見出し画像

【小説】窓際のMadam 1

#創作大賞2022 投稿作品です。
 窓際のMadam 1
 窓際のMadam 2

 今晩もその人は、きっかり夜の21時に来店した。
 私はいつものようににこやかに「いらっしゃいませ」と声をかけたが、その人はこちらに一瞥をくれると、無言のまま幹線道路に面した窓際の席に向かった。
 入店を予期して用意していたお冷とおしぼりを持ってそのまま客席に向かうと、席にちょこんと腰をかけ窓の外を眺めている。

「ご注文お決まりの頃、またお伺いいたします」

 私は〝念のため〟そう声をかけた。

「赤ワイン。……チョリソー」

 少しだけ高い特徴のある声がそう告げる。

「承知しました。ご注文を繰り返させていただきます。グラスワインの赤とピリ辛チョリソーがおひとつ、でよろしいでしょうか」

 一連の流れの中で、その人は一度もこちらを見ない。ただ、トラックや乗用車が行き交っているだけの道路をぼんやりと眺めている。

 オーダーを打つと私はキッチンに入り、グラスに赤ワインを注ぎつつ、バイト仲間の山本遥やまもとはるかにこっそり告げた。 

「5番テーブル、今日はチョリソーだったわ」
「まじか、チョリソーの日だったか」
「辛い物食べたかったのかな、マダム」


 通称〝マダム〟は毎日このレストランにくる常連さんだ。夜の21時丁度にやってきて、赤ワインをグラスで一杯だけ飲んで帰る。つまみは大抵はほうれん草ソテーだが、たまにチョリソーの日がある。

 この店は、ここらでは割と名の知れたファミリーレストランで、県内に何店舗かあるチェーン店だ。子供の頃から慣れ親しんでいた店なので、てっきり全国にもあるのかと思っていたら、ある日ご当地番組で紹介されていて、この県にしかないと知ったとき衝撃を受けた。100%ビーフのハンバーグが売りでアルコールドリンクも各種揃えている。

 21時を過ぎるとファミリー層はいなくなり、学生もしくは遅い夕飯をとる社会人などのお客様が増え〝マダム〟みたいなお一人様のお客様もちらほら来店する。

 〝マダム〟は多分この店のハンバーグを食べたことがない。けれど、クレームを言うわけでもなく窓際でゆったりとワインを飲んで帰るだけなので、たまに来る程度なら常連さんの一人といった感じだが、なんと言っても365日毎日定刻に来店して、ふわふわと目も合わせず窓際の席に向かう〝常人にはなかなかない空気感〟にバイト仲間の間では話題になりやすい人であった。私はこのレストランでバイトをし始めてもう少しで一年経つが少なくともバイトの初日から〝マダム〟は居た。

 バイト先の飲み会では誰彼ともなく、マダムの話題を始める。

「あの人、なんで毎日くるんだろうね? 家族いないのかな」
「パッと見は主婦っぽいけどね」
「つか、なんで夜の9時?」
「その前だとファミリー多いし、窓際空いてないからじゃね?」
「ねぇ、目があったことある人いる?」
「こっちの存在、気づいてるか怪しいよね?」
「まさか……幽霊説」
「やめれ」

 だいたいこんな流れでバイト歴5年の武田篤史たけだあつしさんが止める。武田さんは、マダムに愛着を持っているらしい。なんでも、おばさん感がないからだそうだ。当初「ワインのおばさん」とか「ワインの人」とか言われていた彼女に〝マダム〟というあだ名をつけたのは武田さんだった。

 武田さんは去年まで大学に通っていて今年から社会人のはずだった。就職しようとした会社から内定取り消しを受けたらしい。店長はこの店の正社員にならないかと勧めた。だが武田さんは「考えさせてください」とかなんとか言って、そのままアルバイトとして今年も働いている。



 バックヤードで休憩していたら、遥も休憩に入ってきた。バイトの休憩は被らないように組まれてることが多いが今日は何故か私と同じタイミングで休憩になっていた。

「マダムがさ……」
「でたマダム」
「マダムなんだけどさ。昨日、このバックヤード出たとこのゴミ捨て場にいてさ」

 遥が真剣な顔をして言ってきた。ゴミ捨て場は私たちが今いるバックヤードの通用口を出たところにある。この店は店内とバックヤードが離れていて一度キッチンから外に出て、バックヤードへ向かうレイアウトになっている。幹線道路から隠れた部分に位置しているのでゴミ捨て場もそこに配置されていた。一般のお客さんも駐車場側から廻ろうと思えばいけなくもないが、わざわざそこに居るのは確かに変だ。

