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住む場所を変えれば人生は変わる

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は周りの環境が人に及ぼす影響力の強さについて書いてみます。言い換えれば人生を変えたければ環境を変えること、極論すれば住む場所を変えることが最も近道であるということです。

僕は小さい頃から住む場所を転々としてきました。そしてそのたびに人間関係が初期化されていきました。

神戸で生まれ、名古屋、取手、牛久、笹塚、三軒茶屋、北京、上海、恵比寿、浅草、田原町、東上野、蓼科と国をまたいで色々なところで生活し、今では東上野、蓼科、蘇州と3つの拠点に住宅を所有することになりました。

色々と住んでみて思うのはその土地土地で人の性格のベースができるということです。全部とは言いませんが一部、それも少なくない要素が土地によって左右されているということです。

今でも両親が生活する牛久で出会った人々と三軒茶屋で出会った人々は同じ事象について異なる反応を示しますし、国をまたげば言わずもがなです。

具体的なことを言えば、僕が今メインで生活している蓼科にやってくる人々が、実際にやってくる際にその目的をどう伝えるのか、やってきた後でどのように僕に接するのか、結果として僕にどのような感情を残していくのか、について土地の影響を強く感じることがあるということです。

高校、大学生の頃、もっと言えば小学・中学生時代から、学校生活を送った牛久や茨城からなんとかして東京に出たいと強く思ったことは、その土地で暮らす人々の価値観や考えること、行うことに僕が合わないと感じたからです。

具体的なことは書きませんが、その土地の地政学上の位置、気候的な特徴によって個人の集合としての社会の規範がかたちづくられ、個人が少なからず影響を受けるということです。

僕はいくつかの土地で幼少期を過ごすことができたため、このことについて気づくことができましたが、ずっと同じ土地で暮らしている人たち、すなわち中にいる人は外との違いが分かりません

このことが良かったのか、悪かったのかは個人の判断によりますが、土地を出なければ判断の機会もないということです。

一方で、その土地ではなくもっと大きな社会、村や町ではなく国家や地球という大きな単位で価値を出そうと考えた場合、小さな土地に紐づく独自の規範では価値を出すことができません。汎用化しなければなりません。

土地を出た人間にはそれができますが、土地の中の人にとってはそれができません。できないというよりも意識すらすることはありません

土地に紐付いて狭い規範に個を従わせて小さく暮らしていくのか、土地を出て中との違いを感じ、色々な判断を呑み込みながら汎用化をすることで社会から大きな恩恵を受けて暮らしていくのか、という型があるのです

中にいれば土地の規範に個は埋没しますから苦しみます。一方で外に出れば中への郷愁と外との違いから発する矛盾に苦しみます。どちらにせよ苦しい訳です。

ポイントは、中に居続ければそれを初期化することができないだけでなく、初期化できる方法があるということにすら気づかないということです。

外に出た人間としてここに書いておくくらいしかできないのです。

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