「多人称」で生きたい人生
column vol.334
昨年の7月20日に初投稿を果たしたので、丸一年まで残り1ヵ月となりました。
昨日、フォローしていただいている方が1400名を超えたことをご報告いたしましたが、本当に多くの方々に支えられてここまで来ることができました。
最近、自分の中で大切にしているのが「多人称で生きる」ということです。
ここ数年、自分の中でモヤっとあった気持ちを、ライフハッカーの【「一人称の幸せ」には限界がある。死ぬ前に悔いを残さない4つの条件】という記事を読んで、とても明確になったので、本日はこちらの記事をもとにお話しさせていただきます。
〈ライフハッカー / 2021年4月16日〉
「寿命があと一年だったら」何をする?
医師の小澤竹俊先生が執筆された『もしあと1年で人生が終わるとしたら?』という本をもとにしたライフハッカーの記事は人生の本質を改めて考える良いきっかけを与えてくれます。
小澤先生は、25年間にわたり、人生の最終段階の医療に携わってきたホスピス医。3500人以上の患者さんを看取ってきた結果、気づいたことがあるそうです。
「死」を前にすると、人は必ず自分の人生を振り返るということ。そして誇れること、後悔していることなどを少しずつ整理し、最終的には多くの方が「良い人生だった」と納得し、穏やかに旅立たれるとのこと。
では、後悔しない人生とは何か?ということについて、小林さんはなかなか万人が満足する共通点は無いと前置きしながらも、4つの条件を抽出されました。
・自分で自分を否定しないこと
・いくつになっても新しい一歩を踏み出すこと
・家族や大切な人に、心からの愛情を示すこと
・今日一日を大切に過ごすこと
いずれも、言葉にしてしまえば当たり前のことなのですが、この当たり前のことが本当にできているかというと…、ということはありませんか?
当たり前のことを当たり前に行うためには、「人生の意味を改めて考えること」が大切だと小林さんは語ります。
だから、人生が残り一年だと考えてみる。そうすることで、「自分にとって本当に大切なもの」に気づいて欲しいと促します。
「一人称」で生きることの限界
多分、もう少し若い時なら、散々贅沢して自分勝手に生きて一年を過ごしたいと思ったはずなのですが、今はそう思わなくなりました。
恐らく、今の日常をより丁寧に生きる。今まで以上に世のため、人のために自分を捧げる。そんなイメージです。
小林さんのこの言葉にグッときます。
「お金を手に入れたり、有名になったりすることによって、自分一人が幸せになるという『一人称の幸せ』には限界があるのではないか」。「自分がいることによって誰かが喜んでくれたときに、本当に幸せになれるのではないか」
30代までは「お金持ちになりたい!」「有名になりたい!」「圧倒的に評価されたい!」と普通に思っていました。
もちろん、どれも叶っていない状況で言うのもおこがましいですが…、それでも40年以上生きてみて、最高の贅沢(幸せ)は人から感謝されることなのではないかと思います。
感謝されるためには、その人から愛されていなければなりません。
お金や地位や名誉は愛が無くても得られる可能性がありますが、感謝は愛が無ければ得られない。そう思うからです。
「誰かのために生きる」ことが幸せへの道?
最初に考えが変わるきっかけになったのは、10年前に言われた妻からの言葉でした。
30代半ばの私はいつも鬱屈した気持ちをもって生きており、よく「宝くじで3億円当たったら妄想ゲーム」を行なっていました。
多分、人生を好転させたいと必死だったのでしょう(笑)
ある日、妻の意見も聞いてみたく「3億円当たったらどうする?」と尋ねると、妻は「1000万円だけもらって住宅ローンの返済に充てる」と予想だにしなかった答えを返してきました。
「えっ??なんで1000万円だけなの?」と返すと、妻は「だって、人生に緊張感が無くなるじゃん。多分、夫婦で助け合っていこうとも思わなくなるよ」と返答。
自分の中で何かが崩れかけた瞬間でした。
再び、小林先生の言葉に触れてみましょう。
一人称の幸せは、多くの人と分かち合うことができません。また、お金でも地位でも名誉でも、なにかを手に入れると、必ず「失う恐怖」がつきまとうもの。そればかりか、一人称の幸せは他者との奪い合いになることが多いものでもあります。常に人と競争したり、誰かと自分を比較して優越感に浸ったり落ち込んだりすることになってしまうので、心に平和が訪れることはないのです。
「自己実現の欲求」を頂点とするマズローの欲求5段階説ですが、実はその上に6段目の欲求があり、それが「自己超越欲求」です。
つまり、自分だけでなく、他の人々も豊かにしたいという欲求です。
でも、これは他の人を豊かにすることで、自分も幸せになれるということが分かっていてこその欲求だと思います。
あまり大仰になり過ぎてもあれですが…、個人的には仕事でも何でも「人の役にちょっとでも立ちたい」と思うようになってからの方が人生が好転してきていると感じています。
「note投稿」に求めるもの
ということで、自分がnoteに投稿に求めているのは、本当にただ1つ、「ちょっとでも誰かの役に立てば良いなぁ」と思うことぐらいです。
それが、スキやフォローや、コメントなど、何かしらの反応があれば、本当にそれだけで大満足です。
だから、一人でも反応していただける人がいれば、それで満足なので今後noteで挫折することはある意味無いでしょう(笑)
私の中で「多人称で生きる」を体現されているnoterさんといえば、花留さんがまず最初に頭に浮かびます。
小林さんと同じく医療従事者で看護師さんをされています。
昨日の【もはや趣味の看護のお仕事】という記事は、花留さんのお人柄がとても色濃く出ていらっしゃると思います。
花留さんは覚悟を持って生きていらっしゃるカッコいい方で、根底に世のため人のためという想いが溢れているので、非常に尊敬しています。
医療の現場の大変さに直面しながらも、軽快にそれを乗り越えていこうとするそのお姿に、小林先生の次の言葉が重なります。
たとえ自分が苦しい状況にあっても、人を幸せにすることができれば、あるいは人の喜びを幸せと感じることができれば、それが心の支えになるでしょう。
なるほど…、心に沁みますね。
自分もこういった考えが、呼吸するぐらい自然にできるようになりたいです。
まずは、一日一日の投稿にその想いを込めていきたいと思います。今後ともぜひぜひよろしくお願いいたします。