「なにしてたの?」
「わからん。なんかぼーっと空みてた」
「空?? ていうか、マダム車のらないよね? 飲酒してるし……。なんでそんなとこにいるんだろう……」
「不思議でしょ? ちょっと怖いよね? でさ、私考えたんだけど」

 遥は一拍おいた。遥のくるっと綺麗にカールされたまつ毛が瞬きの度に存在をアピールする。

「なんか隠してるとかないかね? この店に」
「えっ?」
「それが見つからないか心配で毎日来てるとか」
「えええ?」
「なんか裏に埋めてあるとかさ……」
「う、埋めるって……」

 したい とか? と頭に浮かんだがすぐに打ち消した。そんな、まさか……。
 遥は本気らしく、表情は真顔のままである。

 いくらなんでも、それはないんじゃない? この店に何かやましいものを隠すメリットがないよ。

 そう返そうかと私が思った時、不意にガチャとバックヤードの扉が開いた。私も遥も心臓が止まるかと思うほどビックリして、私は椅子から半分落ちかけた。

「店長……」
柏木かしわぎさん、変な恰好してどうしたの?」

 どうしたのって、店長がノックもせずに入ってくるからだ。私は一瞬イラっとしたが、悟られないように下を向いた。店長はこちらの様子におかまいなく

「悪いんだけど、山本さん休憩から戻って。急に団体客がきちゃった。退勤後につけとくから」

 バイトの休憩時間は、何時間働いたら何分みたいな決まりがあった。忙しいからといって休憩を短くしてしまうと本部から指摘が入るらしい。そこで店長は休憩はそのままとったことにして「休憩取れなかった分はつけとくから」といっているのだ。

 遥はちらりとこちらを向いて嫌そうな顔をした。いつも休憩搾取にあうと愚痴っていた。私はキャラにもなく手を挙げた。

「店長、私のが先に休憩はいったんで、戻ります」

 ところが店長は「うーん……」といって、あからさまに迷惑そうな顔をした。私は急に自分が手を挙げたことが恥ずかしく思えてきた。

「ありがとう、でも今日の団体客ちょっとアクつよそうだからさ。柏木さんだとテンパると思う。また今度。じゃ山本さんはよろしく」

 手短にいうと店長はさっさとホールへ戻っていった。グサなのかズキなのかバキなのか私の心は鈍い音をたてたような気がした。遥は扉のほうを見ているので私からは表情が見えない。でもきっと、気まずそうな顔をしているに違いない。

 案の定、振り向いた遥は気まずそうな顔から無理やり笑顔に戻した〝苦笑のお手本〟みたいな顔をしていた。

萌花もえか、店長がああいうから、私戻るね。店長ホント、やなやつ。あんなん言わなくていいのにね」

 遥はそのまま戻っていった。

 私が休憩から戻ると、団体客の波はすでに落ち着いていた。普通にこなしているうちに、あがりの時間になった。
 とぼとぼと歩きながらスマホに来ているメールをみた。

柏木萌花 かしわぎもえかさんにオススメインターンシップ情報
 こんにちは! 柏木さんの学校・学部の先輩が多数在籍の企業**から、インターンシップのお知らせです。インターンシップに参加して企業研究に役立てましょう』

 こんな感じのメールが毎日のように来る。そろそろ本気で就活をしなければならない。だが登録するだけして就活のナビサイトはほったらかしのままだった。

 就職と言われてもどんな仕事に就けばいいかが分からない。自分の得意なこともわからないし、やりたいことも思いつかない。

 大学に入学するときは消去法で決めた。理数科目はやりたくない、ただそれだけだ。別に文学に興味があったわけではない。

 こんな自分ではどこにいっても通用しなそうな気がする。

「シューカツしたくない」

 以前、遥に言ったら「なんで?」とキョトンとされた。遥は専門学校を卒業して一度ネイルサロンに正社員で就職した。そこでとてつもなく性格の悪い先輩にあって半年で辞めたらしい。

