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たかぱん
2024年2月25日 10:25
礼拝説教を重んじるボーレンは、聖書朗読はどうしても必要であるわけではない、とその『説教学Ⅰ』でしきりに主張している。他方、聖書そのものが神の言葉であるから、その朗読こそが命である、と言う人もいる。ボーレンは、説教がその都度神の言葉となる、という方向で説教を見ている。それは、語る者がどうであれ、という辺りも考察しているから、必ずしも理想的な説教者を想定しているわけではないようだ。 それを読んでい
2024年2月23日 07:56
アウグスティヌスの言葉らしい。説教者が、他人の説教を語る、ということについて述べているという。「有能ならざる説教者は、安んじて他人の説教を用いるように、と忠告している。」 ボーレンの『説教学Ⅰ』からの孫引きである。純粋に理論的に、というよりも、かなり情熱的な勢いも感じるこの本であるが、ここは冷静な態度を示しているように見える。他人の説教を語る、とはどういうことか。 牧師は、礼拝説教を、礼拝
2024年2月17日 10:07
「哲学入門」というタイトルの本は、実に多い。シンプルにそれだけでも沢山あるが、もしそれにいくらかの飾り言葉が付くものまで含めると、数え切れないほどである。 何かを真面目に考えたい、という気持ちが、人々に「哲学入門」を手に取るように仕向けるのかもしれない。中には、哲学だったら、自分の考えをどんなふうに言い述べても構わないのだろう、と勘違いしている人もいる。科学であれば、いくら自分の信念を述べても
2024年2月13日 11:41
バレンタインデーが今年も話題に上る。チョコレートの祭りだとなってから、たぶん半世紀以上になると思う。ところが最近、だいぶムードが変わってきた。女性から男性へチョコレート、という安直な図式が、必ずしも成り立たないというのだ。 ジェンダーの問題であれば、まだ社会的な意味合いもあるのだろうが、そうでもないようだ。男女関係なく、というのもあるようだし、自分へのご褒美、というものも少なからずあるらしい。