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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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#祈り

イエスの声

イエスの声

マルコ14:32-42 
 
ゲッセマネで、イエスは祈るつもりでした。弟子たちの多くを、その場から離しておきます。ユダと通じた当局が来ることが、イエスには分かっていたと思われます。すると、弟子たちをなるべく危険から引き離そうとしたのでしょう。但し、事態の証人も必要ですから、ペトロ・ヤコブ・ヨハネという主だった弟子たちを伴っているべきとしたようです。
 
この後、ユダが現れて大混乱が起きたときには、

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なおも神をほめたたえる

なおも神をほめたたえる

詩編42:2-12 
 
「私の魂よなぜ打ち沈むのか、なぜ呻くのか。神を待ち望め。私はなお、神をほめたたえる「御顔こそ、わが救い」と。わが神よ。」これが繰り返されました。そればかりか、43編にもこれが現れ、結ばれます。元はつながっていたと解する研究者が多くいます。しかし、別々だとしても問題はないと思います。こちらには裁きの気配はありません。
 
窮状を訴えてるこの詩は、まず涸れ谷の鹿を描きます。長

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祈りの当事者性

祈りの当事者性

歴代誌下6:18-23 
 
神殿が完成し、契約の箱を納めました。実質、神を招き入れたという形になりました。イスラエルの歴史の中でのピークがここにあった、としてもよいのではないでしょうか。ここで献げられたソロモン王の祈りは、イスラエルの、歴史的礼拝でありました。長いその祈りが収録されています。歴代誌は特に輝かしくこの様子を描きます。
 
歴代誌は、特にユダのことを誇らしげに記すのです。その祈りの中

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罪を消し去る力

罪を消し去る力

出エジプト17:8-16 
 
アマレクとの戦いで、モーセの手が挙がっていることにより、勝利した。この出来事を聖書は記します。戦う当人はヨシュアをはじめとする兵士たちでした。モーセが神の杖を手にして丘の頂に立つことを聞いて、ヨシュアは勇気づけられて戦ったことでしょう。モーセは、アロンとフルと共に頂に立ち、戦況を見下ろしています。
 
モーセが手を挙げているとイスラエルが優勢になりました。しかしモー

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あなたの神殿の復興

あなたの神殿の復興

エズラ9:6-9 
 
捕囚から解放されても、数十年の間に新しい環境を得たユダヤ人もいました。全員がカナンの地へ帰ろうと考えたわけではありません。ただ、戻ろうと決意した人々も確かにいました。祭司エズラがそのリーダーとなりましたが、帰還してイスラエルの地で見た人々の姿に呆然としました。あまりにも庶民であった彼らの姿が、一変していたのです。
 
周辺地域の他民族の者と結婚し、ユダヤ人の血をすっかり混血

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全地の民へ

全地の民へ

列王記上8:41-43 
 
奉献式でのソロモン王の祈りの一部を読みます。「あなたの民」と呼ぶものがイスラエルであることは明らかです。しかし「外国人」と呼ぶ民であっても、この神殿と関わりをもつことができる、という光が、ここに射しています。これは、イスラエルという名を、血筋によりつながりだと見ていることを意味するのでしょうか。
 
「外国人」は、遠くからここにやってくることになっています。後にパウロ

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ソロモンの祈りと果たせない約束

ソロモンの祈りと果たせない約束

列王記上8:22-26 
 
ソロモンの祈りが始まります。ここからもイスラエルの会衆の方を向いています。それまでは、自らが建築に与った背景の説明をしていました。それが会衆の方を向いてだったことは分かりやすいのですが、ここからは神への祈りです。神へ祈るときにも、向きは会衆の方なのです。主の祭壇の前にいますから、立つ位置が変わったのでしょうか。
 
神殿の構造や祭儀の方法も私はよく知らないので、詳しい

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敵は本能寺にあり

敵は本能寺にあり

詩編55:1-9 
 
「私の祈りに耳を傾けてください」との思いは誰にでもあるでしょう。しかし「私の願いから身を隠さないでください」というのは尋常ではありません。神に「逃げるな」と言っているようなものです。これはダビデの詩とされています。ダビデはこの詩で、味方のような顔をしていた者が裏切って、自分を窮地に追い込んだことをしきりに訴えます。
 
それを滅ぼしてくれ、と主に向けてさかんに口にするのです

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沈む心の狭間に輝く信仰

沈む心の狭間に輝く信仰

エレミヤ20:11-13 
 
神殿の祭司の子パシュフルによって、エレミヤは足枷を付けられ、ベニヤミンの門につながれました。翌日解放されたものの、エレミヤは、バビロン捕囚とパシュフル自身の運命を預言して言い渡します。そこからエレミヤの祈りが始まるのです。主に惑わされてこのような酷い目に遭わされるのだ、と主に文句を言う件は有名です。
 
その告白は、ついには自分の生まれた日を呪うところへ結ばれていき

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エレミヤからの手紙

エレミヤからの手紙

エレミヤ29:1-7 
 
エレミヤは当初、エルサレムを離れずにいることができました。敵に支配されることが目前でありながらアナトトの土地をわざわざ購入し、いずれまたこの土地がユダヤ人の地となることを預言したのでした。エレミヤに与えられた将来の構図は、ずっと揺らぐことはありませんでした。先にバビロンに捕らえ移された人々に手紙を送っています。
 
移された人々は、エリート層であったものと思われます。エ

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逃げつつも敵を見据える

逃げつつも敵を見据える

詩編54:1-9 
 
父サウルの狙いを知るヨナタンは、深い愛でつながったダビデと、今生の別れを告げようとしていました。ダビデは、ペリシテ人の攻撃からケイラの町を救いますが、祭司エブヤタルがダビデを頼って逃げて来たことから、サウルはダビデの行方を知ることになります。ダビデはジフの荒野へ向かいます。実は、ここでヨナタンは最後にダビデに会っています。
 
ギブアにいたサウルへ、ジフの人々が、ダビデが隠

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祈りの功罪

祈りの功罪

列王記上8:22-26 
 
エルサレム神殿の完成により、ここに奉献式が行われました。ソロモン王がその先頭に立ちます。王は、イスラエルの会衆の方をいま向いています。この構図は、想像する上で重要です。主の栄光を拝した後、向きを換えたのです。王は、人々を祝福します。父ダビデ王の名を高め、この建物の建築は、子なる自分に委ねられたことを強調します。
 
自分を権威づける心理からくるものかもしれません。自分

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命の涸れた谷で

命の涸れた谷で

詩編42:1-12 
 
そこは、涸れ谷。鹿が水を求めてやってきますが、そこに水はありません。水のように、直接命に関わるものを、私たちも求めては、それがないと落胆することがあります。詩人は、ここで主自身を求めています。私たちがこのように、主を、喘ぎ求めるということがあるでしょうか。あっても、果たしてどの程度なのでしょうか。
 
魂が、生ける神に渇いているという体験を、いったいどれだけのクリスチャン

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ダビデの祈り・イエスの祈り・私の祈り

ダビデの祈り・イエスの祈り・私の祈り

サムエル下22:31-51 
 
内容は、詩編18編に収められています。主がダビデを、すべての敵、またサウルの手から助け出した日に歌ったものだとされています。詩編のほうにも同じように説明がなされています。ここには、戦いの神としての主を称える思いが溢れています。生涯最後に歌うにしては、そこなのか、という気がしなくもありません。
 
ダビデにとり、サウルの手から逃れたことが、主の力の最高のもののように

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