「今思えばアレ、ハラスメントだったと思うね。私も訴えればよかったんだけどさ、その時は新人で我慢しちゃったんだよね。髪の毛が抜けてさ、ハートのハゲができてさ」
「ハートのハゲ!」
「かわいいけど笑いごとじゃないんだよ。ハートハゲは深刻なのよ、見た目に反して」

 遥はくるくると指先で髪の毛を絡ませながら言った。

「でもあたし、チャンスがあったらまたネイルサロンで働きたい。今度はさ、ちゃんと会社の評判とか社風とか見てから就職するわ」

 そのとき、遥は自分が何者なのかを理解していると思った。

 私はまだ、自分が何者か分からない。


「ただいま」

 自宅の玄関をあけると出汁と醤油の香りがしてきた。

「萌ちゃんおかえりー。お腹すいてない? お母さん煮物作りすぎちゃった……」

 母はいつもこう言って何かしらおかずを用意している。私はバイトの休憩中に適当に食べてしまうから夕飯は要らないと言ってるのに作ってある。

「バイト中に食べるから夕飯要らないよ。前にも言ったじゃん」
「でもさ、疲れたでしょ? なんかお腹いれたほうがいいわよ」
「まかないが出るからいいんだよ。ほんとに」
「そう……ごめんね」
「明日食べるから冷蔵庫いれといて」

 本当はまかないなど出ない。ファミレスなので、社割で安く店のメニューが食べられるだけだ。バイトを始めるときに飲食店を選んだのは、動画で観た裏メニューみたいなまかない料理にあこがれていたからだ。

 実際は社割すらほぼ使っていない。バイト代をなるべく残しておきたい私は、休憩中『スイートドーム』という菓子パンばかり食べていた。甘いカステラ生地でコーティングされていて自分の顔くらいの大きさなので、一個でお腹が満たされた。それでいて安いという驚異的な商品だった。『スイートドーム』がこの世から消えたら私は生きていけない。

「わかったわ。冷蔵庫にいれておくわね。バイトお疲れ様」

 母はいつも「お疲れ様」と言ってくれる。けれど私はお疲れ様を言われるようなことをしていない。店長に迷惑な顔をされたことを思い出して胸やけがした。それでも〝ドンクサイ〟と言われなかっただけ今日はマシと言えばマシだ。

「10番テーブルのバッシングまだ? もっとさ、自分の担当のテーブル、よく見て。ほんとドンクサイよね」

 バイトを始めて数ヶ月の頃、こう怒られた。悪いのは自分かもしれないが〝ドンクサイ〟なんて生まれて初めて人から言われて、思考が停止した。

 でも次第に店長の口癖だと気づいた。あるときは別のテーブルのお子さんがこぼしたジュースに丁寧に対応していたら丁寧すぎると怒られ、あるときはバッシングの鬼と化してすぐさま空いた皿を下げていたら、提供が出来ていないと怒られ、その都度〝ドンクサイ〟は発動された。

 明日は木曜日でゼミの日だ。冷蔵庫に入れてもらった母の煮物は明日お弁当で持っていこうと思った。

「萌花、合説の日一緒に行く?」

 大学のテラスのはじで弁当を広げていたら、同じゼミの裕子から話しかけられた。

「合説?」
「え、さすがにいくでしょ?」
「いつだっけ」
「今度の土曜だよ」
「バイト入れちゃった」

 信じられないものを見るような目で裕子は私を見た。

「シューカツしないつもり?」
「そんなつもりはないけど……すっかり忘れてた。バイト先に聞いてみる」

 合説の予定なんてすっかり忘れていた。
 キャリアセンターの先生が「企業選びの第一歩として、多くの企業の説明を一日で聞くことが出来る合同企業説明会に参加しましょう」と言っていたことを思い出した。

