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過共感を避けるための「超越視点」

column vol.494

世界的コスメブランド「ラッシュ」は26日を最後にフェイスブックやインスタグラムなどのSNSをやめると発表しました。

〈テレ朝NEWS / 2021年11月24日〉

今後はフェイスブックインスタグラムティックトックスナップチャットワッツアップの5つのSNSから撤退するとのこと。

一体、何があったのでしょうか?

脱SNSの理由

ラッシュと言えば、地球環境に配慮した商品を販売する社会意識の高いブランド。

SNSから撤退する理由を同社はこのように語ります。

「今回の私たちの決断は、元フェイスブック社の勇敢な内部告発者によってもたらされた昨今、報道されているフェイスブックやインスタグラムが心身への悪影響をもたらす内部調査情報によって裏打ちされています」

先月、フェイスブックの元従業員がフェイスブックのサービスが分断や憎悪、暴力をあおっていることを知りながら、収益のためにそのデータを隠していると内部告発しました。

これを受けてラッシュは、いじめやフェイクニュース、過激な意見や価値観が際限なくスクロールできることが若者の自殺やうつ、不安ををあおってしまうとして、SNSからの離脱を決断したというのです。

一方、今回の措置で反SNSになるのではないと明言していて、ユーチューブとツイッターは継続していくとしています。

脱SNSを巡っては、過去にアウトドア用品ブランドの「パタゴニア」が危険性を理由にフェイスブックへの広告をボイコットしました。

この内部告発がどうかは置いておいて、SNSはさまざまな意見や想いが溢れています。

そういったことが、見る側にとってのマイナスな部分を生じてしまうことはあるのかもしれません。

「偏り過ぎない」大切さ

こういったSNSで溢れる言葉に影響を受け過ぎることを「過共感」と言います。

こういった過共感に対して、「煩悩クリエイター」の肩書きを持つ僧侶・稲田ズイキさんは、仏教の教えが抜け出すヒントと説いています。

〈logmi Biz / 2021年11月8日〉

稲田さん曰く、「偏り過ぎる」ということが、仏教では辛さの原因だっと説かれているそうです。

二項対立があった時に、どっちにも寄らずに常に超越するあり方を探さないといけない、というのが仏教であるとのこと。

これはSNS時代において非常に重要なことです。

人は社会性動物であるので、人と関わりあって(影響し合って)生きていくことが常です。

だからこそ、「世間病むがゆえに我も病む」。特にコロナ時代はその傾向は強いのかもしれません。

それを証明するようなお話を稲田さんは語られています。

コロナがもたらしたものの本質は、「全員を同じスタートラインに立たせた」ってことだと思うんですよね。「みんなが同じように感染する」という危険性によって全人類を均質化して、めっちゃ(自分と他人の)差を可視化してしまったんですよ。自分はこうだけど他人はこうするとかね。ワクチンとかが一番わかりやすいですけど。普通ならなんでもない他者として処理できる情報が、すべて「自分から見た他者」として共感することのできる情報に変わってしまったということです。今は特にSNSをベースにして情報を取得する人が多くて、ただでさえ繋がりが過度な世界だから、その勝手な共感のし過ぎがしんどさを生んでいるんだと思います。

ワクチンは全ての人にとって自分事であるからこそ、自分と異なる考え方が浮き彫りになってしまう。

自分の選択が間違ってないと思いたいから、自分と同じ考えに過共感し、違う考えを攻撃してしまう。

その攻撃した罪悪感を解消するために、また自分を肯定する意見に過共感してしまう。

でも、本当は人それぞれ。自分と違う意見があっても、攻めることも、罪悪感を持つことも本来は必要ないのです。

生物学的に言っても多様性は種を守るための必然。つまり、多様性があるからこそヒトの種が守られるのです。

と、少し大仰になってしまいましたが…、大局的に物事を見る「超越視点」が、このSNS時代を生きていくことが良いのかもしれません。

なるべくニュートラルにフラットに

私個人はそんなことを意識しながらnoteの住人として歩んで参りたいと思います。


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