、そして1994年からの上昇曲線、進化の度合いの頂点みたいな曲だと個人的に思っています。もう行くとこまで行ったみたいなある意味納得の一曲で、現にこの後ミスチルは約1年以上活動休止します。1997年からでしたかね。それくらい魂を削って音楽に真摯に向き合ったからこそ、人の一生で最も感受性豊かな時に時代が選んだ天才桜井和寿が作る音楽としてこれ以上のものはなかった、ある意味最高傑作だったんじゃないかって思ったりします。そこはいろいろな意見があると思いますが、個人的にはそう思います。実際、僕個人はこの曲がミスチルを熱心に聞いた最後の曲だったりします。青春の終わりを告げる曲だったのかな、とか。ここから洋楽、ハードロックとかにハマっていくので、もう若い頃は邦楽とかに戻れなかったですね。そんな最後にあの当時の邦楽最高峰の曲が聞けたのは良かったかな、とか今振り返れば思ったりします。懐かしい1996年当時のあの今何かと話題のダウンタウンが司会をしていた伝説的音楽番組「HEY!HEY!HEY!」のテレビライブバージョンがあったのでどうぞ。「HEY!HEY!HEY!」もダウンタウンも1990年代の僕の青春のいい思い出なんで、今の巷を賑わせている話題は残念ではあります。ここでは余談でしたね。すいません。


ALIVE (1997年)
活動休止前のアルバム「BOLERO」の収録曲です。いろいろなことに疲れ切った男がそれでも高速乗って仕事に向かう車中でかけている、そんなイメージが当時の僕の人生行き詰まり感にマッチして洋楽ばかり聴き始めていましたが「さすがミスチル」ということでこの曲はよく聞いていました。「夢はなくとも希望はなくとも目の前に広がる道を、やがてどこかで花は咲くだろう、その日まで魂は燃え」という歌詞が特に好きで。どうしようもないあの当時の人生を支えていたと言っても大げさじゃないかも。


口笛 (2000年)
また出てきました。至高の恋愛ソングが。もう本当に感服いたします、としか言いようがないです。天才。それ以外の言葉が見つかりません。サザンオールスターズの桑田佳祐も「日本一のソングライター」って共演したライブで桜井さんのことを紹介するくらいですから。あの桑田佳祐が。ミュージシャンも含めて日本中みんなが認めていたんですね。


1999年、夏、沖縄 (2000年)
2000年発売のシングル「NOT FOUND」のカップリング曲です。僕自身このシングルは持っていなくて、後で友人からもらって、さらにしばらくしてからこの曲を知って。そこから「いい曲やな」と思ったりしました。吉田拓郎にも通ずるフォークソングでかなりそこら辺を意識して作ったんじゃないかなとか思います。歌詞も淡々として、でも奥が深いと言うか、日米関係や戦後沖縄の置かれた状況にも言及していて、邦楽では珍しく政治的な歌でもあります。正直もっと政府を批判するプロテストソング、有名ミュージシャンが歌ってもいいと思うのですが、いろいろなクソみたいなパワーバランスで出来ないんですかね。知らんけど。今の時代にこそ必要だと思うのですが。まああんまりやるとジョンレノンみたいに殺されたりするからなあ。これもここでは余談でしたね。


HANABI (2008年)
1990年代半ばの全盛期を彷彿とさせる時代を巻き込んだ名曲をまだ書けるのかって驚いた記憶があります。これは本当に凄い一曲ですよね。15年以上経ってもまだ時代の最先端を行っていて、大ヒットさせてしまうのですから。ドラマの力(山下智久の「コードブルー」)の影響もあるかもですが、楽曲自体のパワーがやっぱり凄いですね。あの「ROCKIN’ ON JAPAN」のコラムでも大絶賛されていたのを記憶しています。耳の肥えた音楽通もうならせていましたね。個人的には「名もなき詩」と並んでミスチルでは一番好きな部類の曲に入ります。カラオケでもよく歌ったりします。


I (2010年)
これは2010年のアルバム「SENSE」の収録曲です。ここら辺になるとほとんどミスチルとか聞かなくなっていたのですが、友人に薦められて聞いたら、この冒頭の一曲が凄く刺さって。「ああ、まだ底知れない才能が生きている、桜井さんの中で」って思ったりしました。やっぱり優れたミュージシャン、芸術家は時代の本質というか、人が奥深く出感じていても表現できないような感情や、ビジョンみたいなものを、その感性でとらえて表現出来るから、さすがだなって思いました。この曲で歌われている日常、時代と言った方がいいかも、の気だるさ、絶妙ですよね。


ここ10年くらいはほとんどミスチル知らないのでかなり偏った選曲になったりしていますが、個人的にはやっぱり一番青春の若い時に感動した曲が一番ミスチルらしいかな、って思ったりします。声質がよくて、さらにカラオケでも歌いやすくて、格好良くて、ありがたかったです。よく歌わせて頂きました。困ったらミスチル歌っとけ、みたいな。もう桜井さんも50歳過ぎているんですね。あのB’zの稲葉さんもまさかの今年還暦ですか。ああ、時代が凄く進んでますね。自分はあそこら辺で止まっているのに。まあ、音楽ってそんなものですね、だからいつでもいい時代に戻って聞けたりするからエバーグリーンなんでしょう。いまだに「イノセントワールド」を聞くと初めてかけた時の感受性とか戻ったりしますもん。ミスチルに、音楽に出会えて本当に良かったと思います。ではまた何かの10選で。

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