 自分が何者か分からない私のような人間は真っ先に参加しなければならなそうなイベントなのに、一体何をしていたのだろう。

 裕子が呆れるのも無理もなかった。

 ゼミの後、バイト先で真っ先に店長に相談をしてみた。

「スケジュール把握出来ておらず大変申し訳ないのですが、就職活動の予定の日に間違えてシフトを出してしまいまして……」

 店長は一応はふんふんと話を聞いていたが、相談の日が今度の土曜と聞くと顔色を変えた。

「柏木さん、本気で言ってる? 今度の土曜って明後日のことでしょ? 代理たてたわけ? 違うよね? バイトだからってナメてるの?」
「すみません。そんなつもりはないのですが」
「ムリだよ。土曜日どれだけ混むか分かってるでしょ? 自分の予定のせいで人に迷惑かけること自覚してる?」

 返す言葉がなかった。すみません、と言って引き下がることにした。就職活動と言えばどうにかしてくれるのではないかという甘い考えが、ボロボロと崩壊していくのを感じた。

 シフトを見ると遥は土曜日お休みになっていた。遥にダメもとで連絡してみた。

『ごめん、遥、土曜日バイト代われない?』

 就活が、と付け加えようとしてやめた。それを理由に出すのはよくない気がした。聞かれたら答えようと思った。
 数分して返事が来た。

『ごめん、土曜日は面接があるんだ。ネイルサロンの正社員。なんかあった?』

 ネイルサロン……。スマホの画面を見たまま言葉を失った。

『そっか、すごいね! いや、大丈夫。就活の予定すっかり忘れてたけど、単なる合説だし。遥、面接がんばってね!』

 遥からキラキラした『ありがとう』スタンプがきた。

 キラキラしたスタンプは遥そのもののようだ。
 ボーっとしている私の横で友人達はどんどん未来へ突き進んでいる。遥はフリーターだったから勝手に就活とかと無縁の仲間のように思っていた。自分のそんな勝手な思い込みを恥ずかしく思った。

 裕子に『バイト休めないから合説いけない』と連絡すると、すぐに既読になったが返事はなかった。
 

 今日は店長から〝ドンクサイ〟が発動された。せめて頑張ろうと思ったがいろいろなことが空回りした。心がどんどんと底へ沈んでいく。胸やけみたいな吐き気がして胃から酸っぱいものが上がってくるようで、その度私は何度も時計をみた。

 もう少しであの人が来店する時間だ。

 私の期待通り、21時きっかりにマダムが来店した。沈みかけていた私の心が少し浮上した。何故だろう。

 マダムは相変わらずこっちを見てもくれないけど、ふわふわと窓際の席で少し微笑んで座っている。今日はほうれん草かチョリソーか、さてどっち? ほうれん草と見たんだけど?

「赤ワインとほうれん草ソテー」

 私は承知しましたと言いながら口元が緩んでないか心配した。遥に伝えたかった。けど今日は武田さんしかいない。

 ラストオーダーが過ぎ、クローズ作業をしていると店長から「ゴミ捨ててそのまま上がっていいよ」と声をかけられた。
 ああ、やっとドンクサイ私から開放されて店長も嬉しいだろう。

 言われた通りゴミをまとめた袋をもってキッチンを出るとバックヤードのゴミ捨て場に向かった。

 すっかり寒くなったのでユニフォーム姿だとちょっと辛い。首をすくめて足早に向かった私は、目を疑う光景を目にした。

(マダム!!!)

 声を出しそうになり、とたんに片手で口を押さえる。マダムは随分前に会計をして店を出たはずだ。なんでこんなところにいる?

 マダムは寒いにもかかわらず薄着で空を眺めている。遥の言う通りだ……。これは、なにか声をかけたほうがいいんだろうか? でもなんと声をかける?

 ――お客様、なにかお探しでしょうか? とか……。

 や、まて、それでは何かを隠してる前提の問いではないか。

 ――なにかお困りでしょうか?
 なら不自然なく訊ねられるかもしれない。

 そこまで考えて声を発しようと意を決したそのとき、バックヤードの扉が開き一人の店員がでてきた。先に上がったはずの武田さんだ。

 武田さんの姿を認めると、マダムはにこやかに話をはじめた。

 二人の様子を見た私は身体が硬直した。それは客と店員の関係よりも親しげなものに見えたからだ……。

 困惑した私は寒空の下、ゴミ袋をかかえて駐車場に立ち尽くしていた。


つづく


お気に召したらフォローお願いします。ツイッター(@tatsuki_shinno)でも呟いています。