誰も教えてくれない日本人が世界で戦うための方法
こんにちは@tateshina_lifeです。
今日は日本が世界で戦うために何が必要であるのかについて書いてみます。大きなテーマで身構える人も多いかもしれませんが結論は割と簡単で、それは目の前のものづくりをしっかりとやることです。
四方を海に囲まれた小さな列島に暮らす人々にとって、厳しいのは外敵から襲われることではなく、自然です。
西欧人や中国人が個人(もしくは家族)主義で人と人との関係を契約でしっかりと結ぶのは、他人が最大の驚異だからです。一方で日本人は個と個の境目が曖昧で、他人と団結してことにあたるのは自然の驚異に備え、リスクを分散するためです。
ですから日本人の関心の向き先は人ではなく自然であり物なのです。ヒューマニズムやレイシズムなどという単語が日本でしっくり来ないのは当たり前です。
日本人が外国人から見て薄情に見えるのは人に対して相対的に薄情なだけで、実は外界の森羅万象については彼・彼女たちよりも慮っています(外国では公共スペースが雑然としている一方で部屋の中が整然としていることと、日本がその反対であることなど、象徴的です)。
物事の本質は10年や1,000年単位では大きく変わりません。
とある記事で「日本のモノがアフリカで売れない」ことについて、日本の若いVCトップが「モノを売るのではなく、サービスやプラットフォーマーに投資をした方が良い」と話す記事がSNSでシェアされてきましたが、それは大陸の考え方です。
戦略系のコンサルタントやファンド、VCなどは往々にしてこういった意見をします。こういった内容について僕は欧米社会から持ち込まれた改革のプロセスの立場からのポジショントークであり、いくら話をしたところで何も変わらない、と思っています。
日本人はサービスやプラットフォームと言ったいわゆる人の動きに焦点を当てて未来の価値にお金を払うということは地政学的に歴史的に、そして文化・風土的に性に合いません。
そうではなく、今目の前の物に集中して創意工夫をすることに対して最大の喜びを発揮する人々なのです。その喜びを求心力として世界を惹きつけていく民族なのです。
海外から認められている日本の(広義での)コンテンツが何であり、その造り手たちがどのようにしてその価値を創り出してきたのかを振り返ってみれば納得できるはずです。
アフリカの人々を救う前に、日本で暮らす造り手の人々にお金を払うことです。そうすることで結果的にアフリカの人々を救うことになるのです。
英語を覚える前に、目の前で今熱中していることに日本語で、いや自分にしか分からない言葉、作法で徹底的に向き合うのです。価値を伝えるために言葉は重要な役割を果たすことはありません。
あなたの価値に同じように熱中できる人は地球の大部分の人ではないかもしれませんが、それでも少なからずいて、あなたが生み出した価値について一生懸命体感しようとするでしょう。必要があれば日本語を学習する気になるでしょう。
流行に惑わされずにあなたの世界を創り続けるのです。
日本に暮らす人々にとっての祝福はそこにあるのです。
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